自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

あしかがフラワーパークの藤はすごいっ!

2015年04月30日 | ガーデニング・花
4月29日

13:20 昼食を済ませ、あしかがフラワーパークへと向かった。
14:00 栗田美術館前に駐車して徒歩7分。


14:10 ここは開花状況を見て、毎朝7時に「本日の入場料」が決まる。













これほど見事な藤は見たことがない。
園内を行ったり来たり歩き回って、溢れるように咲き乱れる花々を堪能した。

16:00過ぎに退場し、コープに寄って長女宅に戻り
往路と同じルートで
19:45 帰宅。
 
あしかがフラワーパークは年間の入場者数が百万人を超えていて
植物園としては日本一だそうだ。
藤の季節(大型連休の前後)は一日三万人くらいらしい。
確かに大変な混雑で外国からのお客さんも多かった。
それでも十分に満足できた。

来年以降も藤の季節には出掛けたいと思っている。
お弁当持参で長時間滞在するのがいいかな♪
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太田ツアー 46年ぶりの訪問

2015年04月29日 | 家族
群馬県太田市に出掛けた。

8:50 夫の運転でスタート。
上信越自動車道→関越自動車道→北関東自動車道のルートで
東部湯の丸SAと波志江PAで休憩を入れ
10:45に長女宅に到着。
お土産(ツ○ヤで買ってきた肉類、ヨーグルト、お茶など)を渡し
長女の車に乗り換え、四人で向かった場所は


11:22 太田市営八幡テニスコート

昭和44年、インターハイが群馬県で開催され
硬式テニス大阪府代表で出場した夫がこのコートで試合をした。


当時の写真を持参して見比べながら
46年前とほとんど変わっていないと説明する夫は感慨深げだ。


きちんと維持管理されたクレーコート。
2番コートで勝ち、4番コートで敗退して、ベスト8だったそうだ。

ひとしきり眺めて写真を撮り、そろそろ帰るかと思ったところで
夫が休憩中の人達に話しかけた。

「昔ここでインターハイがあって・・・」

話が弾み、当時を知る「主のような方」がプレー中だというので
終わるのを待ってその方とも話すことができた。

40分くらいしてテニスコートを後にした。


12:25 お昼はお切り込み。汗をかきかき、美味しくいただいた♪
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安倍総理訪米の舞台裏

2015年04月23日 | 社会、読書
4月26日から安倍総理が訪米し、アメリカ上下院合同会議で演説する。
上下院合同会議での演説は日本の総理大臣では初めての快挙だ。
これが実現することになった舞台裏を
青山繁春さんがラジオ番組(ザ・ボイス)で話してくれた。

今年1月の安倍総理の中東歴訪で、安倍総理がイスラエルを訪問した。
たまたま同じ時に米国会議員団がイスラエルを訪問していて
その機会を捉えて安倍総理が米国会議員達に接触した。

それも自分で直接、外務省の調整も無しに、自らが動き
「私は日本国総理大臣として、アメリカの国会議員の方々とアメリカ国民の皆さんに
直接、自分の言葉で話をしたい。」
という趣旨のことを伝えた。

その言葉に動かされたのが共和党のマケイン上院議員。
マケイン議員はアメリカ国内では非常に信望の厚い方だそうで
彼が帰国後、国会議員等各方面に熱心に働きかけてくれた結果
今回の安倍総理の歴史的快挙が実現する運びとなった。

この話を聞き、改めて安倍晋三総理の卓越した力を実感した。
偶然イスラエルでマケイン議員と出会ったというのも神がかっている。
きっと八百万の神の思し召しなのだろう。
マケイン議員が安倍総理の言葉に共感したという点も大きい。
どこの国でもその中に様々な考えや意見があり、政府と議会が違う方向を向くこともよくある。
米政府の言うことだけを「アメリカの意志」として一喜一憂する
日本の報道姿勢に疑問を感じる。

安倍総理の訪米を前に
マイク・ホンダ他のチャイナマネーに媚びる議員がごちゃごちゃ言っているとのことだが
マケイン議員とは格や人望の厚さでは雲泥の差があり、相手にされていないので
何も気にすることはない。
わざわざ報道するようなことですらない。
と青山さんが断言されていた。

アメリカ国内でも日米同盟が自国の国益にとって最重要であることが
広く認識されてきているようだ。
総理の訪米に合わせてチャイナとコリアがアメリカ各地で反日デモなどを計画しているが
却って自分達の首を絞めることになると思う。

警戒心を保ちつつ、彼らの自滅を生暖かく見守りたい(笑)。
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五年半も経ったんだ

2015年04月17日 | 自転車
昨日のサイクリングで通りがかった「あづみ野やまびこ自転車道」。
ブログを遡って、2009年11月5日に走ったことが分かった(追記しました)。

8月にロードバイクに乗り始め、初めての車載サイクリング。
読み返してみると
ホイールがはめられるか、とか(事前に練習はしていた)
パンクしたらどうしようか、とか(出先でパンクした経験は無かった)
道に迷うことはないだろうか、とか
日没までに戻れなかったら、とか
様々な心細さを感じていたことを思い出した。
それと同時に北アルプスの雄大さや安曇野の空気の心地よさに感動したことも。

あれから五年半。
少しずつ、ささやかな挑戦を積み重ねて
技術や体力はさておき
走る以外の色々な力(対応力など)が身についたように思う。

松本に来るようになって一年。
JRの線路を越えて西に走ったのは、実は昨日が初めてだった。
幹線道路から一本外れれば、平坦で走りやすい道には事欠かない様に見えた。
松本ではお買い物用のクロスバイクで走っているが
走る楽しさはやっぱりロードバイクだ。

毎回ロードを持ってくるべきかなあ?


今日も走ろうと外へ出たら,昨日とは打って変わって冷たい風が吹いていた。
少し走っただけで、めげて終わりにした(汗)。


女鳥羽川の下流に向けて


ここにも桜♪


走行距離 4.5km
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お花見サイクリング^^

2015年04月16日 | 自転車
久しぶりのサイクリングは西へ。


14:33 女鳥羽川沿いの道を駅方面へ向かい、線路をくぐって奈良井大橋を渡る。


そこから奈良井川左岸を走って、「この先行き止まり」の標識の先へ行くと


14:45 小さなわさび田が現れた♪

松本市音楽文化ホールでトイレ休憩後、水路沿いを走り、
長野道の梓川SAのところに出た。
梓川沿いに下流へ向かいアルプス大橋東の信号を渡って。


15:28 安曇野やまびこ自転車道の梓川にかかる橋のたもと。
ロードバイクに乗り始めて数カ月の2009年11月に、ここから穂高まで往復したことがある。
懐かしい。

平瀬橋を渡り、奈良井川右岸の遊歩道を上流へと走る。
すぐ横には国道19号線が走っている。


15:54 上流右岸から見た拾ヶ堰(じっかせぎ)頭首工。
左端に取水口が見える。


16:00 奈良井川左岸の新橋上流側。
ここの桜並木が、本日一番の見事さだった。

松島橋を渡って北松本駅を回りこんで家の方角へ適当に走ったらお城に出た。


16:28 松本城の桜もきれい。

17:00 帰宅

行く先々で桜が咲き乱れて、充実のお花見サイクリングになった。
 

走行距離 25.5km
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同じ裁判長だ

2015年04月15日 | 社会、読書
日本国内の原子力発電に反対するグループ(以下、反原発Gと記す)による
福井県高浜町の関西電力高浜原発3、4号機の再稼働差し止め訴訟で
福井地裁が再稼働を認めない決定をした。
原告側の勝訴であり、原発運転禁止の仮処分は全国初である。

判決は原発に対して「ゼロリスク」を求めるという非科学的なものであり
裁判の中で専門家の証言を聞くこともなかったようだ。

「新規制基準は合理性を欠く」 原発運転禁止の仮処分決定は全国初 福井地裁

このニュースを聞いて、他にも反原発Gが勝った裁判があったはず、と調べた。
2014年5月21日に関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)に関する訴訟だった。
大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決

この時も今回も、判決を言い渡したのは福井地裁の樋口英明裁判長である。
産経新聞にもそのことに触れた記事があった。

「再稼働認めず」の樋口裁判長、大飯原発差し止めの判決も
(前略)
昨年5月、大飯原発の再稼働差し止めをめぐる訴訟の判決では、裁判長として23年3月の東京電力福島第1原発事故後初めて原発の運転差し止めを命じた。争点を基準地震動などに絞り込む異例の訴訟指揮で、第1回口頭弁論から判決まで約1年3カ月というスピード審理に対し、関係者の間では賛否が分かれた。
(引用終わり)


おかしいと思った。

何故、二つの反原発訴訟で同じ人物が裁判長になるのか?
裁判官にも色々な人が居るだろうから、類似の案件は別の裁判官が指揮する方が
バランスの取れた判断に繋がるのではないだろうか?

すると、訴訟慣れした人は自分に有利な裁判長に当たるまで
提訴したり取り下げたりを繰り返すのだという話を知った。

反原発訴訟に限らず、「一票の格差」訴訟でも
どこの地裁に持ち込むかとか
外れの裁判官になったら取り下げて出し直すとか
いろいろな「工夫」を凝らして
原告側に有利な判決を得ようとするのだという。

何というか、薄汚い狡っ辛いいやらしさを感じた。

反原発Gの中核にいるのは、どう考えても真っ当な日本人ではない。
その証拠に彼らは、チャイナやコリアの原発には一言たりとも反対しない。
日本の原発が世界で最も安全であり最高の技術水準にあることなど
歯牙にも掛けずに、日本に対してだけ反原発を叫び続けている。

反原発を口実に日本弱体化を目論んでいる工作員。

私は反原発Gをそう見なしている(怒)。
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加藤前支局長、帰還!

2015年04月14日 | 社会、読書
産経新聞前ソウル支局長の加藤氏が
韓国政府による出国禁止措置を解かれて
8ヶ月ぶりに帰国した。

韓国政府、加藤前支局長の出国禁止措置を解除 8カ月ぶり

外国特派員が、コラムに掲載した記事で大統領の名誉を毀損したとして
在宅起訴され出国を禁止されたこの事件は
韓国の言論環境の異常性(=独裁国家みたい)を全世界に知らしめた。
起訴自体が常識的に見れば言いがかりレベルであり、嫌がらせとしか思えない。
しかも出国禁止措置とは、要するに軟禁であり人質にされたようなものである。

リッパート米大使が殺されかけた例もあるように
韓国国内ではいつ何時、身の危険が生じるかもしれない。
その状態が八ヶ月も続いたのだから、加藤氏の心身のストレスは如何ばかりだっただろう。

無事に帰ってこられて本当によかったし
気丈に頑張った加藤氏に敬意を表する。

今夜のBSフジプライムニュースでは、早速この話題を取り上げていた。
まとめの部分で、二人の解説者が揃って
「韓国政府は配慮を見せた。投げられたボールを日本政府がどう返すのかが注目される。」
という趣旨のことを述べたのには、大いに呆れた。

配慮も何も,理不尽に日本国民(しかもジャーナリスト)を長期間、韓国内に拘束し
内外からの非難囂々に八ヶ月も経ってようやく解放しただけのことだ。

例えば、誘拐犯が自分に不利と見て人質を解放したとして
「配慮」に報いるべきだというわけ?
こいつら(二人の解説者)頭大丈夫か?
もしかして工作員(笑)?

「日韓関係がマイナスがゼロになっただけ」外務省幹部
 外務省幹部は14日、産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する出国禁止措置を解除したことについて「当然のことだ。ずっと出国を認めろと言ってきたが、8カ月もかかった。(日韓関係が)ゼロからプラスになったわけではない。マイナスがゼロになっただけだ」と切り捨てた。


との報道があるが、ゼロになどなっていない。
マイナスがしっかり積み上げられて、
八ヶ月前と比べて大きくマイナスになっていると思う。

加藤氏にとっては大変な災難で、これからも裁判対応で大変だろうが
「韓国って、普通じゃないかも?」
という認識が日本だけでなく世界に広まったことは
日本にとって非常によかったと思う。
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レターパック

2015年04月13日 | 暮らし、その他
土曜日の昼頃、次男から電話があった。

「15日までに大学に住民票を提出しないといけないので、よろしく!」

土日は休みで市役所の窓口が閉まっている。
しかし有り難いことに市内三カ所に自動発行機が設置されていて
こちらなら土日も使える。

土曜日の午後に住民票を入手して日曜日にレターパックライトで発送した。
近所のポストに投函しようと11時前に行ったら
収集時刻が、平日12:00 土曜日11:30 日曜祝日10:00だったため
車で出直して、本局のポストに13:00過ぎに投函した。

宅急便等は北海道と九州は2日後配達なので、火曜日に届くのだと思っていた。
ところが夜になって追跡サービスで調べたら、すでに配達済みだった。

引受
4月12日 14:35
到着
4月13日 12:29
札幌北郵便局 (北海道)
お届け先にお届け済み
4月13日 15:48

へえ、レターパックって北海道でも翌日に届くんだ!
郵便局、頑張ってるね^^


さて今週は久々に松本。

来るときに通った三才山峠で雪に降られた。

これが夕方から夜だったら積もりそうな勢いの降り方だった。

明日は強い寒気が入るらしく、不安定な天気が続く。
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お墓参り

2015年04月10日 | 暮らし、その他
長姉が叔母二人(亡母の妹と、弟の妻)を案内して父母のお墓参りに行くことになり
私も誘われて同行した。

6:30 起床
7:52の新幹線で大宮から宇都宮線、小山から水戸線。
大宮で長姉と、小山で叔母達と合流した。

東結城の駅から歩いてお寺に向かうと
平日にもかかわらずお寺の駐車場は車でいっぱい。
たまたまこの日がイベントに当たっていて檀家の方達が数十人集まっているようだった。

お墓の周囲の落ち葉を拾って掃除して水を掛けて花と線香を手向けお参りした。

タクシーで小山に戻って、いつものイタリアンでお昼ご飯。
13:30ころ小山駅で3人と別れて帰路に就いた。
16:00 帰宅。

18:00に夫も帰宅。
晩ご飯を作って食べ終わって、食後のお茶を飲んでいるタイミングの
20:45に長女夫妻が帰ってきた。

二人が来るのはお正月以来で、会うのは結婚式以来になる。

滞りなく結婚式を済ませられたことと新年度のスタートに乾杯した^^
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麻生財務大臣 AIIBを語る

2015年04月09日 | 社会、読書
アジアインチキ投資銀行、じゃなくてアジアインフラ投資銀行(AIIB)について
麻生さんが参加を見送った理由を記者会見で説明した。
これが政府の公式見解である。
もし参加する場合の出資金額は当ブログでは数百億円と書いたが、どうやら1000億円規模らしい。

麻生さんらしい具体的説明が興味深かったので
産経新聞から以下に全文を転載する。

これを読んでもなお「バスに乗り遅れるな」「日本は孤立する」「外交的敗北だ」
等という人がいるなら、その人物は
日本語理解能力が著しく低いか、または
チャイナの工作員だ。

麻生さん、もう説明し飽きたって(笑)。

「借りた金は返すのが当たり前。こっちは税金を預かっている」麻生財務相、AIIB不参加理由を激白
 麻生太郎財務相は9日の記者会見で、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)に関し、現段階での参加を見送った理由を約10分間にわたって説明した。日露戦争の際に戦時公債を発行したことに触れ、「(日本は)1日も遅れず、1銭たりとも約定を違えず全額を返済した。しかし、今は世界で借りたお金を約定通り返さない方が多い」とも語り、AIIBによる不透明な融資審査基準や過剰融資に懸念を示した。詳細は以下の通り。

 --日本が参加した場合、AIIB設立当初の出資金は最低でも1000億円と試算されている

 「AIIB参加国は最終的にいくつになるのか知らないが、出資額の総額も中身もわからないので、今の段階で考えているわけではない。何回も同じことを言っているので、もう飽きてきたけど、やることは1つなんですよ。お金を貸すというのは、返ってこないお金は貸せない。返ってこないお金はやるっていうんだからね」
「(インフラ整備の)ニーズがあるというのはわかる。米国が世界銀行、日本がアジア開発銀行(ADB)、ヨーロッパが国際通貨基金(IMF)は責任を持ってやっている。ところが、日本は1905年、日露戦争をやるにあたって戦時公債を発行した。1000万ポンド。日本は1日も遅れず、1銭たりとも約定を違えず全額を返済した。名も知れぬ東洋の小さな黄色人種にお金を貸した英国もすごかったんだろうが、1銭たりとも、1日も約定を違えずきちんと払った。今日、世界で他国の外貨でカネを借りて返済が滞ったことが1回もない国が日本以外にあるならば教えてくれ。ぜひ俺はそれを知りたい。他の国の中央銀行総裁も知らない」
 「だから、お金というのは貸したら返ってくるもんだと日本の人は思っているんだ。子供の時からしつけられてきたんだから。しかし、今、借りたお金を返さないのは多いんじゃないの? 世界で借りたお金を約定通り返さない国の方が多い。何が言いたいかというと、もう1個(国際金融機関を)増やすんだぜ。きちんと審査をして(既存の国際金融機関の)3行で足しても400億円か500億円かといっているときに、いきなり後ろから来て、みんな貸さないの? じゃあ俺(AIIB)が貸してやるよと、300億円、400億円を貸しますと言ってなったとするよ」
 「その時、この後からきた300億円は前から貸している3行の400億円に乗っかった。返済が始まり、400億円のお金は計画通りに返ってくるんだけど、後からきた300億円は全然、融資計画ができていないから、その分は返せませんでしたと。そうなったとき、まずは3行の400億円は優先的に返してくれるかと。国内だったら、まだやれるだろう。しかし、海外相手にそれができるか。700億円が全部焦げ付き、お返しできるお金は300億円だけです、といわれたら、間違いなく被害が出る。こっちは税金を預かっているわけだから
 「ちゃんと審査やら、何やらは参加する国で決めましょうねと。どういう理事会の構成ですか、審査はどこで、誰がやるんですかと。最初から俺たちはこれしか言っていない。だから(中国側は)返事を下さいと。3月31日というのは、こっちが出した提案を聞かない限りは俺たちは答えようがない。何の返事もないなら、こっちもしようがないと言っているだけだ。AIIBの話というのは、次は(参加判断の期限が)6月だとか報道されているが、どうして6月なのかさっぱり知らない。日本はなぜ参加しないのかと色々な人が言ってくるが、面倒くさくていちいち説明しないといけないので、飽きるくらい同じ話をしている」
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コマネズミの様、かな?

2015年04月09日 | ガーデニング・花
明日の夜に長女夫婦が泊まりがけで来ることになっている。
一方、私は父母のお墓参りの予定で、7:30に出て帰宅は夕方だ。

庭には剪定枝の山、定植待ちの苗が多数。
郵便局と駅と、ツ○ヤに買い出しにも行かなくてはならない。
その上、ネットで注文した花苗まで届いた^^;;

グリーンマーケットさんから
ギリア レプタンサ ブルー 2
アグロステンマ ミラス・スノークィーン
セントレア ブラックボーイ
カンパニュラ・ルツンデフォリア

午前中は洗濯や室内の片付けをして
午後一番に車を出して、用事を済ませた。

14:30 帰宅して一休みして
15:00 庭へ。

薔薇の隙間を埋めるように、ギリア、カスミソウ、ピンピネラ等を定植する。
梅の木の周りに整備した花壇には、キクザキイチゲ、ホタルブクロ等を入れる。
いくら何でももう雪は降らないと思うが、
しばらくは低温傾向らしいので、寒さ対策として株元をバーク堆肥で覆った。

コンテナに植える予定のカンパニュラ、ロベリアとヒューケラを残して
植え終わったのは17:00過ぎだった。
それからシュレッダーを出してきて、剪定枝をチップにしていった。
月桂樹、キンモクセイ、梅など太くてシュレッダーに掛けられない枝は
のこぎりでギコギコと、ゴミ袋に入る長さに切断した。
だんだん風が冷たくなってきたが、身体を動かしているので寒くはない。

18:40 薄暗くなった頃にようやく片付いて、駐車スペースを空けることが出来た。
ゴミ袋3つは月曜日が収集日だ。

今日は一日中休み無く動いていた気がする。
でも明日の持ち物や着ていく服の準備は、まだ(汗)。
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雪ですか・・・

2015年04月08日 | ガーデニング・花
朝起きてカーテンを開けると、雪が舞っていた。
冷え込むとは聞いていたがまさか雪になるとは!
慌てて、一昨日買ってきた苗をベランダから室内に取り込んだ。

午前中に雪が上がって、午後から庭に出ることが出来た。
高い方の脚立を出して、キャリエール婦人の剪定・誘引をした。
すでに葉が展開しているのも気にせずにてきぱきと進める。

続いてシティオブヨーク。
こちらはさほど伸びていなくてすぐに済んだ。

これにてシーズン初めの薔薇作業は完了だ♪

それから梅の木の下を整備した。
土留めにしていた木が朽ちかけているのを撤去して
代わりにレンガを並べた。
エボゴディウムが旺盛すぎるのでこのエリアからは取り除くことにする。

あちらこちらから新芽が顔を出している。
アスチルベ、ナルコユリ、ホタルブクロは出てくるかな?
去年の今頃は次男の入学で慌ただしく、庭はほったらかしだった。
じっくり庭を見て、庭をいじれる幸せを感じる。
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ぷちオフ会

2015年04月06日 | ガーデニング・花
薔薇友のYさんと二人オフ会をした。
会うのは去年の薔薇シーズン以来になる。

11:30に珈琲哲学の駐車場で落ち合ってランチ。
パスタとコーヒーを味わいながら情報交換とか四方山話とか。
腰を痛めたというYさんは、それでも薔薇作業を完了させたとのこと。
私の方はまだ残っているんだよね(汗)。

13:00過ぎに店を出て、おぎはら植物園に移動。
約1時間掛けて、それぞれに花苗を物色した♪

14:00 Yさんとサヨナラして、土曜日にチェックしておいたコメリへ。
花苗をいくつか買って、国分の農協へ移動。
すると、Yさんの車を発見!
ちょうど店から出てきたYさんに声を掛け
今度こそ本当に、さようなら~(笑)。

野菜を買って15:00帰宅。


本日のお買い物。

おぎはらさんで、
キクザキイチゲ
ノラニンジン ブラックレースフラワー
ネペタ ブルードリームス
ダイアンサス ソーティー
ピンピネラ ロゼア
白花タケシマホタルブクロ
シレネ ディオイカアルバ

コメリで
ヒューケラ ドルチェ マッチャプディング
ヒューケラ ドルチェ ライムソルベ
八重咲き宿根カスミ草 2
カンパニュラ メリーベル 2

農協で
ロベリア アズロコンパクト 4

植えるよ~~♪
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ポール・スミザーさんの講演会

2015年04月04日 | ガーデニング・花
3月23日のこと。
録画してあったNHKの「仕事の流儀」でポール・スミザーさんを見た。
山梨県を拠点に、日本の在来植物を活かした庭や公園造りをされている。
ポールさんのホームページに行き、今日の講演会のことを知ってすぐに申し込んだ。

夫は休日出勤で,昨夜から帰っていない。

11:10 資源ゴミを車に積んで、ウィークエンドリサイクルに出し
コメ○の園芸コーナーを15分ほどチェックしてから駅へ。
12:33のしな鉄で長野へと向かった。

今日のことは薔薇友にもメールで情報を送っていた。
各自予定が詰まっていて、単独参加となった。
その返信でAさんに教えて貰った長寿食堂。
いつも混んでいるとのことだっだがそれほどでもなさそうなので、
ここでランチと決めて店の前のベンチに座っていると

「えむえむさ~ん」

な、何とLさんが目の前に!
駅まで来客を迎えに来たついでに、「いるかな?」と覗いてくれたそうだ。
ほんの数分だけど楽しく話をしてLさんを見送った。


13:35 席に案内された。店内の様子。カウンター席も6つある。


13:50 横山タカ子さんプロデュースの二十四節気定食。1180円。
蒸し鶏に麹ベースのソースが絶妙だ。


14:20 メトロポリタンホテルの講演会場。チャリティーバザーでバスケットなど購入。


講演は15:15から16:45まで。
日本の在来種に素晴らしいものがどれほど沢山あるかを話されていた。

ナチュラルガーデンを上手に作る秘訣は
肥料を撒かないでバーク堆肥をたっぷり使うこと。
肥料を撒くと肥料好きの植物だけが成長して他を駆逐し、単純な植生になってしまう。

「(肥料嫌いの)サクラソウなんて、何、この白い粒? って言うよ~」
と時々擬人化して話されるのが楽しかった。


ホスタも大好きとのことで、自分で採種して撒くと色々なホスタが出てくると推奨していた。

1時間半の講演はあっという間で、参加して本当によかったと思った。

会が終了したのが16:55。
急いで駅に向かい、17:04のしな鉄に間に合った。
U駅から車で、買い出しをして帰宅。

晩ご飯には早速蒸し鶏を作ってみた。
ソースは塩こうじに味噌と砂糖を混ぜて、かなりいい線の味を出すことが出来た。
「酒にもビールにも合うね。」と夫にも好評で
献立のレパートリーが増えたね♪
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ドイツがポーランドにしたこと

2015年04月03日 | 社会、読書
雑誌「正論」を買うと最初に読むのが「折節の記」である。
5ページにわたり歴史や諸外国の事情など私の知らないことがぎっしりと詰まっている。
ずっと無記名のコラムだったのが、今回この記事を書くので4月号を読み直そうとして
「高山正之」との筆者名があることに気付いた。
前回購入した2月号までは無記名なのを確認した。

さて4月号の「折節の記」でドイツのポーランド支配の過酷さを知った。
その部分を転載する。

ーーーここからーーー
 ドイツ人は先の戦争で我々は優秀なゲルマン民族だと言った。言うのは勝手だ。支那人だって偉大な漢民族だと言っているくらいだ。
 ただそれをよその民族に強制するのはもはや犯罪だ。ポーランドに侵攻すると「劣等なお前達に学問は要らない」と決めた。数は500まで数えられればいい。文字も自分の名を書ければいい。だから小学校4年で終わりにさせた。
 ポーランドは19世紀、ロシアが支配し、高等学問を禁じたが、それでもキュリー夫人は高校まで行けた。ロシアより傲慢だった。
 その傲慢さで「劣ったユダヤ人は死んだ方がいい」とあのホロコーストをやった。
ーーーここまでーーー

私がポーランドを意識するようになったのは、
ロシア革命後の混乱の中、シベリアの地で苦境に陥っていたポーランド人の孤児たち765人を、
大正9年(1920)と、大正11年(1922)の2回にわたって日本が救出したエピソードを知ってからだ。
詳細はこちらを是非読んで欲しい。

ただ、ポーランドを支配したのは主に帝政ロシアとソ連で
ナチスドイツに関してはユダヤ人迫害くらいしか知らずにいた。
折節の記を読んですぐにネットで調べ、驚いた。

300万人の非ユダヤ系ポーランド人が、第二次世界大戦の渦中で命を落としたというのだ。
ポーランド人に対するナチスの犯罪から転載する。
1939年にポーランドに侵攻したドイツ軍は
「ドイツ人に対する抵抗の気勢を示したりあるいは抵抗すると疑われた民間人をその社会的地位によって逮捕殺害した。何万人もの裕福な地主、聖職者、(公務員、教師、医師、歯科医師、ジャーナリストなどの)知識層はポーランド人であるかユダヤ人であるかに関わらず大量虐殺行為によって殺害されたか、刑務所や強制収容所に送られた。」
「ポーランドは終戦までに、医師の45%、裁判官・弁護士の57%、教師の15%、大学教授の40%、高級技師の50%、初級・中級技師の30%、聖職者の18%を失ったとされている。」
「ポーランド文化を破壊するため、ドイツ人はポーランドの大学、学校、博物館、図書館、科学研究所を閉鎖した。ポーランドの国家的英雄の像が何百体も破壊された。教育を受けたポーランド人が今後現れて来ないようにするために、ドイツ当局はポーランド人の学校教育を児童教育の数年間だけに制限した。「この学校教育の目的は単に、500以下の数字を使った簡単な算術と、自分の名前を書くことと、ドイツ人に従うことは神から命令されたことなのだという教理を教えることだけであった。」と、ハインリヒ・ヒムラーは1940年の備忘録に記している。この備忘録の中でヒムラーは、全てのポーランド人を東方へ追放するのだと誓っている。」
「1939年から1945年までの期間に少なくとも150万人のポーランド人市民がドイツ第三帝国に連れて行かれ、殆どの場合本人の意思に関わらず労働を強制された。多くは十代の少年少女であった。」
ーーーここまで引用ーーー

ナチスドイツの人種差別対象はユダヤ人だけではなかったのだ。
知識階級を皆殺しにし教育の機会を奪い、文化を破壊する。
列強の植民地支配のやり口と全く同じだ。
白人が有色人種を差別し蔑視するように
同じヨーロッパの中でも他民族を見下し差別し絶滅まで目論む。
一般のドイツ人の多くが意識のベースでそれをよしとしていなかったら
いくらヒトラーのナチスに扇動されたってここまでにはならない。
ドイツ人はそのような自分達の価値観・精神性を自覚しているのだろうか?
内心は反省の必要もない当然のことだと思っているのだろうか?

いまさら言うまでもないことだが
日本は台湾や朝鮮半島の統治で、学校を作り教育を普及させて人材育成を図った。
いわゆる植民地支配とはこの時点で決定的に異なっている。

国や民族による価値観・精神性の違いはとんでもなく大きい(嘆息)。
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