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平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

乱歩地獄

2007年05月17日 | 邦画
 映像にしてみると、江戸川乱歩の世界は「悪夢」であることがわかる。
 以下、ネタバレ。

 冒頭の「火星の運河」は悪夢そのもの。
 荒野をさまよい歩く男。
 朦朧とした男の脳裏をかすめるのは女との激しい情事。
 自分の肉体が女の肉体に変わる。耳をつんざくノイズ。
 湖の淵に倒れる男。
 論理の脈絡はなくイメージが積み重ねられる。まさに悪夢だ。

 「鏡地獄」は推理ものの形をなしている。
 人間を死に至らしめるマイクロ波(電子レンジ)を発生させるサラジウムと「影取りの鏡」という呪術。
 しかし本当に怖いのは本人の動機だ。
 鏡に魅入られた男。女にうつつを抜かすと鏡が怒る。だから女を殺す。
 『現実の世界より鏡の世界を選んだ男』というモチーフが乱歩の原作と合致している。

 「芋虫」はグロテスク。
 手足のない戦争から帰ってきた男。その男の顔は焼けただれて醜くて。
 そんな芋虫の夫を妻は嗜虐的に愛す。
 芋虫を愛するあまり、妻は自分も手足を切り、芋虫になる。
 そんな二体の芋虫を二十面相は生きた美術品として自分のコレクションに入れるべく運んでいく。

 「虫」は狂気。
 女優・木下芙蓉を自分のものにしたいがために、どこにも行かないように殺してしまった男。
 しかし芙蓉の死体は腐っていき……。
 男の見ている世界が青い空の造花で彩られた世界であるのがひとつの演出。芙蓉の死体があるのは男の古いアパートなのだが、男には極彩色の世界に見える。腐っていく芙蓉の死体に男は絵の具を塗ってごまかすが、その絵の具を塗った死体はピエロそのもの。それでも男の目には、その姿が完璧な美に見える。
 ラストは腐った芙蓉の体に顔を突っ込んでいる男。
 
 これら4作品の中で描かれるのは、現実ではない別の世界や物を愛してしまった人間の姿だ。
 「火星の運河」ではイメージの世界に逃げる。(おそらく描かれているのはクスリの錯乱だろう)
 「鏡地獄」では鏡に魅せられ、鏡の世界に行こうとする。
 「芋虫」では手足のない美術品への愛とそれらの美術品が並ぶ世界(美術館)へ。
 「虫」では造花と真っ青な空、そして美しい死体のある空想の世界へ。

 これらの世界を壊れてしまった主人公たちの様に美しいと思うのか、一般人の感性でグロテスクと思うのかは、見る者次第。
 僕などもなかなかついていけないが、では「自分はどの様な世界を美しいと思うのか?」ということは考えてみたくなる。それが「花」や「自然」ではあまりにも貧困な気がしてしまう。
  
★追記
 「虫」。
 原作にはない男が湿疹を持っていて掻きむしるという演出もいい。
 彼はこの湿疹を起こす虫(微生物)を怖れている。
 この場合、「虫」とは何だろうか?
 死体を腐らせるもの→自分の美しい世界を壊すもの→すべてを無に至らしめるもの。
 作品中では、膨張していずれは縮んでいく(無になる)宇宙と同等のものとして、虫が扱われていた。


コメント
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