エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

桃花編集長を追悼する・・・その二

2013年03月04日 | ポエム
一般的に故人を追悼する必要はないわけで、俳人らしい追悼をせねばなるまい。
武内桃花氏は、幽明境を異にしたといってもれっきとした俳人である。

従って、桃花氏の俳句をもって追悼することとしたいのである。
素顔が見え、本質が見えるはずである。
このさい、桃花編集長の俳句は全て「からまつ」掲載の分としたい。

彼が「平成・昭和の俳人」の一画を占める事は、言を俟たないはずであるから、敬意を払いつつ書き進めたいのである。
彼が無邪気であって、児童のようであるといった話は既に多くの方が記されている。



この、孫と過ごす時間がかれにとっての至福だったとしたら、それは例えようもなく嬉しい事である。
好々爺の面目躍如ではないか。
この笑みの中からしか、年齢に応じた句は生まれないのであろうと思惟するものである。

俳句は、詠み手の内実しか表現しえないからである。
従って、その内実を引き出してくれる師は居なければならず、その理念と思想は学び尽くして余りあると言わざるをえないのである。
近頃、俳句の前衛を標榜する評論家の何人かが「師系」などというのは、俳句を陳腐化するとしきりに言う。
ぼくは師系は大切だと思っている。
連綿として継がれてきた文学的香り、あるいはまた内なる魂は師によってこそ伝えられると信ずるからである。

少し脱線した。
本題に戻ろう。



コスモスの新種の薫りチョコレート
              桃花

百花繚乱の花の中で、御夫婦で撮られた。
海外旅行のお好きな奥様である。

めっきり弱った足を撫でながらパリに行きたいわ!
と仰った。

異国への旅はきっと非日常の楽しさを味わわせてくれたのだろう。
花々に思いを寄せる桃花編集長。
奥様との出会いも、そうした新鮮な感動だったのだろうと推測できるのである。



同じ時のスナップであろうと思われる。
あの勲章授与祝賀会のときの並びである。
寄り添い方も同じである。

この次は妻より叙勲冬の薔薇
           あかり

城所あかり顧問が捧げた一句である。
正に言いえて妙である。
人の機微を瞬時に捉えられた。その力がある城所あかり顧問である。



どうも、この並びが好きらしい。
糟糠の妻も右側に来る。

病床にあって詠まれた句は、万感胸に迫るものがある。

痛み止めの効かぬ一夜や星月夜
             桃花

痛みに耐えつつ、星月夜を見上げる桃花。
妻も帰したあとだから、痛い!と一人ごちてみる。
けれども傷みは和らぐことが無い。
悠久の銀河に自身を投じて詠んだ句である。

看病の妻帰す夜の天の川
          桃花

妻を帰した後、病室の窓から星空を見上げた。
天の川が珍しくくっきりと網膜に映った。
心眼で見るとこう見えるのか!
桃花は、妻の前で「痛い」と愚痴らずによかったと思う。
宇宙の神秘だとか、奇跡は信じたくないけれど現生の仲間の思い、彼岸で待つ旧友の呼び声を微かに聞いた。

我が墓に欲しき満開寒椿
          桃花

闘病生活のふとした時間。
妻も、家族も、友人も・・・誰もいない病室。
花の好きな妻のために、我が墓はせめて花で飾っておきたいものだと思う。
妻が来やすいように。
花の手入れを頼んだよ!

そうも桃花は言って、彼岸のかなたへと去って行ったのであろう。

胸を打つ連想である。



珍しく、奥さまが左側に立っておられる。
若気の至りでもあろうか。
若々しく、躍動するようなお二人である。

桃花編集長の安らかならんことを。
句座の機会も、ビールもたっぷりとある天国であろうと思うのである。

ただし主宰の次の弔句、もって銘すべし!である。


みな逝きてそれでこの世は雪ばかり
               雪二


ぼくたちは、さらなる精進を重ねつつ俳句を詠み続けるであろうことも添えて。



        荒 野人