平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

東京オリンピックの公式記録映画、観客ゼロの大爆死!?~監督・河瀬直美は負の部分をどう描いたのかな?

2022年06月04日 | 邦画
 河瀨直美氏が総監督を務めた東京五輪公式記録映画『東京2020オリンピック SIDE:A』の興業が思わしくないらしい。
 昨日公開で多くて10人程度。観客ゼロの映画館も。
 まあ、そうだろうな……。『東京五輪の記録映画』と『シン・ウルトラマン』が並んでいたら、『シン・ウルトラマン』見るよね。
 それに昨年の東京オリンピック自体が負のイメージばかり。
 今更「感動をもう一度!」と押しつけられても困るし、そもそもあのオリンピックに感動はあったのか?
 
 映画はSIDE:AとSIDE:Bに分かれていて、SIDE:Bは3週間後の6月24日に公開らしい。
 劇場としては、
「どうして客の入らない映画を2部構成にしたのか?」
「結果、6週間を客の入らない映画で占拠されることになった」
 と思っていることだろう。
 まあ、劇場としては最低保障があるから客が入らなくても大丈夫なのかな?
 その最低保障の出所はJOC? つまり税金?
 …………………………………………

 この作品、どんなふうにあのオリンピックを描いているんだろう?
 SIDE:Aは選手の活躍を描いたオモテ舞台を、
 SIDE:Bはスタッフなどの舞台裏を描いたものになるようだが、
 東京五輪の負の部分をしっかり描いた内容になっているのか?

 つまり
・森喜朗氏の発言などの相次ぐ失言や不祥事
・招致賄賂疑惑
・演出チームの交代
・エンブレムや国立競技場などをめぐる、すったもんだ
・膨大に膨らんだ総額4兆円とも言われている予算
・大量の食品廃棄
・新型コロナウイルスによる開催の是非
・五輪反対デモに関するNHKの捏造

 これらを描かなくては『記録映画』にはならないだろう。
 監督の河瀨直美氏はスポーツ紙の取材に答えて
「100年後にも届くような映画でないといけない」
 と語ったようだが、上記の負の部分をしっかり描いたら、2021年の日本を描いた映画として「100年後」にも意味のある作品になると思う。
 つまり1964年の東京五輪が「希望」だったのに対し、2021年の東京五輪は「衰退日本の象徴」という位置づけだ。
 さて、作家・河瀬直美は負の部分をどう描く?
 上の方に気をつかってヨイショする内容になっていたら、作家・河瀬直美は終わる気がする。
 ちなみに河瀬直美さん、2025年の大阪万博にも関わるらしい。

 それと、東京五輪の収支報告はどうなったのかね?
 今月(6月)に出すと言っているが、大会組織委員会は6月末日で解散するらしい。
 収支報告をチョロッと出して、五輪スポンサーのテレビ局や新聞社はさらりと報道して終わりかな?
 政府や電通を怒らせたら怖いしね。

 やはり東京オリンピックはウソとゴマカしの『欺瞞日本』の象徴になりそうだ。


※関連記事
 河瀨直美監督の五輪記録映画 カンヌで絶賛も公開初日から空席だらけ!客ゼロの回も(女性自身)


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2 コメント

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Unknown (象が転んだ)
2022-06-04 16:52:12
予想通り
”悲しすぎた”記録になり下がった様ですね。

負の部分と正の部分を交互にドキュメンチックに、対称性を描いて欲しかった。
今回の悲しすぎた祭典は、ネタ的には恵まれてたので惜しい気もします。

希望と絶望との間で(100年後も)さ迷い続ける大会というヴィジョンにすれば、政治や企業に都合の悪い部分を隠しても、コロナ渦で崩壊寸前の医療現場を映し出すだけでもインパクトは十分にあったと思う。

カメラも映像も角度が全てと思うんですが(キャパが言う様に)、本質に鋭い角度で踏み込む勇気のない者は何やっても中途半端ですよ。
このオバサンには最初から期待はしてなかったけど、製作予算も大会同様にドブに捨てた様なもんでしたね。
返信する
東京五輪映画で「私」を投影 (コウジ)
2022-06-05 08:34:37
象が転んださん

いつもありがとうございます。

>、本質に鋭い角度で踏み込む勇気のない者は何やっても中途半端ですよ。
いい言葉ですね。
映像作家かくあるべし!

河瀬直美作品は『あさが来た』しか見ていないのですが、常に「私」作品のようです。
社会問題を扱っているようでいて実は「私」を描いている。
文春の記事に書かれていました。
https://bunshun.jp/articles/-/54891

五輪反対デモに関しては
「『SIDE:A』では、五輪反対を叫ぶ一般市民の姿も映し出されるが、この映画において、彼らはどこまでも彼岸の群衆でしかない。そこに「私」はいない」

同じカンヌ映画祭常連の是枝裕和監督は河瀬直美氏を称して、
「河瀨さんが、『私はこういうふうに世界を愛している』と伝えようとしていたのに対して、『僕はそういうかたちでは世界を愛せていない』って送り返している」

映像作家論に脱線してしまいましたが、敢えて散文的にオチをつければ、税金も投入されている公の東京五輪映画で「私」を投影されても見に行く気にはなれませんよね。
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