自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

回復は順調

2012年08月31日 | 自転車
昨日はハリ治療の3回目だった。
前回はほとんど動かせなかった方向に力が入れられるようになったし
触診では痛みの範囲も強さもはっきりと軽減されていた。

「少し痛む程度なら動かした方が早く治ります。」

ということだ。

そして今日は整形外科へ行ってきた。
すぐにレントゲン撮影をして、
先週と骨折部分の状態が変化していないことを確認した。

「ずれたり跳ね上がったりしていたらまずいが
同じ状態なのでこのままバンド固定を続けます。
骨が出来てくるのを待ちましょう。
暑くて固定バンドも大変だけれど頑張って。」

寝るときははずしてます、などとは決して言わない(笑)。


髪をあげてカッチン止めでまとめた。
両手を頭まで上げる動作。
痛いけれど、どうにかできた。

慎重に様子を見つつ、徐々に動かしていこう。
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ヒロシマ・ナガサキへの時系列

2012年08月30日 | 社会、読書
原爆の投下は正しかったと言う人は少なくない。
投下したアメリカ人は勿論、日本人にも
戦争を早く終わらせるためにはやむを得なかったと。

本当にそうだろうか?

例えば、1945年の早くから日本が降伏のための仲裁を
ソ連(日ソ不可侵条約を結んでいた)に依頼していたが、
ソ連がのらりくらりと受け流していたことなどが
既に明らかになっている。
連合国側がそのことを知らないはずはない。
日本の物資が底をついていることも知っていた。


原爆投下に至るできごと(藤原正彦著「日本人の誇り」参照)

1944年9月 ルーズベルト大統領とチャーチル首相の会談
   開発中の原爆を日本に投下することが決定される。
   ドイツは対象から外される。
1945年5月 原爆投下実行部隊がテニアン島へ移動
   ルースベルト大統領の指示で編成された実行部隊は、
   秘密の投下訓練をユタ州で行っていた。
1945年7月16日(ポツダム会談前日) ニューメキシコで原爆実験成功
   トルーマン大統領(ルーズベルトの後継者)はこれを知り大喜び。
1945年7月17日 ポツダム会談開始
   トルーマン(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ)
1945年7月25日 原爆投下命令
   トーマス・ハンディ大将(陸軍参謀総長代理)がトルーマンの承認を得て
   「8月3日以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下せよ」
   との命令を下す。
1945年7月26日 ポツダム宣言発表 米英中(のちにソが加わる)
1945年7月28日 ポツダム宣言を拒否(鈴木貫太郎首相)


ポツダム宣言の発表以前に原爆投下命令が下されていたとは(呆)。

その上、万が一にも日本があっさりポツダム宣言を受諾しないよう
当初はポツダム宣言の草案にあった「国体護持」の言葉を削除した。

そうまでして原爆投下をした目的は二つ。
実際の威力実験とソ連への威嚇。
広島と長崎では原爆のタイプが違うことはよく知られている。
実験だから、2種類それぞれを試したかったのだ。

何も都市の上に落とさなくても威力を示すことが出来る、とアインシュタインを初めとする科学者達が反対しました。アイゼンハウアー将軍さえ7月20日に、トルーマン大統領やスティムソン陸軍長官に「日本はすでに敗北しており原爆はまったく不必要」と進言していました。(日本人の誇り p70)


原爆投下は仕方がなかったとか
日本が間違った戦争をしたのが悪かったのだとか
日本がさっさと降伏しなかったせいだとか
そのような考えは誤りだ。

そもそもドイツは最初から原爆を落とす対象とされなかった。
これは日本人を含む有色人種を、
同じ人間とはみていなかったこと(人種差別)の証左だと思う。


アメリカは事実を事実として認め、
自分たちの犯した「人道に対する罪」を心から反省して欲しい。

付け加えると、
いわゆる「南京大虐殺」はヒロシマ・ナガサキを「相殺」する目的で
極東軍事裁判において、アメリカがでっち上げたものだ。
南京事件と言われる通常の戦闘行為があった。
単にそれだけのことだったのに。


私たち日本人は、WGIPの呪縛から、
一日も早く完全に解き放たれなくてはいけないと強く思う。

自信と誇りを、取り戻そう! 
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落車から一週間

2012年08月29日 | 自転車
落車から一週間が経った。

怪我は順調に快復しているようで
一日ごとに、色々な動作が辛くなくなっている。

包丁仕事がかなりできるようになって、タマネギも切れる。
さすがにカボチャを切ろうとは、まだ思わないけれど(笑)。
で、ハンバーグを作った♪

食器洗いは右肩に負担が掛からないよう、ゆっくりとやっている。
普段なら水切りカゴをシンクの横に置いて、洗った食器を入れていき
最後にえいやっとカゴごと後ろの台に運ぶ。
今は重いものを持ち上げられないため、
「少し洗っては台に置いたカゴに運んで入れる」を繰り返している。
倍以上の時間が掛かるが、時間を掛ければできるのだから、頑張る。

負傷後初めて湯船に浸かった。
温めの湯にゆっくりと浸かり、全身がほっとした。
入浴後には、全然痛くなくなった右肘の下の傷パッドを取った。
擦過傷はきれいに乾いていて、ちょっとだけ痒い。
少し引きつる感じがしたのでアロエ軟膏を薄く塗った。

一週間経って、人間の回復力ってけっこう凄いなと思っている。

-----------------------

日曜日の夕方に、夫の提案で家族3人揃って神社にお参りしてきた。



次男の落車、歯の怪我、そして私の落車骨折と良くないことが続いた。
神様どうぞお力をお貸しください。この悪い流れを断ち切ってください。
何とぞ、お願いいたします!!!

神社の入り口に厄年の一覧表が掲げられていた。
次男も私も全然当たっておらず、
還暦の夫が大厄に当たっていることが分かった。

なあんだ、父さんの厄が私と次男に降りかかったのか、
と3人で笑ってしまった。
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ブエルタ

2012年08月28日 | サイクル・ロードレース
落車事件で記事を書きそびれていたが
8月18日のチームTTからブエルタが始まっている。

土井ちゃんが2年連続2回目の出場。
去年は日本人初のブエルタ出場というだけで感動だったが
今年はアシストとして堂々と素晴らしい仕事をしている。

チームのエース、デゲンコルブ選手が、恐ろしく強くて
第2、5、7と既に3勝を挙げている。
土井ちゃんは集団のコントロールや
ゴール前10km→5kmのトレインを先頭で引っ張り、
その姿が頻繁に国際映像に映し出される。
時には名前とゼッケン番号も表示される。

いいねえ♪

ハードな仕事を全力でこなし、勝利に貢献し
へろへろに疲れているはずなのに、
毎日レースレポートをブログにアップしてくれるのが、土井ちゃんのすごいところだ。
その臨場感あふれるレポートからは、
TV画面だけでは分からないレース中のあれこれが見えてきてすごく面白い。

落車して2日間はブエルタどころではない状態だったが
3日目の朝には2レース分の録画を見た。

2012シーズンは、ジロにフミ、ツールにユキヤ、ブエルタに土井ちゃんと
グランツールすべてに日本人選手が出場している。
これはおそらく史上初の快挙だと思う。
それをリアルタイムで見られるのは、ラッキーだ♪
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弁当作り再開

2012年08月27日 | 家族
落車して、木金の二日間弁当を作れなかった。

今朝はいつも通りに(手抜き気味の)弁当を作って持たせた。
こんな弁当でも喜んで完食してくれる次男に感謝(^^)

そして仕事も再開だ。
当分ジテ通は出来ないが、車の運転が出来るようになったのはありがたい。
固定バンドの上からニットのカーディガンを羽織ったら
一見それとは分からなくなったのも嬉しい。

早く骨が再生されますように(祈)。

平素はサプリメントとは縁遠い私だが、
キトサンとカルシウムとグルコサミンを摂取。
牛乳も朝晩200ccずつ飲んでいる。

------------------

土曜日の20:00過ぎ、長男から無事に帰り着いたと連絡があった。

2時間後の22:27にまた長男から電話。

「生いくらを買ってきたら、たれ(漬け汁)がついていない。
たれはどうやって作ればいいの?」

「基本は、しょうゆとみりんと酒を1:1:1で、一度煮立てる。
甘いのが好きならみりんを多めに、辛みが足りなければしょうゆを。
自分で味見をして調整すればいいから。」

「分かった、ありがとう。
後、明日の朝5:00に起きなきゃならないので、電話して。」

家事に関してはしっかり自立している一方、
モーニングコール依頼は相変わらず。
このギャップがいかにも長男らしくて、楽しい^^
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鎖骨固定バンドを改良

2012年08月26日 | 自転車
一晩寝るごとに痛みが和らいでいく。
腫れが引いて固定バンドをしてもあまり苦しくなくなった。
だんだん動けるようになってきた今こそ
固定バンドを真面目に装着しようと思った。

問題はマジックテープで止める部分が背中の中央にあって
一人では着脱が出来ないことだ。
通常は次男と二人きりだし、常に手伝って貰える状況ではない。

アイデアが浮かんだ。

左側のマジックテープ先端に穴を空けて50センチほどのヒモを通す。
しっかりと身につけた状態から左側だけを解放する。
この時にヒモをたぐると簡単に外れる。
で、着けるときは右を通して、緩めた左を通して
ヒモを引いて、締め具合を調節する。

実際にやってみたらうまくいった!
これでいつでもどこでも自分一人で着脱可能になった♪


今日は包丁で桃をむいた。
桃の皮をむくのがこんなに嬉しかったのは初めてだ(笑)。



鎖骨固定バンドを装着したところ。


後ろ中央で通したマジックテープを折り返して固定。
黄色い○の部分にひもを通した。

(写真は8月29日の撮影で、鏡像のため左右が逆。)
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ハリ治療の2回目

2012年08月25日 | 自転車
起きたとき、少し痛みがましになったと感じた。
右手に箸を持って朝ご飯を食べた。
但し口元まで持ってくるのがきつく、左手で右手首を支えた。

長男を起こして朝食を出す。

10:00からのハリに、自分で車を運転して行った。
ドアを閉めるのもエンジンキーを回すのも左手で、
ハンドルやウインカー操作も、右手でハンドルを支えつつ左手で。

ハリのA先生。
右肩から首にかけて触診し始めてすぐ
「病院には行きましたか?」と聞いてきた。

整形外科でレントゲン撮影をして、鎖骨骨折だったことを話した。
鎖骨固定バンドを巻かれたが、あまりにも苦しくて外してしまったことも。

A先生の考え方は
「治すのは患者自身(自己再生能力)で、ハリはそのお手伝いをする」
というものだ。
固定が必要な場合はあるが、過度な固定は逆に回復を遅らせるというのが持論だ。

「出来るだけ早く痛みが取れて、元通りに動くように
ハリでお手伝いをしましょう。」
と言ってくださった。
実際、わずか三日目で運転できるところまで回復したのは
ハリのおかげだと私は思っている。

固定バンドについては「装着しっぱなしが原則」とした上で
もしも寝相が悪くなく、外した方が楽でゆっくり眠れるのなら
ご自分の判断として
それでもいいのではないか思いますとのこと。

ぐっと気が楽になった。


長男は昼食後、13:16の電車で帰っていった。
夫が駅まで車で送った。

しな鉄が6:00台から10:40まで、倒木のために運転を見合わせていた。
長男の行動にはぎりぎりで影響しなかった。
小諸から小海線、中央線、横浜線、横須賀線と乗り継いで
鎌倉の家に着くのは20:00過ぎの予定だ。
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鎖骨がイッてた(>_<)

2012年08月24日 | 自転車
8年ほど前に五十肩をやったときの経験から、
私は整形外科をあまり信用していない。

しかし昨夜、夫と次男に
「とにかくレントゲン撮ってもらった方がいいよ。」
と繰り返し言われたのと、自分でも「やばいかな?」と思い始めて
今日の午前中、夫に連れられて整形外科に行った。

鎖骨の、肩に近い部分が折れていた。

落車 → 鎖骨骨折

実は落車した瞬間、頭をよぎった。
でも家まで自転車を漕いで帰れたことで、折れてはいないと思っていた。

カンチェラーラじゃあるまいに、ねぇ(^^;)


「なんですぐに来なかったのか?」とお医者さまに叱られ
鎖骨固定バンドを巻かれた。
羽交い締めの状態で「胸を張る姿勢」で固定。
三週間、寝るときも着けたままにするようにとのこと。
そしてあと一日(負傷から丸三日間)は氷で冷やすようにと言われた。

帰宅してすぐ、苦しさと痛さに耐えられず、夫にバンドを外してもらった。
どっと血がめぐって痛みが薄れて楽になった。
胸を張った姿勢で、力が掛からないように、動かさなければいいはずだ。

「外したら骨がくっつかないじゃないか!」
と次男に叱られたが、
「着かなきゃ着かないで別にいいわよっ!
痛くて苦しくて体が休まらなければ逆効果だしぃ~」
と逆ギレ気味に開き直って呆れられた。


------------------------
青春18切符が余っているから、と、長男が帰ってきた。

昨日突然長女のところへ行くことにして一泊し、
早朝に金沢まで行って22:16にこちらの駅に着いた。

せめて一品でも手作りのおかずを食べさせたくて
揚げなすの挽肉炒め、通称「なすミンチ」を作った。

右手に包丁を持って肘を体の横に付け
肩を動かさないよう体ごと前後に動かしてなすを切った。
揚げたり炒めたりは左手で。

長男はとても元気そうで、今日の旅行のことや近況を話してくれた。


------------------------
負傷後初めてシャワーを浴びた。
出来る範囲で石けんをつけて流した。
腰から腿の右外側を打撲したことは自覚していたが
鏡で見ておどろおどろしい内出血の色合いに愕然。

改めて落ち込んで、就寝した。
バンドは装着せず仰向け胸張り姿勢を意識して。
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落車した(T_T)

2012年08月23日 | 自転車
昨日は長女が日帰りでやって来た。

諏訪までドライブして、その後家に寄って晩ご飯を食べるという。
ジテ通なので夕方一旦家に戻り、車で買い出しに行くことにした。
16:45頃、雷が鳴り出し、雨雲レーダーでも強い雨雲(赤)が近いので
すぐに片付けて家に向かった。

交差点の信号がタイミング良く青に変わり
交差点を渡ってすぐのシケイン状の右カーブで、前輪が滑った。
何百回も通っている場所で普段通りの走りなのに、
なぜ滑るの~~?
そう思いながら、右側に倒れ込み落車した。

痛ぁ~~~~

右肩を強打した。
路面には砂が出ていて、ああ、それでグリップしなかったのかと分かった。
立ち上がって自転車を起こし、ゆっくりと漕いで帰った。

家に着くとちょうど次男が帰宅したところだった。

右肘下2カ所に擦り傷。
水でよくよく洗い流して、次男にパッドを貼ってもらう。
右肩の周辺が腫れ上がってひどく痛むので、横になって保冷剤で冷やした。
時々次男が新しい保冷剤を運んできてくれる。

結局買い出しどころではなく、帰ってきた長女には次男を連れて外食してもらい、
私は夫が買ってきてくれた刺身をご飯に載せて
左手のスプーンで食べた。

情けなくて痛くて、近年になく意気消沈・・・。

病気や怪我の時は眠るのが一番なので、早々に就寝した。

-----------------
一晩ぐっすり眠って、しかし痛みはまだひどい。

朝次男を起こして、簡単に朝食を整える。
右手が動かせず弁当はとても作れない状態のため、
どこかで買ってと1000円渡して送り出す。

夫(今日と明日、休みを取ってくれていた)にハリ治療に連れて行ってもらう。
痛みが治まるようにハリを打ち、
腫れが引けば悪いところがはっきりするとのことで
明後日にまた来る様に言われた。

昼食も夕食も、夫が買ってきてくれた総菜や弁当と
冷凍庫にストックしたご飯でしのいだ。
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お茶屋さんの宇治金時

2012年08月22日 | 暮らし、その他
次男の高校(長女の母校)の近くにお茶屋さんがあって
そこの抹茶ソフトが美味しいのだと、長女が教えてくれた。
特に夏だけ限定の抹茶かき氷が最高だという。

夏が終わって食べ損なってしまわないよう
早速、昼休みにひとっ走り、食べに行った。


目印はでっかい緑のソフトクリーム(笑)


歴史を感じさせる店内の一角に、10人ほどが座れる喫茶コーナーがある。

長女も高校時代にここで甘い物を食べたのだろう。
平日のお昼時のため、座っているお客さんはいなかった。



宇治金時450円。

かき氷+ソフトクリームなら350円で、
ミルクが50円、小豆あんが50円とプラスされる。

お茶の香りがして、ほどよい甘みで、とても美味しかった。
量もたっぷりで食べ応えあり^^
すっかり涼しくなって満足して店を出た。


帰りのT田新橋から。

山並みの上に雲がポコポコと連なって浮かんでいた。


ジテ通+御茶屋さん  13.2km  
積算走行距離    1277.5km
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日韓併合のまとめ

2012年08月21日 | 社会、読書
8月19日の記事で、日韓関係における贖罪意識に触れた。

私が「贖罪意識を持つべきでない」と考える根拠は
1910~1945年の日韓併合が朝鮮半島にもたらした諸々のことだ。
朝鮮半島の人々にとっては不本意な部分があったにしても
67年後の後の世代まで、日本人が謝罪することなどないと
総合的・常識的に考えればそうなると思う。


以下に、簡潔にまとめられているブログからの引用で紹介する。


ねずさんのひとりごとより:

【日本が朝鮮半島にした恐ろしいこと】

日本は恐ろしい国じゃ!!

★36年の日本帝国主義支配のせいで
★朝鮮半島の人口が2倍に増えて
★24歳だった平均寿命が30年以上伸ばされて
★人口の30%を占めていた奴隷が開放されて
★幼児売春や幼児売買が禁止されて

★家父長制が制限されて
★家畜扱いだった朝鮮女性に名前が付けられるようになって
★度量衡が統一されて
★8つあった言語が統合され、標準朝鮮語がつくられて
★朝鮮語教育のための教科書・教材が大量に作成され、持ち込まれて

★5200校以上の小学校がつくられて
★師範学校や高等学校が、あわせて1000以上つくられて
★239万人が就学して、識字率が4%から61%に上がって
★大学が造られて、病院が造られて
★カルト呪術医療が禁止されて

★上下水道が整備されて
★泥水すすって下水道垂れ流しの生活ができなくなって
★日本人はずっと徴兵されていて戦場で大量に死んだのに
★朝鮮人は終戦間近の1年しか徴兵されず、内地の勤労動員だけで済まされていて
★志願兵の朝鮮人が戦死したら、日本人と同じく英霊として祀られてしまって

★100キロだった鉄道が6000キロも敷かれて
★港が造られて、電気が引かれて
★会社が作られるようになって、物々交換から貨幣経済に転換して
★二階建て以上の家屋が造られるようになって
★入浴するように指導されて

★禿げ山に6億本もの樹木が植林されて、ため池がつくられて
★今あるため池の半分もいまだに日本製で
★道路や川や橋が整備されて
★耕作地を2倍にされて
★近代的な農業を教えられたせいで、1反辺りの収穫量が3倍になってしまって

風習とはいえ、乳を出して生活するのがとても恥ずかしくなってしまって
気がついたらいつの間にか近代国家になっていた。
~~~~~~~~

まるで冗談のような書き方をしていますが、ここに書かれているひとつひとつが、全て「根拠のある」事実です。

もうひとつ付け加えるならば、そもそも日韓併合の翌年である1911年の韓国の総予算は3565万円です。
うち韓国からの税収は1330万円です。
たった3分の1です。

足りない分をどうしたのか。
全額日本からの補充しました。
要するに倒産寸前だった韓国を日本が救済したのが韓国併合です。

-----引用終わり------

ご存じの方も多いと思うが、これらの事実は韓国では一切教えられていない。
1910年以前の朝鮮半島の実際の姿も国民には知らされていないのだ。
逆にいわゆる反日教育が数十年も続いている。

これでは日韓友好など、あり得ないと思う。

民族によるメンタリティの違いを軽く考えてはいけない。

ジテ通2往復   12.0km  
積算走行距離  1264.3km
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とっくり?

2012年08月20日 | ガーデニング・花
駐車スペースの横のシラカシに何かぶら下がっているのに気づいた。




とっくり?

トックリバチというのを聞いたことがある。
それかな?

ネット検索して、分かった。

コスズメバチの巣だそうだ。
女王蜂が一匹だけでこの形を作り、産卵。
そして生まれた働き蜂がこのトックリ状の巣を
よく知られたスズメバチの巣の形に作り上げるのだそうだ。

すぐに落とそうかと思ったが、初めて見るし珍しいので
家族に見せてからにしよう。
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WGIP

2012年08月19日 | 社会、読書
NHKの日曜討論を見た。
テーマは尖閣と竹島領土問題。

全体的にぬるくて歯がゆかった。
中では比較的真っ当な意見を述べていたのが
自民党の高村元外相だったのだが
その高村氏が、日韓関係(謝罪と賠償)について次のようなことを言った。

「国と国では既に決着が付いているんです。
国民が贖罪意識を持つのは大変良いことですが、
国としてのレベルでは、完全に決着していて
それを蒸し返してはいけないんです。
蒸し返してもいいかのような対応をしてはダメなのです。」

国民が贖罪意識を持つのは大変良いこと。

そうだろうか?

終戦から67年も経ったのに
戦争時には子供だったり生まれてもいなかった世代の国民が
今なお贖罪意識を持っているのは、異常では無いのだろうか?
そしてこの贖罪意識こそが、
日本人が胸を張って誇りと自信を持つことを、妨げているのではないのか?


WGIP
War Guilt Information Program
戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画

これは大東亜戦争(太平洋戦争)後に
GHQによる日本占領管理政策として行われたという政治宣伝で、
アメリカが戦争責任の一切を日本とりわけ軍部にかぶせるため、
日本人の言論の自由を封殺したものである。

7年にわたる占領と言論統制によって、
日本国民が真実としてすり込まれたのは以下のような筋書きだった。

日本の軍部・指導者達が世界征服を企み
日本国民は騙されて間違った戦争に駆り出された。
正義の味方のアメリカがその戦争を終わらせてやったのだ。
三百万の国民が米軍により殺戮され、日本中の都市が廃墟とされ、
現在の窮乏生活がもたらされたのは、
軍人や軍国主義者が悪かったのであり米軍の責任ではない。

日本人はアジア諸国に対してひどいことをしたのだと思い込まされて
それがそのまま今まで続いている。


私自身、つい一年前まで、すり込まれた筋書きに疑問を持っていなかった。
しかし目が覚めた途端、関連する物事がクリアに見えるようになった。
民族によるメンタリティの違いを知り、さらに整理がついた。


高村氏は次のように言うべきだったと思う。

「国と国では既に決着が付いているんです。
国民が贖罪意識を持つことも間違っています。
きちんと歴史の事実を知れば、分かります。」

そのように言わなかったのは、
高村氏でさえ、いまなおWGIPの影響から脱していないのか・・・

WGIP恐るべし!
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篠ノ井橋まで

2012年08月18日 | 自転車
9:30 スタート。
微風快晴で気持ちがいい。

10:20 佐良志奈神社で一休み。
今日は先へと走る。




10:42 昨日の雨で濁っているし水かさが増している。


長野自動車道をくぐった。空がきれいだ♪

11:06 篠ノ井橋から引き返す。


しなの鉄道の鉄橋

帰路も佐良志奈神社で休憩しかけたが、
ボトルが空になったので
コンビニでスポーツドリンクとクーリッシュを仕入れて


12:05 女沢公園にて改めて休憩。


12:35 大望橋を過ぎて

13:00 帰宅。

50km超えたのは久しぶりで脚がちょっと疲れたが、
その分達成感があって楽しかった!

千曲川CR    59.4km  
積算走行距離  1252.3km
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入道雲

2012年08月17日 | 暮らし、その他
朝から暑く、午後からは雨の予報だった。


12:15 入道雲が烏帽子岳の上に上がっていた。


10分後。天辺が伸びて高さを増している。

14:30頃から雷雨になった。
ずいぶん激しく降るので雨雲レーダーをチェックしたら、
赤や黄色のエリアが我が町に掛かっていた。

稲妻が光って間髪入れずに雷鳴が響く。

赤いエリアはなかなか動かず、
ようやく降りが弱くなった時には16:30を過ぎていた。

17:30 弱まったとはいえまだ大粒の雨が落ちる中を帰宅。
小学校の前に赤いポンプ車が2台止まっていた。
道路より低い給食搬入口の付近だ。
雨水が溜まったのだろう。

晩ご飯の支度をしていると、また雨が強くなり
雷もばりばりと鳴った。
南向きベランダ側の窓から雨が吹き込んでくる。
それが2時間ほど続いて、ようやく静かになった。

我が町のアメダスデータ(8月17日)

   気温℃  降水量mm  風向 風速m/s
21時   21.6    3.5    静穏     0
20時   21.4    14.5   南西     1
19時   21.4    14.5   南南東    1
18時   21.7     1.5   南       1
17時   21.5     10.5   東北東    1
16時  21.8     16.0    西      1
15時   23.5     16.5   東      7
14時   34.4     0.0    西北西   2
13時   33.0     0.0    南南東   2
12時   32.1     0.0    東      2
11時   30.8     0.0    南南東   1
10時   29.2     0.0    南東     2
09時   28.0     0.0    南南東   1

16ミリ以上の雨が2時間も降って、
雨で気温が一気に11°も下がったんだ。
夜にもまた15ミリ近い雨が2時間。
合計で70ミリの雨は、半端じゃなかった。
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