新潮文庫の100冊を読む。
第1回は「コールドゲーム」(荻原浩・著)。
新潮文庫の100冊ではこう紹介されている。
「誰の身にも起きかねないイジメの復讐戦。あまりにも痛い現実がここにある!」
「高3の夏、復讐は突然はじまった。中2のクラスメートが、一人また一人と襲われていく……。犯行予告からトロ吉が浮かび上がる。4年前、クラス中のイジメの標的だったトロ吉こと廣吉。だが、転校したトロ吉の行方は誰も知らなかった。光也たち有志は「北中防衛隊」をつくり、トロ吉を捜しはじめるのだが……。やるせない真実、驚愕の結末。高3の終わらない夏休みを描く青春サスペンス」
短い文章を積み重ねて作品を紹介していく新潮文庫の100冊の文章、実に小気味いい。
さて、この作品「コールドゲーム」。
「持続する狂気」ほど怖ろしいものはないと感じさせる。
中学の時にイジメを受けた廣吉。
彼は転校して4年間ずっとクラスメートへの恨みを持続させてきた。
それも単なる持続ではない。
学校もやめ、復讐に生活のすべてをかけて来た。
まず身体を鍛える。
キックボクシングのジムに通う。
バイクの免許を取る。
腕からボウガンが出る仕掛け武器を造る。
クラスメートの家族構成から日々の行動までを綿密に調べあげる。
そのデータをもとに復讐計画を作成。
同時に何をすれば一番苦しむかを考える。
実に怖ろしい。
普通、4年の歳月は人を変える。人には忘れるという能力がある。
作者は4年前にイジメをした少年の言葉を借りて、こう書いている。
「誰だって変わるよな、四年あればさ。四年前の恨みだなんて言われても、あの頃何であんなことをしてたのかなんて自分でもわかんないよ。悪いことしたと思う。だから廣吉があやまれって言うなら、あやまるけどさ、なんだか他人のやったことで頭下げさせられる気分がしてくるよ」
しかし、廣吉は忘れなかった。
「怒り・恨みの持続」は結果、廣吉を壊してしまった。
彼は取っかかりとして、自分たち母子を捨てた自分の父親に復讐を実行する。
可愛がって猫の目を送りつけ、父親に蓄えた暴力をふるう。
そしてクラスメートへの復讐の実行。
順番は「あいうえお」の名簿順。
物語後半。
事件は、あっと驚く展開を見せるのだが、ネタバレになるのでここは少しふれるだけ。
実は廣吉には共犯がいる。
そして、廣吉の恨み・怒りは他者に連鎖する。
この恨み・怒りの連鎖というのが怖ろしい。
人の負の気持ちは自分だけでなく、他の人間にも伝わり他の人間も壊してしまう。
また、さらに怖ろしいのは、中2の廣吉にくわえられたイジメの数々だ。
このイジメの壮絶・悲惨なこと。
イジメを行ったクラスメートの中には現在フツーに高校生をやっている人間もいる。つまり廣吉だけが例外でなく、人間の心にはいつでも悪魔が棲みつくのだ。
そんなテーマを作者は、例えばこんな描写で描いている。
廣吉を迎え撃つために金属バットを持って待ちかまえる主人公・光也の描写だ。
「自分は傷つかないシューティングゲームの興奮。罠に落ちる獣を待つ狩人の快感。全身の筋肉が実力を試したがっている。自分が廣吉を捕らえて殴りつけるシーンが頭に浮かんだ瞬間、光也は握っていた金属バットから手を離した。光也は思った。俺も亮太や清水たちと同じだと。理由ときっかけがあれば、たぶん平気で人を殴れる」
そして、この「理由ときっかけがあれば平気で人を殴れる」というモチーフは、復讐事件を面白おかしく伝えたマスコミも同様だと作者は描く。
マスコミはイジメを行った中学生たちを悪魔と報じ、廣吉を被害者として扱った。次に廣吉の狂気が情報開示されると、廣吉バッシングを始めた。
この毀誉褒貶の怖ろしさ。
この作品は廣吉の狂気を描くだけでなく、その連鎖やクラスメートたちの狂気、マスコミの狂気を描いたことで、1級の作品になった。
「いじめを受けた少年のクラスメートへの復讐」というモチーフを一歩も二歩も拡げ突っ込んだことで、作品はさらに深味を増した。
第1回は「コールドゲーム」(荻原浩・著)。
新潮文庫の100冊ではこう紹介されている。
「誰の身にも起きかねないイジメの復讐戦。あまりにも痛い現実がここにある!」
「高3の夏、復讐は突然はじまった。中2のクラスメートが、一人また一人と襲われていく……。犯行予告からトロ吉が浮かび上がる。4年前、クラス中のイジメの標的だったトロ吉こと廣吉。だが、転校したトロ吉の行方は誰も知らなかった。光也たち有志は「北中防衛隊」をつくり、トロ吉を捜しはじめるのだが……。やるせない真実、驚愕の結末。高3の終わらない夏休みを描く青春サスペンス」
短い文章を積み重ねて作品を紹介していく新潮文庫の100冊の文章、実に小気味いい。
さて、この作品「コールドゲーム」。
「持続する狂気」ほど怖ろしいものはないと感じさせる。
中学の時にイジメを受けた廣吉。
彼は転校して4年間ずっとクラスメートへの恨みを持続させてきた。
それも単なる持続ではない。
学校もやめ、復讐に生活のすべてをかけて来た。
まず身体を鍛える。
キックボクシングのジムに通う。
バイクの免許を取る。
腕からボウガンが出る仕掛け武器を造る。
クラスメートの家族構成から日々の行動までを綿密に調べあげる。
そのデータをもとに復讐計画を作成。
同時に何をすれば一番苦しむかを考える。
実に怖ろしい。
普通、4年の歳月は人を変える。人には忘れるという能力がある。
作者は4年前にイジメをした少年の言葉を借りて、こう書いている。
「誰だって変わるよな、四年あればさ。四年前の恨みだなんて言われても、あの頃何であんなことをしてたのかなんて自分でもわかんないよ。悪いことしたと思う。だから廣吉があやまれって言うなら、あやまるけどさ、なんだか他人のやったことで頭下げさせられる気分がしてくるよ」
しかし、廣吉は忘れなかった。
「怒り・恨みの持続」は結果、廣吉を壊してしまった。
彼は取っかかりとして、自分たち母子を捨てた自分の父親に復讐を実行する。
可愛がって猫の目を送りつけ、父親に蓄えた暴力をふるう。
そしてクラスメートへの復讐の実行。
順番は「あいうえお」の名簿順。
物語後半。
事件は、あっと驚く展開を見せるのだが、ネタバレになるのでここは少しふれるだけ。
実は廣吉には共犯がいる。
そして、廣吉の恨み・怒りは他者に連鎖する。
この恨み・怒りの連鎖というのが怖ろしい。
人の負の気持ちは自分だけでなく、他の人間にも伝わり他の人間も壊してしまう。
また、さらに怖ろしいのは、中2の廣吉にくわえられたイジメの数々だ。
このイジメの壮絶・悲惨なこと。
イジメを行ったクラスメートの中には現在フツーに高校生をやっている人間もいる。つまり廣吉だけが例外でなく、人間の心にはいつでも悪魔が棲みつくのだ。
そんなテーマを作者は、例えばこんな描写で描いている。
廣吉を迎え撃つために金属バットを持って待ちかまえる主人公・光也の描写だ。
「自分は傷つかないシューティングゲームの興奮。罠に落ちる獣を待つ狩人の快感。全身の筋肉が実力を試したがっている。自分が廣吉を捕らえて殴りつけるシーンが頭に浮かんだ瞬間、光也は握っていた金属バットから手を離した。光也は思った。俺も亮太や清水たちと同じだと。理由ときっかけがあれば、たぶん平気で人を殴れる」
そして、この「理由ときっかけがあれば平気で人を殴れる」というモチーフは、復讐事件を面白おかしく伝えたマスコミも同様だと作者は描く。
マスコミはイジメを行った中学生たちを悪魔と報じ、廣吉を被害者として扱った。次に廣吉の狂気が情報開示されると、廣吉バッシングを始めた。
この毀誉褒貶の怖ろしさ。
この作品は廣吉の狂気を描くだけでなく、その連鎖やクラスメートたちの狂気、マスコミの狂気を描いたことで、1級の作品になった。
「いじめを受けた少年のクラスメートへの復讐」というモチーフを一歩も二歩も拡げ突っ込んだことで、作品はさらに深味を増した。