自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

エンジン警告灯

2016年02月26日 | 暮らし、その他
休みを取った夫と二人でスキーに行くことになった。
目的地は菅平。
11:15に家を出て、20分後、ローソンに寄って昼食用の弁当を購入した。

車に戻り、エンジンを掛けたとき、夫が言った。
「あれ、消えない?」
いくつかある警告灯の一つが消えないというのだ。
エンジンを切って掛け直しても同じ。

グローブボックスから取説を引っ張り出して調べたところ
点灯しているのはエンジン警告灯で
「直ちに販売店に」と書いてあった。

顔を見合わせて、どうする?

「直ちにって書いてあるからには、直ちに行くしかないんじゃない?」

相談がまとまり、引き返して、市内のトヨタに行った。
20分ほどの点検で
オキシゲンセンサーという部品が壊れていることが分かった。
2個あるセンサーのうち一つは死んでいて一つは生きているというが
部品の耐用年数を考えて二つとも交換することにした。
部品を取り寄せ、作業は明後日(日曜日)午後になる。

エンジン本体の異常でなくて一安心だ。

トヨタを出たのは12:30。
今から滑りに行くには遅いし、おとなしく家に帰って
コタツで弁当を食べた。

もしもローソンに寄らずに菅平に直行していたら
警告灯が付いたのは帰ろうというタイミングだったはず。
「それなら良かったのに」と一瞬思ったけれど
怪我とか事故とが良くないことが起こったかも知れず
今日はこれで良かったのだと思うことにした。
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ゴミとカスが一緒になっても

2016年02月25日 | 社会、読書
民主党と維新の党が合流して新党を結成するらしい。

民主党の中にも比較的物事が分かっている政治家もいるが
海江田体制から岡田体制に至る数年間、その人達の存在が見えていない。
彼ら「民主党の良心派」はこの際、袂を分かった方が良いと思う。

現在の維新の党は、民主党から出て、
橋下・松井氏が創った維新の党を乗っ取り、
その際政党助成金の国庫返納を拒否し続けた
私に言わせれば「カス」である。

民主党は、政権担当時の無能ぶりや、
現国会での週刊誌のみを情報源とした低次元な質疑など
我が国の利益にならない、ほとんど「ゴミ」みたいなものである。

ゴミとカスが一緒になっても役に立つわけもない。
いずれまとめてゴミ箱行きになる運命だと思う。

別のたとえ話をすると
腐ったミカンと腐ったリンゴを新しいフルーツ箱に入れ替えても
美味しい食べられるようなフルーツになるはずがない。

ミカン箱の中でもまだ腐っていないミカン達は
腐ったミカン達が新しいフルーツ箱に移るチャンスをとらえて
別の新しいカゴなり箱を作った方が良いと思う。

まあ、それができないからここまでグダグダやっているのだろうが
我が国の政治、ひいては国益のために
「民主党の良心派」の行動に、ほんのちょっぴり、極々少しだけ、期待している。
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カーディガンの袖をカット

2016年02月24日 | 暮らし、その他

ネットの古着屋で手に入れた、カネコイサオのモヘアカーディガン。

暖かいが何回か洗濯して少しきつくなってしまった。
普段着にしているが、
家事をするのに長袖よりも五分袖が便利なので
編み物づいている勢いで袖を直した。


はぎ目をほどいて、肘の下でカット。

切り取った部分をほどいて糸にする。


編み目を拾って、かぎ針で一段細編み、二段目は鎖編みと引き抜き編みで。

ついでにアームホールと胸幅を広げた。
脇下の袖と見頃のはぎ目をほどいて、菱形状に広げ、棒針編みで編み足すようにした。
見れば分かるが、脇の下になる場所なのでノープロブレム^^

とても着心地よくリフォームすることができた♪
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ウォーキングを頑張る

2016年02月23日 | 暮らし、その他
暖かさに誘われて、久しぶりにウォーキング。
12:35 スタート


12:54 U田橋を渡らず、千曲川左岸を下流方向へ。


13:05 F船橋方面。

F船橋を渡り、右岸を下流へ向かい、
13:16 矢出沢川を渡って右岸沿いに下流へと歩く。


13:18 矢出沢川(手前)が千曲川に合流する所

  
シラサギが飛び立った。


13:27 アクアプラザ
家から約50分かかった。

下流方向のU田大橋を回る予定だったが、脚が疲れてきたのでここから引き返す。


13:46 F船橋上流の千曲川右岸から上流方向。

ずうっと右岸道路を遡って、U田橋を渡って帰った。

14:05 帰宅
補給食を持っていなかったので、喉カラカラお腹ペコペコ。
スポーツドリンクをぐい飲みしてから、遅めの昼ご飯を食べた。

歩行距離 8.1km(10745歩) 消費カロリー 406kcal
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模様編みのベスト

2016年02月22日 | 暮らし、その他
1月にマフラーを編み始めたとき
編み棒を探して、買い置きの毛糸の箱を引っ張り出した。
20年以上前に買った毛糸である。

作品の余り毛糸の他に、セールで買ったらしいものも。
ひと玉100グラムの純毛輸入毛糸600円に300円の値下げシールが貼ってあった。
同色4玉もあるのは、いずれセーターを編むつもりだったのだと思う。

その中からくすみピンクの糸を使ってベストを編んだ。
着手したのは水色のマフラーを仕上げてからだから
所要日数は2週間くらい。


ネットで見つけた模様編みを、ゲージ計算し直して12号棒針で緩めに編んでみた。
毛糸の使用量は250グラム。


裾の透かし編みは水色のマフラーと同じ。


前を留められるようにボタンを付けようかな~

買い置き毛糸はまだまだ沢山あって
セーター4着くらい編めそう。
でももうすぐ冬が終わるしね・・・
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次男、北帰行に就く

2016年02月21日 | 家族
2月17日から帰省していた次男が札幌に戻る日だ。

5:30 起床
朝食を準備して、お弁当用にお握りを作る。


6:30 フィールダーに荷物を積み込んで
6:45 次男は出発した。

まず北上して、X-JAM高井富士へ。
午前中はそこで関東地区の友人達とフリースタイルスキーを楽しむ。
それから上信越道ー関越道ー北関東道ー東北道とひたすら走って
宮城県の長男宅に泊まる予定だ。

14:00過ぎに長男から電話があった。
「○○(次男)はもう出発したの?」
今夜泊まることだけで、行動予定や到着時刻については聞いていないらしい。

すぐに次男にメールをした。
「今どの辺りにいるかなど、兄ちゃんに様子を知らせて。」

少しして次男から着信。
14:38 今横川。した。

そして
19:58 ついたー

長女から
20:57 取りあえず宮城までは無事に着いたんだね。良かった!


こうして次男のマイカーライフが始まり
同時に私のノーマイカーライフ(?)も始まったのである。
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GOProって凄い!

2016年02月20日 | 家族
最近家電量販店の店頭で、超小型のビデオカメラを見かけた。
手のひらにすっぽり入るもので、屋外での様々な場面で使われているらしい。

その草分けで最も広く使われている「GOPro」を次男が持ってきた。
つい最近買ったそうで、昨日の志賀高原で早速撮影した。

自撮り棒のようなもので身体に付けたり、手で持ったりしてじぶんの撮影をする。
胸の辺りに付けて前方を撮影する。
ブーツに取り付けて雪面すれすれの景色が流れるのを撮影する。
本当に様々な使い方ができる。
そして画面が鮮明で非常に美しいことにもビックリした。
これでは次男が欲しくなるのも当然だろう。

以下に動画からキャプチャした静止画を載せる。


第一ゴンドラを滑る。


手前に次男(撮影者)の影。棒の先にGOProを取り付けているのが分かる。



自分が滑っている姿を動くカメラで撮影されたのは初めてで
素直にとても感動した。

子供によって世界が広がる。
これもまたその一つだ♪
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志賀高原焼額でスキー

2016年02月19日 | アウトドア
次男は今回スキー道具一式を持ってきた。
志賀高原焼額では20歳だと平日リフト無料だそうで
じゃあ、滑りに行こうじゃないか~

休みを取った夫と三人で
8:30 スタート。運転は慣れるためもあって次男の担当。
8:48 さかきICから高速に乗り、信州中野ICで降りる。
10:00 プリンス東館の駐車場に到着


10:10 準備中。

10:20 第一ゴンドラに乗車


10:40 天気最高。2月の志賀とは思えないような暖かさだ。

ゴンドラ三本滑って


11:29 ゴンドラ山頂駅で一旦次男と別れ、昼ご飯に南館へと向かう。


11:33 

南館まで行ったら、レストランが閉まっていた。
夫が係の人に確認して、東館と西館は営業中と分かった。
東館は高いから、西館に決めて次男に連絡。
第二ゴンドラに乗る。

12:00 西館に到着
次男は既に着いていた。


次男のランチはソースカツ重+アルファ


私のランチは豪華にステーキランチ(1700円)


西館のレストランは見晴らしがよい。

子供達が保育園から小中学生の頃は、毎年冬休みに西館泊まりでスキーに来ていた。
懐かしい。
当時に比べるとゲレンデもレストランもガラガラ。
いくら平日でも空き過ぎだ。

12:45 昼休み終了
身支度をしてクワッドリフトに乗る。


13:07 この冬フリースタイルスキーを始めた次男がバックで滑っている(笑)

第二ゴンドラに乗り、午後はずっと第一ゴンドラで滑った。

次男が「顎が上がるんだよね~」というので滑りをチェック。
「上体が被さり、前を見ようとして顎が上がる」ことが分かった。

スキーは荷重がほぼ全てである。
基本は真ん中からわずかに前、母指球の辺り。
荷重の調節は腰の位置と膝の入れ具合で行うが
次男は上体を倒したり起こしたりすることでやる癖のあることが分かった。

板の上に立ち静止状態で、前、真ん中、後ろと荷重点を動かしてみる。
足裏の感覚で「どこに乗っているか」を意識する、感じる。
次に緩斜面でゆっくり直滑降しながら、前、真ん中、後ろ。

とにかく上体を被せないことを意識して
被ってきたと気付いたら起こして
それで荷重が後ろに逃げそうになったら
腰(おへそ)を前に出すことで前荷重へと修正する。

ストックワークや、頭や上体がやたらに揺れるなど
直した方が良いと思われる癖はいくつかあるが
滑りながら意識できることはせいぜい一つか二つなので
まずは最も大事な、上体を起こすことと荷重位置を指摘しておいた。

デジカメの動画で次男の滑りを数ショット撮影し
東館一階で休憩しながらチェックした。
次男は自分の滑りを見ることはあまりないらしいが
思ったよりは格好いいかも~と笑っていた。

ゲレンデを滑りながらやゴンドラの中で
下半身で滑ることの大切さや
上体はリラックスさせいかなる状況にも対応できるような構え(準備)をとることで
リカバリーが可能になること、
ストックワークでは小さくかつ力強く突くことなど
先生2(=夫と私)対生徒1(=次男)でスキー技術講習会が展開した(笑)。

夫が先に上がったので


15:55 最後のゴンドラは私一人。
左に見えているオリンピックコースが滑り応えがあって最高だが、もう誰もいない。

最終の一本、オリンピックコースで、別々に滑っていた次男に追い越された。
ゴンドラは16:00で終了。
もう一本クワッドに行く、という次男を見送って

16:05 車に戻った。
ブーツを脱いで、スキー道具を車に積み込んで。
喉がからからだったのでスポーツドリンクを一気飲み。
程なく次男も戻ってきた。

16:30 駐車場を出発
私はちゃっかり後部座席でゆっくり眠らせてもらった。

ガソリンスタンドとツル○に寄って
18:40 帰宅

好天と次男につられてガンガン滑った。
こんなにがっつり滑ったのは本当に久しぶりで、
心地よい疲労感と満足感いっぱいだ♪
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やっぱり敗退 オープンエントリー2016

2016年02月18日 | 社会、読書
本日16:36:24、落選の連絡が届いた。
結局は思った通りの結果で、今更もうガッカリもしなかった。

458名の内、何人を面接したか、選考のポイントは何か、など
どこまで公開されるのかが楽しみだ。
それにより、本当に「オープン」なのかどうかが明らかになる。

折しも自民党が参院選に、
女子サッカーの澤選手を担ぎ出す動きがあると耳にした。
それが本当ならうんざりだが、きっと本当なんだろうな。

まあ、もういいや。


件名:【自民党オープンエントリー2016】書類選考の結果について

拝啓 
余寒の候、貴殿にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

このたびは、「オープンエントリー」プロジェクト2016にご応募いただき、
誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。

ご登録いただいた情報をもとに慎重に審査いたしましたが、
残念ながら今回はご希望に添えない結果となりました。

今回、458名という多くの方から応募していただいたことは、誠に光栄なことで
あり、
今後も気を引き締め、本プロジェクトの成功に向け、より一層努力していく所存
です。

このような残念な結果をお伝えしなければならないことを大変心苦しく感じてい
ますが、
事情ご賢察の程お願い申し上げます。

今後も自民党に対し、ご理解、ご支援、またご意見賜りますようお願い申し上げ
ます。

最後になりますが、貴殿の今後のご活躍を祈念申し上げますとともに、
ご応募いただいたことに重ねて御礼申し上げます。

敬具

平成28年2月吉日
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温故知新塾 第二回

2016年02月17日 | 社会、読書
午前中から晩ご飯の支度をした。
ポークシチューはシャトルシェフ(保温鍋)を使った。
寒締めほうれん草はサッとゆでただけで皿に盛ってラップをかぶせる。
カキのアヒージョは油が煮たって2分で火を止めてホイルで蓋をした。
本来は15分ほど弱火で煮る料理だが、余熱で火が通って、食べるときにもう一度温めるから大丈夫。

15:50に家を出て
15:22のあさまに乗って、東京駅からは山手線。
 

17:45 会場のビル入り口にはポスターが掲示されていた。

今日は先に着いていたNさんが、最前列に席をとっておいてくれた♪

18:00開始
「全体としての日本人像」と題して
勤勉、忍耐、異文化・異宗教に対する寛容、和の精神
等について紹介された。
その上で、愛国心が薄れている現状をどのように挽回するか。
多くを考えさせられる講義だった。

19:30 終了
上野駅まではNさんと一緒で、20:42のあさまで22:30帰宅。


夕方の飛行機で次男が帰省した。
松本空港からは夫の車で、途中買い物などして帰っていた。
きちんと晩ご飯の用意をして出掛けたのは、そのため^^

今回の帰省の目的は、札幌に車を持って帰ることだ。
いよいよ「私の車無し生活」が現実のものとなる。
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男性の育児参加について

2016年02月16日 | 社会、読書
2月14日の記事では大きく二つの事を述べた。

一つは
制度上、出産後に保育に欠ける状態が生じるという切実な問題があって
それを解消することこそが
育児休業制度の最大の目的であったこと。

もう一つは
理想的な(最高の)子育てとは
「三歳までは母だけの手で」では決してないこと。

母だけではないなら、まず誰が登場するか。
言うまでもなく父である。
子供に一番近い存在であり一番責任ある立場だからだ。

長男が生まれたとき、夫とは別居中だった。
別に夫婦仲がやばかったからではない。
そうではなくて、
長野県に住んでいたときに見つかった私の仕事が宮城県で
2歳の長女と子連れ赴任し、夫を置き去りにすることになったのだ。
(この時、迷う私の背中を強く押して、送り出してくれたのが、夫である。)

500km離れて、片道8時間もかかる道のりを
3週間か1ヶ月ごとに、夫が通ってきた。
来ている間は炊事以外の家事を受け持ち、子供達の保育所への送迎もしてくれた。

夫は当然のこととして、全力で育児に協力してくれた。

次男が生まれたときには同居が実現していたから
長男の時とは比べものにならないほど多くの時間と労力を
夫は育児に投入してくれた。

満一歳の検診にも夫が連れて行った。
すると市の職員の方が
「これこそ男女共同参画だ!」と感激して写真を撮り
それが市の広報の表紙を飾ったこともある。

イクメンなどという言葉が出現するずっと前から
子育ては両親の共同作業であると考えて実行していた男性はいたのである。


子育ては長期戦である。
誕生直後からの育児休暇はそのほんの入り口に過ぎない。
保育所に預けるようになり、小学校に上がってからも
病気になったり行事があったりで
次々に仕事を休む必要が出てくる。
私も有休が足りなくならないか、ヒヤヒヤだった時期もあった。

そうしたとき男性も休みを取りやすい環境を作る取り組みは
女性が働き続けるために
これからも強めていく必要があるだろう。
男性の育休取得率が低いことにばかり拘るのも、どうかなぁと思う。

そもそも非正規雇用などで有休も満足に取れない職場もある。
国会議員の仕事とは、
そうした職場の労働環境を少しでも良くするための
法整備や制度を作ることのはず。

子供が生まれま~す!
だから僕も育休を取りま~す!

口先だけでイクメンを気取った国会議員の浅薄さは
腹立たしく気持ち悪い。
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まだ終わっていない オープンエントリー2016

2016年02月15日 | 社会、読書
2月12日の記事にお二人の方からコメントを頂いた。

私と同様に応募して面接の連絡を待ち続け、「なしのつぶて」にガッカリされていた。
友達も含めて少なくとも5人が事務局の対応に失望したという現状に
思い切って事務局に電話して問い合わせた。

「12月17日のメールでは
2月初旬に面接審査の日時を案内、2月中旬に面接実施
とのことだったが、その後何の連絡もない。
おそらく書類審査で落とされたのだと思うが
それならそれで
「面接者への連絡は○日に発送しました。選に漏れた皆様には申し訳ないが今後ともよろしく。」
くらいのメールを送ってしかるべきと思うのに
何故、一切の連絡をされないのか。」
と尋ねた。

すると
「書類審査と面接を同時進行でやっているので
面接予定者全員に通知が済んでいるわけではない。
審査は遅れていて、したがって当落は確定しておらず、
通知ができない状態だ。」
という。

「それならそれで、選考が遅れています の通知だけでも出して欲しい。
現状では応募した人(=自民党に期待している人)が失望感と不信感を強めている。
折角意欲的な取り組みをされて、期待している人も多いのだから
誤解されないようにしっかり対応して欲しい。
それが応募者への最低限の礼儀ではないのか。」
と伝えた。

応対した方は声からすると若いようで
「自分の一存では決められないが、
そういう声があったことを必ず上部に伝えます。」
とのことだった。
さらに確認すると
ファイナリストを3月12日に発表するというスケジュールは
動かないそうだ。

審査がまだ終わっていないのは朗報だった。
その一方で、
応募者がどんな思いで連絡を待っているかということへの
気遣いがないこともよく分かった。

というわけで、まだ敗退は決まっていない。
決まっていないが、私の場合は可能性は低い。
11月末に書類を送ったのだから
脈があるなら早い時期に連絡があっただろう。

おそらくは書類審査でよさげな応募者から
順次面接していると想像され
私の所にまで順番が回ってくるかどうか・・・

もう期待はしていない。
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育児休業制度が実現した頃のお話

2016年02月14日 | 社会、読書
私が長男を出産したのは1989年11月。
国家公務員(研究職)で、宮城県のとある町に住んでいた。

当時、出産に関わる休暇は
産前6週間、産後8週間(多胎妊娠の場合は産後10週間)のみ。
一方、市立保育所は生後3ヶ月からの受け入れだった。
つまり、産休明けから生後3ヶ月までの保育をどうするかが深刻な問題だった。
その頃は生後8週間の乳児を預かるような私設の保育施設は無かった。

3歳の長女が既に市立保育所にお世話になっていたので
早くから先生方にお話ししてお願いして
11月生まれなら2月1日から、慣らし保育を経て受け入れて貰えることになった。

幸い長男は11月下旬に生まれてくれたため
産休明けから有給休暇を10日ほど取得させてもらって
何とか2月1日を迎えることができた。

この時点でゼロ歳児保育を実施している市立保育所は1カ所のみで
長女が通っている近所の保育所とは別の所だった。
朝、車の後部座席に固定した衣装ケースのベッドに長男を寝かせ
助手席に乗せた長女を一つ目の保育所に送ってから
長男を二つ目の保育所に連れて行き、出勤。
夕方は長女をピックアップしてから長男を迎えに行き、帰宅。

新年度4月から長女の通う近所の保育所に
新しくゼロ歳児クラスができることになってホッとしたのを思い出す。

元々、産前産後休暇は、母体の保護が目的である。
その後の保育の確保という観点は、全く無かったのである。

職場復帰してからは、組合の要求活動や署名活動に取り組み
満一歳までの育児休業制度の導入を働きかけ
最低限生後3ヶ月までは休めるようにしないと
保育に欠ける状態ができてしまう現実を強く訴えた。

働く女性の先輩達から続いてきた要求が実って
育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律(平成3年法律第76号)(通称:育児介護休業法)が
遂に1991年に制定、1992年に施行された。

その後長野県下に転勤して、1995年に次男が生まれた。
満一歳までは育児休暇が取れるようになっていたが
私は保育所に預けられる生後3ヶ月までのひと月強だけ休んで
速やかに職場復帰した。

長男出産時に、職場復帰してすぐ
重要な会議でのディスカッション中に
専門用語が出てこなくて冷や汗をかいたりなど
しばらくは勘が戻らないことを経験していたからだ。

それでも有休の残日数を気にせずにすむのはありがたかった。

都会では年度途中でゼロ歳児保育に入所するのは非常に難しい。
満1歳までの育児休暇は、女性が出産後も働き続けるために
必要不可欠な制度だと確信している。

その後育児休暇が満3歳までに拡張された。
仕事の種類にもよるし、個人差もあるだろうが
長く休めば職場復帰も大変だろうなぁと思う。


当時も今も「三歳までは母の手で」と言われる。
幼子は母が育てるべきだという意味だ。

しかしそれは決して「三歳までは母だけの手で」
ということではないはずだ。

子供達3人を育てる際に、実に多くの方達の手を借りてきた。
手を借り知恵を借り、本当に多くのことを教えられながらの育児だった。
しかし常に「育児の司令塔は母」と考え判断し行動してきたつもり。

子育てにおいて、どれほど物理的に手を掛けるかよりも
どれだけ多くの心を掛けるかこそが大切なのではないだろうか。
働きながら3人を育ててきた私の実感は、そのようなものである。
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チャラ過ぎるチャラ男

2016年02月13日 | 社会、読書
「恐ろしく低レベルの騒ぎを引き起こした宮崎某」こと
宮崎謙介衆院議員が、議員辞職した。

その記者会見を見たが、
恐ろしく芝居がかっていて、誠実さも反省の気持ちも伝わってこず
人間の薄っぺらさ、自惚ればかりがにじみ出ていていた。
こんな人間が公募で公認されて、国会議員になったわけね・・・。
選んだ自民党の低レベルを再確認した形で
改めてガッカリ、うんざりした。

元々が異性関係にルーズな男で
未婚だろうと既婚だろうと、妻が臨月であろうと無かろうと
「欲」のおもむくままに行動していたという。
「もてるんだからしょうがないだろ」と言いそうな印象だ。
政治家以前に、一般の社会人としてモラルが低すぎる。

こんな男に一票を投じた有権者にしても
自民党公認でなければ票を入れなかったのではないだろうか。
つまり自民党の候補者選びに携わった人達の責任は重大である。

世界情勢が厳しさを増す中で
政権与党たる自民党は、
自らの目的が日本を守ることであると強く意識して欲しい。
党勢の維持拡大はその一つの手段に過ぎないし
「質の向上」を置き去りにしての党勢拡大など
本来はあり得ないはずだ。
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予想外の敗退 オープンエントリー2016

2016年02月12日 | 社会、読書
7月の参院選比例代表候補者を公募する
自民党の「オープンエントリー」プロジェクト2016。

2月初旬に面接審査の日時を案内、2月中旬に面接実施」のスケジュールだったが
とうとう何の連絡もなく、書類審査ではじかれたようだ。

書類審査で落とされるということは、
「箸にも棒にもかからない、冷やかしと同類、こういう人は全然必要ない」
と見なされた訳で、非常に落胆した。
実は面接までは行ける自信があったのだが
まさかの敗退で、とても悔しい。

自民党は一体どういう人材を必要としているのか・・・。

そもそもこのプロジェクトの目的は何だろう?
おそらく一つは人材の発掘で、もう一つが話題作りだ。
私はメインが人材の発掘だと思っていた。
それなら一応のレベル以上の応募者にはできる限り面接をして
今後に備えた人材リストを作るはず。

政経塾で知り合った友達も何人か応募したが
私と同様に「なしのつぶて」であるという。
それぞれが仕事や家事をやりくりして政経塾に通い
国家観や愛国心がしっかりしていて勉強もしている
志の高いガッツのある女性達だ。

それがそろいも揃って書類審査ではねられた。

はねられた理由として唯一考えられるのが
50代、60代という年齢。
要するに若くないから対象外にされたのだろう。

折しも32歳の歌手(SPEED)が公認された。
恐ろしく低レベルの騒ぎを引き起こした宮崎某は、公募からの公認で35歳だ。

昼のワイドショーで
「公募ではあまり良い人材は集まらない。」
「仕事を簡単に変える、一つのことに真剣に打ち込んでいない傾向の人が多い。」
などと言っていた。

それは男のことだろっ!
しかも選ぶ側の見識が低くて見る目が無いせいだろっ(怒)!

選ぶ側、決定権を持つ側のレベルが低く
話題作りに走るばかりで
志と能力を持つ本来の意味での人材を選ぶことができない。

つまりはそういうことだ。

SPEED,宮崎某、そして歯舞を読めない北方担当大臣と
話題作りならもう十分だろう(怒笑)。

そして、2月中旬の予定を空け
2月初旬の10日間、メールと郵便物をこまめにチェックして
連絡を待ち続けた一人として言いたい。
事務局はせめて
「面接者への連絡は○日に発送しました。選に漏れた皆様には申し訳ありません。
これに懲りずに今後ともよろしく。」
くらいのメールを送ってしかるべきと思う。
それが応募者への最低限の礼儀ではないのか。

これが自民党の限界というか本質なのだろう。
党員の一人としても、情けなくて涙が出るが
それでも、めげずに次のことを考えよう。

負けるもんかっ!
コメント (4)
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