自転車に乗ろう♪

自転車のこと、ロードレースのこと、庭のこと、日々の暮らしのことなど。    HN:Emmy(えむえむ)

トルコがダーイッシュ(=IS=自称イスラム国)を支えているらしい

2015年11月30日 | 社会、読書
自称イスラム国(IS、ISIL)は現地ではダーイッシュと呼ばれている。
当ブログでも、今後はダーイッシュの呼称を用いる。


11月24日に、ロシア機が領空侵犯したとしてトルコがこれを撃墜した。
その背景がだんだんと明らかになってきている。

トルコは隣国シリアのアサド政権を潰したい。
そのために反アサド政権側を支援している。
ダーイッシュも反アサドであり、
ダーイッシュの悪行にもかかわらずトルコはこれを陰で支えているらしい。

例えばヨーロッパからダーイッシュに参加するためにやってくる若者は
どこからシリアに入るか?
トルコ経由である。
トルコが国境でシリア入国出国を阻止しようと思えばできるのに、しない。

またダーイッシュの豊富な資金源の一つとして知られる原油の密売だが
誰が買ってどこを経由して出回るのか?
実はトルコのエルドアン大統領の息子が元締めで、トルコ経由で世界各地に出回っている。
ダーイッシュの資金源を守ると同時に、エルドアン政権も金儲けをしているのだ。

有志連合の空爆にもかかわらず、効果が上がらないのは何故か?
本気でダーイッシュを叩いていないからだ。

ロシアが空爆を開始し、原油を運ぶタンクローリーを数百台破壊した。
ロシアは本気の攻撃をしているわけだ。
そのタンクローリーの車列はトルコ国境に向かっていた。
トルコに取っては甚だ不都合な状況だ。
それで事前にNATO(トルコはそのメンバー)に根回しをした上で
ロシア機を撃墜してロシアを牽制した、というわけだ。

ダーイッシュと地上で命がけで戦っているのはクルド人である。
トルコ国内にも多くのクルド人がいる。
現在のシリア・イラクの混乱の結果として
もしもクルド人の国、クルディスタン建国となれば
トルコ国内からも分離独立の動きが出てくる可能性は高い。
エルドアン大統領はそれを恐れていて
2013年には和平合意がなされていたクルド人勢力に対して
ここに来て武力攻撃を始めた。

トルコでの自爆テロ(死者100人以上)やクルド人弁護士暗殺など
ダーイッシュの犯行かもしれないが
むしろエルドアン政権の意向に沿っていると見える。

トルコはイスラム世俗主義国家として欧米と上手く付き合い繁栄してきた。
しかしエルドアン大統領はイスラム原理主義に回帰しつつある。
一方シリアのアサド大統領はバリバリの世俗主義者である。
さらにトルコ国境に近いシリア領内には
トルクメン人(トルコ人と同じ民族)が居住していることから
シリアの混乱に乗じて国境を引きなおし
あわよくば領土を広げられたらいいなという思惑がトルコにあってもおかしくない。

だからといってエルドアン政権がダーイッシュを支援するというのは
中東及び世界の平和安定にとって許されることではないと思う。
現在のトルコとロシアの対立に関しては、明らかにロシアの方が正しい。

トルコは親日国であるが、トルコ国民及び中東地域の人々の幸福を願うなら
日本国は盲目的にエルドアン政権を支持してはいけないと思う。
歴史的に国民同士が親しみを感じていることと
外交において時々の政権を支持するか否かは、別次元の問題である。

第一に考えなくてはいけないことは、
我が国の国益そして世界の安定と平和である。
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山口二郎氏のこと

2015年11月21日 | 社会、読書
法政大学教授の山口二郎氏が、平和安全法制に反対する集会で
「安倍に言いたい。お前は人間じゃない!たたき斬ってやる!」
と発言したことは記憶に新しい。
恐るべき言葉の暴力であり個人攻撃であり
まともな大人が口にするような言葉ではない。

2015.8.31 産経新聞
【安保法制】
国会前集会発言集(1)「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる」山口二郎法政大教授

以前からテレビで見る山口氏には異様な印象を受けていた。
学問をする人とは思えない飛躍した論理には説得力を感じなかったし
目つきと表情が何とも言えず怖かった。
言葉で説得できないから、遂に刺激的なアジ演説に走るようになったのだろう。


その山口氏のコラムが11月15日の東京新聞に掲載された。

心の底から安倍さんが嫌いなことはよく分かるが

「自民党が来年の参院選で勝てば、日本の民主主義は終わりである。」

というのは、全く意味不明である。
日本は世界に誇る民主主義の国である。
選挙の結果が自分の思うとおりにならなければ
「民主主義が終わり」だと断じる神経が、私には理解できない。

現政権が法に則って辛抱強く審議をして物事を進めていることは明らかだ。
しかしいくつかの野党も賛成した採決に「不当な強行採決だ」と言いがかりを付け
事実に基づかない非難と罵りを、大声で叫び続けている。

さらに

「今の野党に必要なのは、安倍政治に敵がい心を持ち、これを何としてでも終わらせたいという欲求を持つことである。」

となると、ほとんどテロリストの思考回路に近い。
「何としてでも」つまり「どうやってでも」「手段を選ばすに」ということになろう。
公然とこのような事を言えるって、かなりヤバくないかな?


2年前の今頃、次男は高校三年生で
国際公務員など、国際貢献にかかわる仕事を目指していた。

年が明けて、センター試験があり
その結果を受けて受験する国立大学を決めた。
それまで全く話題にも上らなかった大学だが
ランク、歴史、立地等、どこから見ても素敵な大学だった。

実はその時、私の心の奥に小さな「不安」「陰」があった。
次男が合格したら進むであろう法学系に山口二郎教授がいたのだ。
もしもの時には「指導教授にだけは選ぶな」と言おうと密かに心に決めていた。

運命は良い方に向かって次男がめでたくその大学に合格し
入学式を終えて少ししたとき
テレビに山口氏が出演していた。
その肩書きが「法政大学教授」となっていたのには我が目を疑った。
急いでネットで調べ、その4月に法政大学に移ったことを確認した。
次男と入れ違いで、あの大学から出ていっていたのだ。

小さな「不安」「陰」が払拭され本当に嬉しかったし、ちょっとビックリした。
我が家には八百万の神々が味方に付いてくれている!
そんな風に思えた。

最近の山口氏の「ご活躍」を見るにつけ
よくぞあの時法政大学に移ってくれたものだと
一人ニヤッとする私である。
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水泳再開♪

2015年11月20日 | 暮らし、その他
ハワイ遠征から戻って初めて、プールに行った。

マウイの海で泳いでウミガメを見たのは実にワクワクする経験だった。
行くまでは「最初で最後」と思っていたが
今は「もしもチャンスがあればまた行きたいな~」という気持ちだ。
だからこれからも水泳を続けようと思っている。

14:00にプールに入り、歩いたりクロールの練習をしたり。
でもほとんどの時間は平泳ぎで泳いだ。
気持ち良く身体が動き、一往復して休むことを3回くらい。
それから休まずに二往復、つまり100mを泳いだ。
のどが渇いて顔がほてる感じがしたのでプールから上がって水を飲んだ。
水に入って、もう一度100mを休まずに泳いだ。
さすがに最後の25mはスピードが落ちたけれど、足を付かずに泳ぎ切った。

50分泳いだらもう十分で、プールから上がって浴室に移動して
風呂でゆっくりと暖まり、帰宅した。

18:30からは近所の中華料理屋で、地区役員の慰労会に出席した。
2年間の任期をもうすぐ無事に終えることが出来る。
地区の結びつきは大切だと思うし、
役員として行事を実施するのは大変だが面白い仕事だった。

一緒に汗を流した仲間達と、賑やかに祝杯を上げた。
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アウンサンスーチー氏の本質

2015年11月13日 | 社会、読書
ミャンマーの総選挙が行われ、野党NLDが大勝した。
昼ご飯を食べながら見ていたテレビのワイドショーで
ミャンマーの概要と今回の選挙の意味、今後の展望などを解説していた。
曰く
ミャンマーは70%がビルマ民族で、残りが多種多様な少数民族である。
90%の国民が仏教徒である。

それは事実であるけれど、
ミャンマーという国を理解するために一番重要な、歴史という部分が欠落している。

元々ミャンマーはビルマといい、ビルマ民族だけの単一民族・仏教国家であり王政を敷いていた。
19世紀になってイギリス植民地となっていたインドと国境を接し
イギリスと衝突するようになった。

ウィキによると
イギリスの挑発で引き起こされた1852年の第二次英緬戦争で敗れると、ビルマは国土の半分を失い、国王パガン・ミン(在位:1846年–1853年)が廃されて新国王にミンドン・ミン(在位:1853年–1878年)が据えられた。イスラム教徒のインド人・華僑を入れて多民族多宗教国家に変えるとともに、周辺の山岳民族(カレン族など)をキリスト教に改宗させて下ビルマの統治に利用し、民族による分割統治政策を行なった。インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。この統治時代の身分の上下関係が、ビルマ人から山岳民族(カレン族など)への憎悪として残り、後の民族対立の温床となった。下ビルマを割譲した結果、ビルマは穀倉地帯を喪失した為、清から米を輸入し、ビルマは綿花を雲南経由で清へ輸出することになった。
(中略)
1885年11月の第三次英緬戦争で王朝は滅亡。1886年6月、英清ビルマ条約でイギリスは清にビルマの宗主権を認めさせると、ビルマはイギリス領インドに併合されてその1州となる。国王ティーボー・ミン(在位:1878年–1885年)と王の家族はインドのゴア州ボンベイの南に近いラトナーギリーに配流され、その地で死亡した。
ーーーーーーー

つまり今のミャンマーを苦しめている民族問題や宗教問題は
帝国主義国家イギリスによって人為的・意図的に持ち込まれたものである。
民族対立や宗教対立を抑えて国を安定させるためには、強い力が必要である。
人権や民主主義を優先していたら国が崩壊し
再び大国(例えばチャイナとか米国とか)に翻弄されることになる。
ミャンマーで軍事政権が長く続いているのは、
国家を維持する上でそれ以外の選択肢がなかったという背景を知る必要がある。

さて、そこでアウンサンスーチー氏である。

彼女は「独立の父」と呼ばれるアウンサン将軍の娘である。
アウンサン将軍は大東亜戦争末期に敗色濃厚となった日本国を裏切ってイギリスに寝返った人物である。
(小国が生き残る為の選択だったのだろうから、それを咎めるつもりはない。)
1947年に将軍は独立を成し遂げることなく暗殺されるが、背後にイギリスの工作があったとも言われている。

アウンサンスーチー氏は17歳の時にインドのデリーに移り、19歳でイギリスに渡り
オックスフォード大学(イギリス)で教育を受け、その後もイギリスに住み続け
イギリス人男性と結婚して家庭を持った。
そうして43歳になるまで、ずっとイギリスや西側先進国に住み西欧の価値観の中で生きていた。

17歳から43歳までの間に形成された人格や価値観は簡単に変わるものでは無い。
アウンサンスーチー氏の心はビルマ人ではなくイギリス人と見るのが正しい。
イギリス人の価値観で見れば20世紀後半にもなって
「ばらばらになりかねない国をまとめていくには強権的な支配もせざるを得ない」
ということが理解できず許せない。

アウンサンスーチー氏は軍事政権によって長く自宅軟禁されていた。
本当に軍事政権が極悪なら、さっさと処刑するなり始末していただろう。
そうせずに自宅軟禁という穏便なやり方を取ったのは
「もうちょっと国情が安定するまで、かき回さないで。おとなしくしていて。」
ということのように思える。

日本では
軍=悪 軍事政権=弾圧・独裁=極悪
という短絡的な思考がまかり通っている。
それはWGIPとその後継者である教育者や研究者によって
「大東亜戦争で大日本帝国軍が極悪非道なことをした」
と刷り込まれているからだが
それはとても一面的で間違った見方である。
国情が安定しない国において、西欧的米国的な民主主義が如何に使えないか
アラブの春で明らかになったはずだ。

それにしても
ビルマ独立の父の忘れ形見を、先進国で教育を受けさせ結婚までさせるという方法で
「イギリス人の心を持ったビルマ人」に作り上げたアングロサクソンとは実に恐ろしい民族だ。

日本のメディアや多くの識者が民主化運動の指導者と崇めるアウンサンスーチー氏が
法律的な裏付けもなく「自分が最高権力者として君臨する」と宣言したそうだ。

2015.11.11 産経新聞
【ミャンマー政権交代へ】
スー・チー氏「私がすべてを決める」 権力集中の姿勢強める


それは法治国家のリーダーとしてあり得ない姿で
西欧諸国に祭り上げられ勘違いした彼女の末路は悲惨なことになるのではないだろうか。
いや、彼女は十分に脚光を浴びて良い思いもしただろうから、それでも構わない。

その姿に幻惑されて期待を寄せたミャンマーの人々が、
間違った選択の結果、悲惨な目に会わないことを祈るばかりである。
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憲法改正一万人集会

2015年11月10日 | 社会、読書
日本武道館で憲法改正を願う集会があるとネットの情報で知った。
たまたま政経塾の日なので、参加することにした。


13:00 小雨がぱらつく中を、日本武道館に到着。

大型バスで団体参加者がたくさん来ていた。
私は一般参加で、裏手の入り口から中に入った。

係の方の誘導に従って舞台に向かって右の三階席に向かった。


13:08 座席に着き、配布された資料を撮影する。
主催者は、美しい日本の憲法を作る国民の会。


フロアなどは団体参加(動員)らしいが
私の周囲の一般席もどんどん人が来て埋まっていく。
若い方から年配者まで、幅広い年齢層で女性も三分の一くらいはいる。
しかも1人で来ている方が多かった。
これほど目覚めている、問題意識を持つ方がいることに
心強いものを感じた。


13:59 開会1分前。


座席はびっしりと埋まっている。

14:00 開会

国歌斉唱
安倍総理のビデオメッセージが流れ
主催者代表の櫻井よしこ氏が挨拶。
中山恭子さんが、か細いのに説得力のある演説をされ
ケント・ギルバート氏や海外からの来賓も挨拶された。

決議文が採択され、ガンバローを唱和して
16:00 閉会

参加人数は11321名とのこと。
日本武道館の収容人数は12000と言われているから
これは水増し無しの実数だと思う。

地下鉄で永田町に移動して
駅ナカのカフェで政経塾の時間まで過ごした。
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時差ぼけのこと ハワイ遠征

2015年11月08日 | 家族
ハワイとの時差は19時間。
時差ぼけするだろうと思っていた。
ハワイ旅行経験者の長女によると
往きはそうでもなかったが帰りは結構大変だったそうだ。
戻るまで2.3日掛かったとか。

往きの飛行機ではほとんど眠れず、現地について夕方から4時間の仮眠。
それで翌日からは普通に起きてフルで活動した。
ほとんど戸外で過ごしたせいかもしれないが
頭がぼーっとする暇もなかったという感じだ。

帰りは夜中まで帰り支度をして3時間睡眠だったから
飛行機ではひたすら眠った。
それでも寝足りたということはなくて、
帰宅した晩もサッと寝付いて翌朝までグッスリ。

結局時差ぼけというものを経験することはなかった。

もしかすると環境適応力が高いのかも^^
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やまめの学校 in 信州大学

2015年11月06日 | 自転車
10:00 自宅を出発
近所のツ○ヤで買い出しをしてから松本のアパートへ向かった。

部屋で早めの昼ご飯を済ませ、徒歩で信大へ。
12:20 ちょうど堂城さんが到着したところで、教室に荷物を運ぶお手伝いをする。


13:00 準備完了


270人の大学一年生を対象とした「やまめの学校」




運動部の学生さんを「モデル」に肩(頸)を回す可動域の変化を説明。


話の内容は物理学的、生理学的で、物造りの設計思想にまで及んだ。

バシバシ叩くと筋肉が目覚めて動きが良くなる。
手を握ると無駄な力が抜けて身体の動きが良くなり呼吸までが楽になる。

いつものやまめの学校で教わることが、大人数相手でも伝わったと感じた。
講義を受けた学生さん達は、すっごく得をしたと思う。

今日の講義は、大学関係者から頼まれて、私が堂城さんにお話しして実現した。
堂城さんも手応えを感じておられたようで大成功だったと思う。
しばらく先になるだろうが、「第二回」を期待している。
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次男へ荷物を発送

2015年11月05日 | 家族
昨夜は12時前に就寝し、今朝は6時過ぎに目が覚めた。
仕事に出掛ける夫を見送り、久しぶりの我が家でのんびりと過ごした。

一週間分の新聞にざっと目を通し、ネットのニュース解説動画をチェック。
それから遠征中に撮影した写真をパソコンに移し、USBメモリースティックに落とした。

次男から預かったMTBのタイヤ2本とメンテ用品、補給食の余りなどを箱に詰めて
USBメモリースティックをタオルの間に挟んで、メモを付けて荷造りした。
16:00 クロネコ会員15%割引を利用するため、ヤマトの営業所まで行って発送した。

営業所まで、帰国して初めて車を運転したのだが
ウィンカーを出そうとしたら何故かワイパーが動く(汗)。
そう、ハワイで運転した車は左がウィンカー右がワイパーで、逆だったのだ。
短い距離を往復する間に、5回くらいワイパーを動作させてしまった^^;;
右折左折時に反対車線に入らないよう、強く意識しながら運転した。

帰宅後、身体を動かしたくなってウォーキングに出た。
16:40 スタート
いつもとは逆回りで、U田橋→千曲川右岸→T田新橋→千曲川左岸のコースを一周歩いた。


16:52 U橋より


16:56 別所線鉄橋


17:03 夕焼けが一番鮮やかな時刻。

5分後には色あせてねずみ色の空に変わった。
17:30 帰宅


6875歩(5.2km)
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生還っ! ハワイ遠征

2015年11月04日 | 家族
16:10 成田空港に着陸

16:16(夫へ) 成田空港に着陸しました
16:18 良かった!どういう予定かはっきりしたらメールを。
16:19 了解
16:19(長男へ) 成田空港に着陸しました
16:20(長女へ) 成田空港に着陸しました!



16:35 タラップを降りてバスでターミナルへと移動した。

入国審査を受け、荷物を受け取り
次男のバイクを送るための宅配便カウンターを探す。
初めに右手のヤマトへ行くと、宅急便しか扱っていないという。
反対側の端っこまで行き、次男がバイクをカートから降ろした。
17:00 そこで第三ターミナルから新千歳行きに乗る次男と別れた。
新千歳行きは18:00発で、早く行かないと搭乗に間に合わない。

いくつかある中で左の空いている運送会社のカウンターで荷物を頼んだ。
6600円といわれてJALのカードを出したら、「通らない」という。
そこで別のカードを出したところ
「JCBですね。それだと15%割引になりますよ。」
ということで5500円になった。
ラッキー♪
JALカードが使えなくて良かった。

私の荷物も送ろうかなと考えたが
届くのが明後日になるというしお土産だけここで広げて出すのも面倒だし
頑張って全部持って帰ることにした。

狭いエレベーターに苦労しながら一階におりて
17:30 緑の窓口に並び帰りの切符を買う。
東京駅でのトランジは30分見ておいた方が良いと考えて19:44のあさまの指定を買った。

17:47 成田エクスプレスに乗車。

ちょうど次男からメールが届いた。
17:46 トランジ成功
17:51良かった!こちらは成田エクスプレスに乗ったところ。あなたのバイクは土曜日配達予定。私の荷物は送らず
荷物送ると明後日配達だったので。それで東京駅のトランジットを長く取ってU駅着は21時頃。最後まで頑張る

18:00(夫へ) 成田エクスプレスに乗った。荷物送らず全部持って帰るので、トランジ長く東京駅1944のあさまになります。
18:04 了解。お城口に行く。次男は飛行機乗ったか?
18:07 バイクを預かり私が宅配頼んだので、無事トランジ成功したそうです。メール来ました。
18:08 了解

18:48 東京駅着
11号車からエレベーターまで通勤で混み合う総武線ホームをゼイゼイいいながら移動し
エレベーターに乗り、地下通路を10番線下まで移動してまたエレベーターで一階に上がって
新幹線改札を通り、ホームにたどり着いたら
19:08発のあさまが、まだそこにいた。

目の前の指定席はガラガラに空いていて、それなら乗っちゃおう♪
最後部の3人掛けに陣取ってバイクもスーツケースも楽に置けた。
途中で検札があったが車掌さんに話すと、
「空席ですからそのままそこで座っていて良いです。」
ありがたや、ありがたや~

19:09(夫へ) 一本早いあさまに間に合ったので乗りました。


20:32 U駅着
車で迎えに来てくれた夫と一週間ぶりに再会した。
ああ~~~、よかった!無事に帰ってこられた。

20:40(長女から) 無事に帰国できたようでよかった!帰ったらとにかくゆっくり休んで下さい(>_<)
家に向かう車の中から折り返し電話して簡単に報告した^^

次男へ
20:49 帰宅しました!東京駅で一つ前のあさまに間に合ったので、早く帰れました。
20:51 おつかれ。今札幌駅で帰宅と同時に部活行くわ
20:54 おおっ、元気だね~全て順調に行ってよかったです。疲労回復に努めてね。

20:58(長男から) お疲れ様でーすm(_ _)mm(_ _)mm(_ _)m
21:00 ありがとう♪きついけど様々面白かったです。海で泳いで海亀を見たよ~


心身ともにハードな遠征だった。
ハワイなのに観光は「ゼロ」。
しかしこの上なく楽しく興奮させられるやりがいのある充実した一週間だった。
こんな経験が出来たことを全ての関係者の方々に感謝する。

人生って何があるか分からないね♪♪♪

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さようならマウイ  遠征七日目 最終日(11月3日)

2015年11月03日 | 家族
5:00 起床

最終の荷造りと片付けをしながらおにぎり2個とお茶の朝ご飯。
私は運転しながら食べる訳にはいかない。

5:20 次男を起こす。
6:10 荷物を下ろし車に積み込む。


6:22 Makani発。朝焼けの空が美しい。

6:30 Napili 着
アイスクリーム、パイナップルなど残った食料を引き取ってもらう。


2列目の座席を一つ倒して荷台を広げ、Tさんの荷物も余裕で積み込んだ。 (Rさん撮影)

6:35 Napili発

Tさんと次男は車内で朝ご飯。おにぎりとしば漬けと。
ポテトボールは3つとも次男が食べた。

往きはびびりまくりだった崖沿いのカーブ・アップダウン道路も随分楽に運転できて
7:30 カフルイ空港着
荷物を下ろしてTさんに荷物番をお願いして
レンタカーを返しに行く。

走り出してすぐに次男が
「rental car return」の標識を見つけてくれて
矢印に従って走るとすぐにAlamoの駐車場に到着した。
係の人の言うことはよく分からなかったが、
支払いは済んでいること、荷物を忘れないよう確認するようにということらしかった。
そちらからのバスに乗れと言われてバスに乗ると
私と次男だけ乗せてすぐに発車。


7:42 私達を降ろして走り去るバス
 

7:43 Tさんと合流

ハワイアン航空のチェックインを試みるが、預ける荷物のサイズがどうこうでなかなかうまく行かない。
係のお姉さんが他の同僚に聞いたりしながら四苦八苦して
ようやく82ドルの超過料金を払えばいいということになった。


8:15 バイクの荷物検査。箱を広げて中味を入念に点検する。

私のスーツケースが49ポンド(22.5kg)で重量制限の50ポンド(23kg)ギリギリだった。
全く気にしていなかったが、危なかった。

チェックインが済んで離陸まで1時間半あるのでお茶することにした。
スタバで、空港まで乗せてもらったからと、Tさんのおごり。
持参のマンゴ-とパイナップルを箸で摘みながらのコーヒーは大変美味しかった。
Tさん、ご馳走様でした♪ 

9:00前に腰を上げてセキュリティチェックに向かう。


9:09 カフルイ空港 搭乗ゲート前で待つ。

9:42離陸


9:50 眼下にレース会場のカパルアと海が広がる。


9:52 さらばマウイ島。また来る日まで。


10:10 ホノルル空港に着陸

10:30 Tさんは新千歳までハワイアン航空の直行便で帰るのでここでお別れ。
本当にお世話になりました!
ありがとうございました!

ハワイアン航空の建物を出ると、ハワイは今日も蒸し暑い。
道路を渡り国際線の建物へと向かう。
JALのチェックインはものすごい行列で、何でもラクロスの学生大会があったとのこと。
大荷物の大学生集団でごった返していた。

11:30 やっと順番が来てカウンターに進んだところ、荷物の料金が支払われていないという。
カフルイ空港で手間取った挙げ句にこれか・・・
次男のバイクは200ドルになるからと、15分も待たされ差額の118ドルを取られた。
もうそれくらいはいい。
無事に日本に帰れればそれでいい。

支払いを済ませて歩きながら、次男がぼそっと聞いてきた。
「ああいう時って、ごねたら払わなくても済むのかな?」
「時間ぎりぎりに行って、そっちの手違いなんだからまさか乗せないとかないでしょうねっとか。
でも多分成田で待ち受けてて払わされるだろうね(笑)」

セキュリティチェックを受けて免税店で酒類を買い
テイクアウトのランチを買って搭乗ゲートへと向かった。


12:22 


12:26 非常に美味しかった。私も買えば良かったわ~

13:05 離陸

14:00 ランチ。旅行中初めてのビールを飲んだ。往きは着いてすぐに車の運転をするので我慢した。
ちなみにヱビスビール。
デザートのココナツアイスが大変美味しかった。
往きに出されたなら現地で絶対に食べたと思う。

食べ終わったらすぐに眠気が来てグッスリ眠った。
昨夜は3時間睡眠だったしね。

19:00 2回目の機内食は冷やし中華で、またまた缶ビールを(キリン一番搾り)。
19:40 通関カードに記入。
(日本時間で11月4日14:40 以後は日本時間)


15:53 富士山が見えた。窓際の席のご婦人が教えてくれた。
16:10 成田空港に着陸
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サイクリング、ウミガメ、打ち上げ、帰り支度 遠征六日目(11月2日)

2015年11月02日 | 家族
7:15 起床

9:10 朝食後、一人でサイクリングに行った。


9:19 海沿いを南に少し走った公園


9:26


9:35


9:36

ハイウェイに出て最初の信号から引き返し、北上


9:45 ここのスーパーが一番品揃えが良いと分かったのは今日のこと。近くにあったのに。

Makaniの前を通り過ぎて、さらに北へと走る。
海沿いの緩やかなカーブとアップダウンのある道路は車も少なくて快適だ。



10:16 ブーゲンビリアが大きいのにビックリ。


10:19 ルリマツリの生け垣が見事。一年じゅう咲いているのかな? 



花を見て海を見て気分よく走っていたらNapili Pointに着いてしまった。
昨日の今日でまだ寝ているかもしれないなと思いつつ
ドアをノックしたらTさんが出てきてくれた。
他の3人はスーパーに買い物に出ていて、Tさんとおしゃべりしていたら帰ってきた。
ジュースをごちそうになって、楽しくお話しして。

午後に泳ぎに寄らせてもらうことと、晩ご飯は一緒に外食することが決まった。

11:30 Napili発
11:45 Makani着

夜が外食と決まったので、昼食のメニューで食材を片付けていく。
次男がパスタ、私はご飯とハムエッグ。パイナップルやヨーグルトも。

私が出ている間に次男はバイクをばらしてパッキングしていた。
14:30 食休みのあと、私もバイクを荷造りした。


往きにリアホイールの軸が突き抜けて、ホイールカバーとバッグに穴が空いていた。
どういう扱いをしたらそんな穴が空くのだろう?


それを避けるために段ボール片と紙袋を当ててパッキング。
フロントホイールの軸もラップをぐるぐる巻いて緩衝材に。

Sさんからウミガメが来ているとメールがあり、泳ぐ支度をして
15:50 Makani発
16:00 Napili着

早速波打ち際へと降りる。
午前中にTさんと話したときに
「岩が鋭利でちょっと当たると切れてしまうからできるだけガードをした方が良い」
とアドバイスを受けていた。
フィットネス用の水着に長袖のTシャツ、ジョグシューを履いたまま水に入った。

Tさんがボディボードを貸してくれたので、ロープを手首に巻いて平泳ぎ。
疲れたらボードに掴まって休めることで、とても気持ちが楽になり
水中の景色を楽しむことが出来た。

次男に教えられた方に泳いでいくと・・・
ウミガメがいた!
すぐ近くを泳いでいて触れてしまったほどだ。
大小あわせて6匹くらい見たかなぁ♪


ウミガメを見られるNapili湾 (Sさん撮影)


17:30 海から上がってプールに入って塩抜き。 (Sさん撮影)
二つあるバスルームで順番にシャワーを浴びた。


18:07 Napili 夕景


19:36 ラハイナのシーフードレストランでディナー。
運転で飲めない私のために、Yさんがノンアルコールビールがあるかをお店の人に聞いてくれた♪
心遣いに感謝!


20:45 お店を変えて海老やカキを賞味。

レストランは二日目の朝に行ったスーパーのすぐそばで
スーパーに駐車し、食後に買い物をした。

チョコレートやコーヒーをおみやげに買った。

22:00 Napiliに4人を送り、明朝6:30にTさんを迎えに来ることを確認して別れた。

22:30 次男がおみやげを買い足したいと言い、タイムズへ行った。
ここで入浴剤や化粧品、民芸品などを購入。
食材も豊富にあって、最初からここに来れば良かったと気付いたのは帰る前夜(苦笑)。

23:00 Makani着

荷造りをする。
着ていく服と、飛行機に持ち込む手荷物と預ける荷物を分けて
次男の分(バイクのタイヤ等)も少し引き受ける。
往きはバイクバッグに入れて運ぶのが大変だったので、重いものは出来るだけスーツケースに詰めた。

最後のお米を炊いておにぎりを6個作って冷凍庫へ。
明朝解凍して朝ご飯のお弁当にする。
大きなジャガイモは電子レンジで火を通し、バターと塩と刻みニンニクを混ぜ
3つに分けてラップに包んでポテトボールにした。
パイナップルをカットして、空にしたヨーグルトの容器に入れ
残りとカットしたマンゴーはジップロックに入れる。

次男は先に就寝。
私の作業が終わったのは夜中の1:30過ぎだった。
それからシャワーを浴びて
2:15 就寝

走行距離 17.3km
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2015 XTERRA World Championship 遠征五日目(11月1日)

2015年11月01日 | 家族
[画像が多く記事も長いです。重くてゴメンナサイ!]

ついにレース当日。
4:00 起床

きゅう~~っとお腹が痛くなって、トイレに駆け込んだ。
現地に入ってから連日暑さと湿気で一日中汗が止まらず、ひたすら水を飲んでいた。
しかも会場には氷水がふんだんに用意され、Makaniの冷蔵庫にもたっぷり氷があるので
冷水がぶ飲みを続けていた。
さらに夕べは一段と蒸し暑くて寝苦しく、パジャマの裾をズボンから出して寝たから、
お腹が冷えたのかもしれない。

温かい緑茶をゆっくり2杯飲んで、3回トイレに行って腹痛は治まった。
重症化したらどうしようかと焦ったが、レース当日も普通に行動できそうだ。
これ以後は冷水を避けて、ボトルで常温になった水を飲むようにした。

5:00 次男のリクエストに応えて朝食を整える。
パスタ250グラムで、ハムとニンニクを炒めてトマト缶詰とゆでキャベツを加えたソース。
私はしば漬けとご飯。

スタート前の補給食として
塩昆布の小さめおにぎりを6個握る。

6:25 Makani発
途中のマーケットに寄って水のボトル3本を購入。
これはトランジに置いておいて、浴びて身体を冷やすため。


6:50 駐車場着
昨日よりも早い時刻のため車の数が少なく、奥の方に駐める。
トランジまで運ぶ物を運び、次男は順調に準備を進める。


7:29 トランジにてチーム札幌の4人


7:30 皆元気いっぱいで、レース前の補給中。

次男に頼まれて車に荷物(水)を取りに戻った後、バナーを設置する場所探し。


8:06 スタッフの方に許可を得てから、バイクコースに入ってすぐの樹木に結び付けた。


8:19 スイムのスタート地点の浜に向かう。


8:33 順番に神父様の洗礼(お祓い?)を受ける。手前のヘルメットはRさん。


8:45 スタート20分前

9:00 プロ選手がスタート
9:05 次男達男子選手がスタート
9:10 女子選手がスタート


9:10 上空をヘリが飛ぶ。米国内では中継されるらしい。


9:23 前半を泳ぎ終わった次男とSさん。浜を30m位走って、再び海を泳ぐ。


(Rさん撮影)


9:41 Sさんスイム終了


9:41 続いてTさんスイム終了


9:42 次男もスイム終了。思っていたよりも速い!


9:48 Yさんスイム終了。コンタクトがずれたかも。

Rさん情報によると、次男はトランジでTさんとSさんをかわしてバイクに入ったらしい。
バイクから戻るまでは2時間以上掛かるので、トイレに行き、日陰に座ってしばらく休んだ。

10:40頃 バイクコースの方へ上がって、バナーを張った木陰にシートを広げて観戦。


10:53 トップの選手が戻ってきた。さすがに速い。

チーム札幌はどのくらいで戻ってくるだろうか。
最初は選手が来る度にカメラを構えて待ったが、暑さの中で次第にぼ~~っと集中力が途切れ・・・

12:15頃、Rさんに「SさんとTさんはもう行ったよ。」と教えられて、はっと我に返った。
完全に見逃していた(大汗)。
でも次男はまだ戻ってきていないはず。
改めて緊張感を取り戻してコースの先を見つめる。

あれかな?
と思ったときには、目の前で次男が手を上げていた。



 
12:43 気付くのが遅れて後ろ姿だけだ。下手くそカメラマンでゴメンよ~


(Rさん撮影)


12:46 ランに入った次男が斜面を上ってきた。とても苦しそう。


きつい、きつすぎる。


12:48 歩いても完走できればいいんだよ。頑張って・・・
祈るような思いで見送った。

Tさんゴールし、続いてSさんゴール!


ランの最後に砂浜を走る。(Rさん撮影)


14:21 次男が戻ってきた!




14:21 次男ゴールぅ~!!!!!!

タイムは33:15/3:04:30/1:35:54 5:13:39
順位は705人中629位 男子では518人中473位


14:22 やったぁ♪


14:24


14:39 リザルトのカードがカゴに入れて並べられている。


自分で探して自分のカードを持ち帰る。


14:48 Sさんがメディカルで診察を受けた。

スイムの最初に海に飛び込んだとき、砂の中にあった岩場に足の親指をぶつけてしまったのだという。
相対的に一番英語が通じる次男がドクターと話をして状況を説明し、治療してもらってあれこれ指示を受けた。
「broken」つまり骨折してるかもということで、後日病院で見てもらうようにと言われていた。
初っぱなにそんな怪我を負いながら完走するSさん、凄すぎる。


15:06 Yさんが笑顔いっぱいで帰ってきた!


チーム札幌は全員が完走♪ おめでとう!万歳!  (Rさん撮影)


トランジを撤収して洗車場に並び、泥だらけのバイクを洗う。 (Sさん撮影)

16:30 Makaniに帰着。
シャワーを浴びて着替えて。
夜はホテルでパーティなのだが、あまりにも腹ぺこだったので
パスタの残りとかヨーグルトだとかパンだとかで腹ごしらえをした。

17:00~18:00 昼寝
18:30 Makani発
今日は駐車場のバーが上がっていて、行き止まりの心配なく駐車^^


19:00 一昨日と同じ場所で、表彰式パーディー

21:30 ハロウィン・パーティーを覗いたが、大音響に耐えられず退散して
22:30 Makani着

順番にシャワーを浴びて
心地よい達成感と疲労感に満たされつつ、波の音を聞きながら眠りについた。
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