ダウンワード・パラダイス

「ニッポンって何?」を隠しテーマに、純文学やら物語やら、色んな本をせっせと読む。

小松左京について 21.11

2021-11-18 | 純文学って何?
 TBSドラマ『日本沈没-希望のひと-』が映画『シン・ゴジラ』(2016)を下敷きにしているのは誰の目にも見て取れるだろう。≪シン・ゴジラと半沢直樹を足して10で割ったような≫という悪口すら見かけたが、さすがにこれは言い過ぎで、ぼくが脚本家だったら怒りまくる。「会議シーンがだらだら長くて退屈、『シン・ゴジラ』のあのテンポの良さと緊張感がない。」ってことだろうが、映画のほうは119分、対してテレビドラマは、今のところ公表されてはいないが仮に全10話だとして単純計算で約50分×10話で500分なのだから、ところどころ冗漫になるのも仕方がない。ぼくはふだんテレビを観ないが、このドラマだけはスイッチを入れてしまう。面白いのである。


 原作版の主人公は深海潜水艇の操縦士で、1973年映画版の藤岡弘も、1974年テレビドラマ版の村野武範も、2006年映画版の草彅剛も、その職業を踏襲していた。このたびの小栗旬は「日本未来推進会議」に在籍する環境省の若手官僚で、ここが大きな変更点である。この人が『シン・ゴジラ』の長谷川博己に当たるわけだが、ぼくの見るかぎり、この2人の役者の魅力に遜色はない。いちばんの相違は、ドラマの「日本未来推進会議」と、シン・ゴジラのあの素晴らしき「巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)」との隔たりだろう。

 組織に馴染めぬ変人ぞろいでありながら(いやむしろそれ故に?)おっそろしく優秀で有能だった巨災対の面々に比べて、「日本未来推進会議」のメンバーは省益優先で政治家の顔色をうかがってばかり、いかにも凡庸に見える。だいいち官僚ばかりで科学者がおらぬ。そこが「シン・ゴジラの劣化版」という酷評にも繋がるのだろうが、しかし思えばこのグダグダっぷりのほうが遥かにリアリズムではないか。それに、情報が不確定だった頃こそ半信半疑で右顧左眄していた彼ら(むろん女性も含む)にしても、じっさいに関東の一部が沈没するや、とたんに実務能力を発揮して対応に精魂を傾けるのだ。先の9・11を思い起こすと、むしろ理想化されているとも言える。現実の役人が本当にここまで的確かつ献身的に動いて下されば有り難いのだけれど。


 原作者はいうまでもなく日本SFのゴッドファーザー小松左京(1931/昭和6 ~ 2011/平成23)。小説は1973(昭和48)に光文社から刊行。空前のベストセラーとなり、SFというジャンルが広く市民権を得るきっかけともなった。同年に東宝で映画化され、こちらも大ヒット。


 青土社の「現代思想」が、生誕九〇年/没後一〇年ということで、この10月に「2021年臨時増刊号 総特集=小松左京」を出した。ユリイカではなく「現代思想」のほうというのがミソだ。文藝の枠には収まらぬ「思想家」として小松さんを捉えようという趣旨であろうし、今日においてはそれこそが正しい遇し方である。そうであればこそ盟友・高橋和巳との関係性も改めてクローズアップされるし、若き日のマルクス主義との……もっとはっきり言うなら共産党との……関わりについても、より高い視座から論じることができるというものだ。


 若き日の小松実(本名)青年は共産党に籍を置いていた。1950年から1952年頃まで、おおむね19歳から20歳くらいまでだ。これはべつだん珍しいことではなくて、当時のインテリ学生は大なり小なりマルクス主義に惹きつけられていたのである。小松さんとほぼ同年齢で、のちに保守派の論客(笑)として粘着質の厭ったらしい文体で丸山眞男や大塚久雄、さらには大江健三郎などの悪口をねちねちと書き綴ることになる谷沢永一も、それくらいの年齢で共産党に在籍していた。そこでいろいろ下らぬ事態に出会って(それはもう出会うにきまっているのだが)幻滅して脱党、あげく反対の極へと突っ走る。いわゆる「ヤメ共」の典型例だ。


 小松青年のばあい、入党の直接の動機は「戦争反対・原爆反対」であった。「悪の米帝に対する平和勢力のソ連」という幻想が成立していた期間が戦後の一時期にはあったのだ。しかし、1949(昭和24)にはすでにもう当のソ連も一回目の原爆実験に成功しており、この図式も危うくなっていたのだが、一部の者はそれでも「アメリカの武力は絶対悪。されどソ連の武力はそれに対抗するための必要悪」といった屁理屈を捏ねて正当化を図っていた。しかし、まともな知識人や学生ならば、この手の強弁が欺瞞であると気づかぬはずがない。かくして小松青年は(それだけが理由ではないが)ほどなく党を離れた。


 ついでだから、戦後政治史の一環として、当時の共産党について少しだけ触れておこう。ソ連が一回目の原爆実験に成功した1949年は、中国で共産党が内戦に勝って国民党を追い出し、政権を樹立した年でもある。日本では総選挙にて共産党が35議席をとった。戦後初の1946(昭和21)年の選挙では5議席どまりだったから大躍進である(念のため言うが、1949年当時の日本はまだアメリカの占領下だ)。そんな趨勢もあって、「議会制を通じて平和革命~人民政権の樹立は可能だ。」という見解を党是としていたのだが、そこで総元締めのソ連から(より正確にいえばソ連共産党を親玉とするコミンフォルムから)、「そんな甘っちょろいことでどうする。」と頭ごなしに叱責され、方針転換を命ぜられた。かくて当時の日本共産党は、ソ連に反発する「所感派(主流派)」と、その叱責を受け入れる「国際派」とに分かれた。のちに学生運動を担った「新左翼」もこのあたりに繋がるわけだ。さらにこのあとGHQによるレッドパージがきて、主なメンバーが公職追放、ヤケになった「所感派」もまたコミンフォルムの方針に従い、軍事方針に舵を切ることとなる。このあいだの選挙前、ワイドショー「ひるおび!」で八代英輝弁護士が行った発言は(後日、局アナによって訂正・謝罪された)、この時期の機微にかかわるものだ。本筋とは関係ないのでこれくらいにしておくが、ぼくは未読ながら、この6月に、池上彰と佐藤優による『真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960』なる対談本が講談社現代新書から出たようだから、こういった話にもあながち需要がないわけでもないだろう。


 さて。京大生だった小松青年はけっしてただの政治青年ではなかった。そもそも、上から降りてくる活動方針のあまりのばかばかしさに呆れ、指示に従わずに「党活動停止」を早々に食らっていたほどだ。やはりその本領は文学にあった。「京大作家集団」という、いまふうにいえば「イタい」名称の団体の同人となって高橋和巳、近藤龍茂、三浦浩ほかの面々と日々議論に明け暮れていた(今と違って荒っぽい時代だから、議論はしばしば腕力沙汰にも及んだという)。それと同時に自然科学・社会科学にまたがる科学少年上がりでもあり、また、サブカル少年のはしりでもあった。むろん幼児期(戦前である)から小説はあまた読み漁っていたが、漫画も大好きだったのだ(ぼくはほぼ文献でしか知らないが、当時から漫画というジャンルはけっこう隆盛を誇っていたようだ。有名なのは「のらくろ」「冒険ダン吉」「タンクタンクロー」「猿飛佐助」といったところだが、他にもいろいろ面白いものがあったそうな)。


 こういった雑多な関心の赴く先にSFという表現様式をのちの小松さんが選び取ったのは当然というべく、どう考えても純文学に収まるタマではないし、文字を使っての創作となればどうしたってSFしかなかっただろうな、とは思う。


 現代SFの鼻祖といったらイギリスのH・G・ウェルズ(1866/慶応元・慶応2~1946/昭和21)だろう(フランスのJ・ヴェルヌはこの人よりさらに40歳ほど先輩だが)。『タイムマシン』『宇宙戦争』『透明人間』『モロー博士の島』など、その代表作はどれもみな汲み尽くせないネタ元として今なお無数のヴァリエーションを生み続けている。このウェルズもまた万学に通じた大知識人で、『世界文化史』というノンフィクションの著作もある。初版の刊行は1920(大正9)年。英語版wikiには「宇宙の誕生から第一次大戦までを記した歴史書」とあるから、今でいえばさしづめユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』といったところか。ほかに、専門の科学者たちとの共作として『生命の科学』なる大著もあり、「古本屋でタダ同然で譲ってもらったこの翻訳本が戦争中の僕のバイブルみたいなものだった。」と小松さんは対談の中で述べている。何であれ書物自体が貴重だった時代だから、「バイブル」はけして大げさな物言いではない。




 近代の日本がどのように海外のSFを受容し、そこからオリジナルの作品を創り出していったか。については、長山靖生の労作『日本SF精神史 幕末・明治から戦後まで』(河出ブックス)に詳しい。「日本SFの誕生から百五十年、“未来”はどのように思い描かれ、“もうひとつの世界”はいかに空想されてきたか―。幕末期の架空史から、明治の未来小説・冒険小説、大正・昭和初期の探偵小説・科学小説、そして戦後の現代SF第一世代まで、近代日本が培ってきたSF的想像力の系譜を、現在につながる生命あるものとして描くと同時に、文学史・社会史のなかにSF的作品を位置づけ直す野心作。」である。これまでの文学史はあまりにも「純文学」だけに偏していたので、より広い見地に立ったこの種の試みははなはだ意義深い。もっともっと多くの書き手が出来することを望む。




 とまれ、SF小説と呼ぶべきものはすでにして幕末から在ったわけである。むろんおとぎ話や神話まで含めれば人類の起源にまで遡行してしまうため、どこかで線を引かねばならないが、長山さんは幕末の儒学者・巌垣月洲の『西征快心篇』(安政4/1857頃)を「日本最初のSF」と評価している。このころにもう和製SFが誕生していたとなると、それから敗戦までの90年近く、当該ジャンルがそれなりに成熟しなかったはずがない。




 のちに星新一、筒井康隆と共に「日本SF第一世代の御三家」と並び称される小松さんだが、戦前~戦中、その小松少年を夢中にさせた和製SFが既にあったというわけだ。早川書房が1968(昭和43)年から1971(昭和46)年にかけて刊行した全35巻の『世界SF全集』の第34巻「日本のSF(短篇集)古典篇」には、江戸川乱歩、小酒井不木、平林初之輔、木津登良、直木三十五、渡辺温、海野十三、夢野久作、小栗虫太郎、野村胡堂、星田三平、牧逸馬、久生十蘭、木々高太郎、大下宇陀児、横溝正史、蘭郁二郎、城昌幸、渡辺啓助、北村小松、香山滋といった人たちの作品が収録されている(他に宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、川端康成の『抒情歌』、稲垣足穂の『一千一秒物語』、内田百閒の『東京日記』などが入っているのも興味ぶかいのだが)。




 このなかで、ことにSFプロパーとして特筆すべきは海野十三(うんの じゅうざ1897/明治30~1949/昭和24)だろう。小松さんにとっては神戸一中の先輩にも当たる。1937(昭11)年の『海底大陸』では「宇宙線の遮断による生命体の進化への影響」というコンセプトを出し、1940(昭和15)年の『地球要塞』では「日本沈没」というアイデアを(!)出している。


 またこの作品では「四次元」という発想が取り入れられ、「オルガ姫」(手塚治虫『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』はこれへのオマージュだった!)という名の美少女アンドロイドが登場したりもする(ちなみに少年時代の大江健三郎……小松さんの4歳下……もわりと海野十三は好きだったらしい)。このほか、山中峯太郎の軍事冒険小説『亜細亜の曙』も当時の少年たちの愛読書だった。漫画もそこそこ充実していた旨は前半で述べた。つまりぼくは、昔からサブカルに相当するものはあったと言いたいのだ。そういった蓄積のうえに戦後SFが花開いたので、けしていきなり降って湧いたわけではない。
『地球要塞』 青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/3239_15747.html







 書きたいことは色々あるが、これはいちおう「純文学って何?」のカテゴリなので、ここらで純文学サイドに寄せていきたい。これは小松さんに限らず、戦後のインテリ学生の定跡みたいなものだったのだが、マルクス主義と並んで小松青年が惹かれていたのはサルトルの実存主義だった。「『嘔吐』はやはり凄いものだったね。しかし小説として面白かったのはカミュの『異邦人』のほうだった。いちばん好きなのは『ペスト』。」との発言もある。たしかに、『果しなき流れの果に』や『神への長い道』などはエンタメ化された実存主義文学ともいえる。30代くらいまでの潔癖だったぼくにはそれが「通俗」と見えて軽侮の念を覚えたものだが、今は「実存主義をエンタメでできるなんて素晴らしいじゃないか。」と思っている。誰しもが面白く楽しく読めて深く考えさせられる。むしろそういうものこそほんとうの文学なのではないか。




 戦後に出てきた作家の中では、小松さんは安部公房を高く評価していた。安部さんは1924/大正13生まれなので小松さんより7つ先輩になる。ちなみに上記の『世界SF全集』には安部公房が一巻立てで収録されている。日本の作家で一巻立てはほかに星新一と小松さんのみ。筒井康隆・眉村卓・光瀬龍が3人セットで一巻だから、安部さんの待遇がいかに破格かわかる。『世界SF全集』についてはよく知らないのだが、ひょっとしたらこの人選と編集には小松さんの意見が反映されているのかもしれぬ……と想像するのは許されるだろう。




 日本の戦後文学者の中で小松さんが他に名前を挙げているのは埴谷雄高の『死霊』。いかにもという感はある。あと小説ではなく評論になるが花田清輝(シナリオライター花田十輝の祖父)の『復興期の精神』、野間宏の『暗い絵』、椎名麟三の『深夜の酒宴』、武田泰淳の『異形の者』、中村真一郎の『死の影の下に』など、いわゆる「第一次戦後派」と呼ばれる作家、あるいはその周辺の人たちのものだ。ちなみに小松さんの盟友・高橋和巳は年齢がかなり下なので「戦後派」とは呼ばれないけれど、あきらかにこの系譜に属する小説を書いた。初期の大江さんも近い。これらの方々の作品は今はもう殆ど読まれなくなってしまっているのだが、その精神がSFに受け継がれて現在のサブカルの繁栄に繋がっているかと思うといくらか救われる気がする。




 「そういった作家の作品群は、戦前の純文学と呼ばれた私小説、家庭小説、恋愛小説、心境小説と全然違うわけ。/非常にがっちりした構想と、観念的というか形而上的というか、ミステリとよく似ているんだね」(光文社『SFへの遺言』より)




 ここで「ミステリと似てる」というのが誉め言葉として使われているのが興味ぶかい。それはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が最上のミステリだという意味での「ミステリ」であろう(埴谷さんはもろにそのセンを狙ってたわけだが)。正直ぼくは古色蒼然たる私小説や家庭小説や恋愛小説や心境小説も好きなので困るのだが、とはいえ、その手の作品が夾雑物をとことん削ぎ落したあげく散文詩に似たものへと近接してしまうのは確かであって、「骨太の構想」「重厚なテーマ」「豊かな物語性」「観念的な奥行き」「全人類的な思想」を備えた西欧由来の長編こそが語の本来の意味での「小説」だろうと思ってはいる。やはり従来の日本文学史は、あまりにも既成の「純文学」の概念に囚われすぎていた。小松左京と大江健三郎とが、あるいは例えば松本清張と太宰治とが(この2人は同年の生まれである)同時代性のなかで語られる総合的で広やかな文学史が編み直されてもいい頃だ。




 思い立ってこんなエッセイを書き始めてみたが、純文学/エンタメ小説というジャンル分けの話に拘泥して(それが当ブログを貫くメインテーマではあるのだが)、小松左京その人についてはあまり紙幅を費やせなかったかもしれない。いずれまた、もう少し準備を整えて、小松文学と小松左京のことを書きたい。


☆☆☆☆☆☆☆☆




おまけ
戦後SF界の勃興期にかんしては、これをひとつの惑星に例えた石川喬司のことばが有名だ。引用者によって細部に異動はあるが、おおむねこんな感じである。
「星新一と矢野徹がこの惑星へのルートを開拓し、福島正実が青写真を描き、小松左京が万能ブルドーザーで地ならしし、光瀬龍がヘリコプターで測量し、眉村卓が貨物列車で資財を運び、筒井康隆が口笛を吹きながらスポーツカーで乗りこんだ……」。
 のちに小松さん自身が晩年の著書『SF魂』でさらに広げて「(近くに)漫画星雲の手塚治虫星系が発見され、半村良SF酒場開店、豊田有恒デパートが進出、平井和正教会が誕生、野田昌宏航空開業……」と加筆したそうな。
 ぼくが拝見したサイトの筆者さんは、さらにこう付け加えておられる。
「私なら、ここに海野十三さんをさらに付け加えます。『海野十三の星が孤独に輝いて、未来のSF民族をそのSF惑星に導いてくれた』と。」
 やはり海野十三は先駆者なのだ。




 ところで、ほかのところで石川さんは、こんな言い方もしておられる。人名リストとしてはこれがいちばん充実しているし、サブカル(漫画)に視野を広げている点で、より文化史的な見方といえる。
「漫画星雲の手塚治虫星系の近傍にSF星雲が発見され、星新一宇宙船長が偵察、矢野徹教官が柴野拓美教官とともに入植者を養成、それで光瀬龍パイロットが着陸、福島正美技師が測量して青写真を作成……。いち早く小松左京ブルドーザー(コンピューター付き)が整地してね、そこに眉村卓貨物列車が資材を運び、石川喬司新聞発刊、半村良酒場開店、筒井康隆スポーツカーが走り、豊田有恒デパートが進出、平井和正教会が誕生、野田昌宏航空開業、大伴昌司映画館ができ、石原藤夫無線が開局、山野浩一裁判所が生まれ、荒巻義雄建設が活躍。伊藤典夫通弁事務所ができ、浅倉久志大学も作られた……。」




 とはいえ筒井さん(今やSFというジャンルを超えて日本文学全般にわたる堂々たる大家なのだが)自身は、かつて『腹立半分日記』のなかで、
「こんなに気楽にやったわけではないのだ。SFは小松さんより早くからやっていて、同人誌は六年間も続けた。雌伏の期間がながく、ずいぶんつらい思いもしたし、雑誌から原稿を突き返された数はぼくがいちばん多い筈である。書くものが派手だからそう見えるのかもしれんが、この際弁明をひとこと。」とすこぶるマジメに自己注釈を加えていた。