とりあえず一所懸命

鉄道の旅や季節の花、古い街並みなどを紹介するブログに変更しました。今までの映画や障害児教育にも触れられたらと思います。

子ども理解これでいいの?

2007-05-17 19:09:58 | 障害児教育
 *注 
 いつになく強い論調になっています。障害児教育関係でない方は読まないでもいいかもしれません。 

ある研修会に参加しました。自主的ではなく、仕事の一環としてです。そこでは、午前中職場を離れて大学で研修を積んだ教員の発表会でした。どの発表も周到に準備されていましtが、いくつか気になるポイントがありました。

 それは、発表した4名とも学んだ場での教官の多大なる影響です。特別支援教育を進めていくには、この理論は絶対必要かつ絶対に有効であると強く主張されていました。異口同音に一つの理論が語られると、どうもすっきりしません。ここまで影響を受けてしまうことについては恐怖すら感じました。

 もちろん、私の障害児教育観とは相容れない立場のものなのでそういう気になっったのかもしれません。

 理論的には、賛否あるので限定した言い回しはさけますが、今日の発表の中で典型だと思われた例を一つだけ紹介します。

 小1の男の例です。アスペルガーと診断されているそうです。母親から「給食の時は座って食べるのに、家では食事中10回以上たち歩いて困っている」という相談を受けて、「食事中立ち歩かない」という目標を立てて指導を開始します。

 まずこの理論は今の行動「食事中立ち歩く」という行為を不適応行動と断定します。その原因となるものを捜します。「さほど食べたくない食事の存在」とします。不適応行動の結果を「食べなくてすむ」と断定します。その上で不適応行動「立ち歩く」を適応行動「ごちそうさままで座っておく」に行動を改善するためにプログラムを開始します。

 「科学的」と銘打っているので、まず食事中何回立ち歩くか調べます。これをベースラインと呼ぶそうです。改善した様子も数値化したものでなくてはならないからです。「さほど食べたくない食事の存在」を改善するために、強い誘因子を導き出します。この子の場合「目標が守れたら15分間大好きなテレビパソコンをしてもいい」ということだそうです。

 ベースラインを5日程度調べて10回と決定し、本人に示して、目標を決めさせます。目標が達成すればテレビパソコンで遊ぶ、2日おきに目標を高次化していき、最終的には立ち歩く回数が0になるまで続けるというものです。

 事実この子の場合はテレビパソコンという魅力的な刺激で行動は改善されたそうです。でも、こういった結果オーライでいいのかという疑問は強く感じました。この子が最初に示していた様々な行動については、ほとんど深い分析もせずに、ただ不適応行動(親の困り感)だけに注目してそれについて行動矯正をしているだけではないかという気がします。子どもの中から困った行動を取りだして、それを場当たり的に矯正しても、子どもの全体像はほとんど見えていないことになりはしないかという気がしました。

 そこには、子どもをまるごと捉えていくことや、子どもを肯定的に見ると言う視点は全く感じられません。HOW TO的な教育方法に過ぎないと思います。教師の専門性ということが叫ばれて久しいのですが、このような付け焼き刃のHOW TO的な教育方法を唯一の方法だと信じ込まされる教師のどこに専門性があるというのでしょうか。

 
コメント (3)
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