2010年ツールにおけるコンタドールのドーピング疑惑について、
「どれほど微量でも、出たものは出たのだから、アウトだ」との意見が少なくない。
栗村修さんも
「我々ファンは、単純に『ルールを守っているか?』、『そうではないか?』で判断していくしかありません。」
と書いている。
分析機器の精度は日進月歩で上がっている。
環境ホルモンの存在が突き止められたのが、化学物質の分析精度の向上によるというのは有名な話だ。
5年前には検出限界以下だったものが今では検出される。
現在検出されない濃度でも、2年後には検出されるようになっているかもしれない。
「出るか出ないか」は明快な基準のように思うかもしれないが、
実は非常に流動的(時とともにより厳しくなる)な基準なのだ。
いつまでも「出るか出ないか」のルールでは、
選手にとってもファンにとっても自転車競技界全体にとっても、
どんどん矛盾とマイナス要因が大きくなっていくと、私は思う。
ではどうすればよいか?
各種物質のパフォーマンスに影響する濃度については既に知見が得られているはずだ。
それに基づいて、検出された場合の対応を数段階に分けて明確化する。
バイオロジカルパスポートも、緩和できないものだろうか?
選手への負担が大きすぎて、
一ファンの目から見れば、選手の人権があまりにも軽んじられている。
まっとうなスポーツとしては、ヒステリックで異常だ。
それから、栗村さんにお言葉を返すようだが、
栗村さんは絶対に「ファン」ではなく「自転車競技界内部の人」だ。
内部の人間は秩序を乱すことは許されないからルール批判も表立ってはできないだろう。
しかし「我々ファン」はルールについても
「あーでもない、こーでもない、おかしい、えこひいきだ・・・」
など、思うことをワーワー言っていいはずだ。
むしろ内部の人間が見失っている常識やバランス感覚をファンが持っていることは多い。
ファンが色々と考えて意見を出して、冷静に問題点を指摘するのは、悪いことではないと思う。
その観点で言いたい。
一般社会と同様にドーピングにおいても
「疑わしきは罰せず」を原則としてほしい。