「ミジカビノ キャプチリトレバスギチョビレ スギカキスラノ ハッパフミフミ」
大橋巨泉さんの、パイロット万年筆の有名な詞である。
これはカメラを前に、ぶっつけ本番に即興で作ったものらしい。
巨泉さんはジャズの人である。
だからジャズの即興演奏のようにこうした言葉をアドリブで生み出す。
こうした言語感覚はタモリさんもそうだが、タモリさんもジャズの人。
巨泉さんは、ジャズ、早稲田大学、芸能界の先輩だったこともあり、「おい、タモリ」と呼び捨てにしていたが、タモリさんは大橋巨泉の系譜の人だと言っていい。
俳句の人でもあった。
〝巨泉〟は俳号。
早稲田大学に在学中は、戦前から伝統のある俳句研究会に入っていた。
その後輩には、寺山修司がいて、ケンカをしたらしい。
寺山修司が〝黒人悲歌 厨(くりや)で母が籾(もみ)ふむ音〟という俳句を作った。
〝黒人悲歌〟とはジャズのことである。
寺山修司は、母親が籾を踏む音とジャズが同じだ、と表現したのだが、これに大橋巨泉が噛みついた。
「君はジャズがどういうものか知ってるのか。単なる観念語として持ち出してきたのでは話にならん。厨とジャズがどうして結びつくんだ?」
これに対して寺山は、
「東北の厨をあなたは本当に知っているんですか? 東北の厨を知らずに言っているあなたこそ、厨を観念語でとらえているんではないですか?」
と反論したと言う。
そして、巨泉さんは寺山修司の才能を知ってこう思った。
「こいつにはかなわない。俺の俳句とこいつのとでは格が違う」
巨泉さんの父親は個人主義者で、強い反戦意識を持っていたらしい。
戦争の真っ最中に「この戦争は負ける」と叫び、特高警察に捕まって拷問を受けた。
顔を腫らせて帰ってくると、父親は幼い巨泉さんにこう言ったという。
「映画で見ると、アメリカじゃ、みんな自動車に乗っている。日本じゃまだ自転車じゃねぇか。そんな国がアメリカと戦争をして勝てるわけねぇ。この戦争は負ける。東条英機は間違っている」
当時、皇国少年だった巨泉さんはこの父親の言葉に違和感をもったらしいが、南方に出征していった父親が残していったジャズのレコードを聴いてこう思ったという。
「解放感に満ちた、何と素晴らしい音か……」
そして終戦になって、いの一番に思ったことは、
「これで、ジャズが遠慮なく聴ける!」
※参照資料『早稲田青春無頼帖』(大下英治/読売新聞社)
………………………………………………………………………………………………………
大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也……。
この数年で、戦争の悲惨を知る人たちが次々に亡くなった。
逆に戦争を知らない安倍晋三坊ちゃん、特高警察の父親を持つ高村正彦や日本会議の面々など、戦前の亡霊たちがどんどん湧いて出ている。
で、僕は、大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也が好きなんですよね。
明るいし、カルチャーしているし、生き方がカッコいい。
大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也に憧れた人間としては、微力ながら、彼らの遺志を引き継ぎたいと思っています。
これは理屈ではなく、体に染みついた感覚。
大橋巨泉さんのご冥福をお祈りいたします。
大橋巨泉さんの、パイロット万年筆の有名な詞である。
これはカメラを前に、ぶっつけ本番に即興で作ったものらしい。
巨泉さんはジャズの人である。
だからジャズの即興演奏のようにこうした言葉をアドリブで生み出す。
こうした言語感覚はタモリさんもそうだが、タモリさんもジャズの人。
巨泉さんは、ジャズ、早稲田大学、芸能界の先輩だったこともあり、「おい、タモリ」と呼び捨てにしていたが、タモリさんは大橋巨泉の系譜の人だと言っていい。
俳句の人でもあった。
〝巨泉〟は俳号。
早稲田大学に在学中は、戦前から伝統のある俳句研究会に入っていた。
その後輩には、寺山修司がいて、ケンカをしたらしい。
寺山修司が〝黒人悲歌 厨(くりや)で母が籾(もみ)ふむ音〟という俳句を作った。
〝黒人悲歌〟とはジャズのことである。
寺山修司は、母親が籾を踏む音とジャズが同じだ、と表現したのだが、これに大橋巨泉が噛みついた。
「君はジャズがどういうものか知ってるのか。単なる観念語として持ち出してきたのでは話にならん。厨とジャズがどうして結びつくんだ?」
これに対して寺山は、
「東北の厨をあなたは本当に知っているんですか? 東北の厨を知らずに言っているあなたこそ、厨を観念語でとらえているんではないですか?」
と反論したと言う。
そして、巨泉さんは寺山修司の才能を知ってこう思った。
「こいつにはかなわない。俺の俳句とこいつのとでは格が違う」
巨泉さんの父親は個人主義者で、強い反戦意識を持っていたらしい。
戦争の真っ最中に「この戦争は負ける」と叫び、特高警察に捕まって拷問を受けた。
顔を腫らせて帰ってくると、父親は幼い巨泉さんにこう言ったという。
「映画で見ると、アメリカじゃ、みんな自動車に乗っている。日本じゃまだ自転車じゃねぇか。そんな国がアメリカと戦争をして勝てるわけねぇ。この戦争は負ける。東条英機は間違っている」
当時、皇国少年だった巨泉さんはこの父親の言葉に違和感をもったらしいが、南方に出征していった父親が残していったジャズのレコードを聴いてこう思ったという。
「解放感に満ちた、何と素晴らしい音か……」
そして終戦になって、いの一番に思ったことは、
「これで、ジャズが遠慮なく聴ける!」
※参照資料『早稲田青春無頼帖』(大下英治/読売新聞社)
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大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也……。
この数年で、戦争の悲惨を知る人たちが次々に亡くなった。
逆に戦争を知らない安倍晋三坊ちゃん、特高警察の父親を持つ高村正彦や日本会議の面々など、戦前の亡霊たちがどんどん湧いて出ている。
で、僕は、大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也が好きなんですよね。
明るいし、カルチャーしているし、生き方がカッコいい。
大橋巨泉、永六輔、野坂昭如、菅原文太、愛川欽也に憧れた人間としては、微力ながら、彼らの遺志を引き継ぎたいと思っています。
これは理屈ではなく、体に染みついた感覚。
大橋巨泉さんのご冥福をお祈りいたします。