季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

高い修理代

2008年01月16日 | 音楽
馴染みの骨董屋で買った置き時計がある。百数十年前のものだ。ずいぶん安く手に入れたのだが、時計や洋物専門の店ならばずっと高いのではないか。

裏蓋にただFRANCEとある。これが単にPARIS(たとえば)とあればなお古い。

時計は好きである。いつのころからか人類は、時間とはなにか、と問い続けてきた。その問に答えたわけではないが、ある意味で目に見える形にした安心感、喜び、そんなものが伝わってくる。ちょっと昔までは貴重品だったのもわかる。

ウィーンに時計博物館というのがある。住んでいる日本人もたくさんいるのに殆ど知られていない。時計に関心がなければ普通は行かないだろう。

でも4階建てだったか5階建てだったか、時を告げるチャイムがいっせいに鳴り響く。この音がじつにきれいなのである。細かい細工に見とれていると急にチャイムが鳴り渡り、そうか、昔は音にまでこだわっていたのだと知らされる。

ハンブルグに住んでいたとき、歩いて1,2分の処にお城があった。まあ、お城というより館と言った方が通じると思うが。そこでアンティーク時計の市が開かれたことがある。我が家に置いたらまるで場違いだが、なかには本当に惚れ込むようなものもあった。でも価格がとんでもない。数百万が普通なのだ。我が家と釣り合いが取れないで幸いであった。


そんないきさつがあって、我が家に相応しい、百分の一くらいの時計を見つけた次第なのである。

もちろんきちんと動く。日に2,3分狂うがそんなものはかえって人間らしい。骨董店主も、その時計に手を入れた職人さんもあまりくわしくなかったとみえて、止まってしまったらてっぺんの部品をちょいとつついたら動きます、という。

つつがなく数年動き続けていたのに、あるときネジを巻くのを忘れて止まってしまった。実はなんべんも忘れてその都度ちょいとつつくを繰り返していたのだ。

そのときもちょいとつついたつもりが、少し強くつつきすぎたのだろう、ピクリとも動かなくなった。簡単に言えば壊れたのだ。

あちこちの時計屋に持って行ってみるのだが、何となく曖昧に断られる。ある時、正直な時計屋から、今時こんな機械式で複雑な時計を修理出来る人は少ない、第一壊れているのはこの時計の心臓部だと告げられた。

僕も無知だった。無知とは怖ろしいものだ、心臓をちょいとつついていたのだ。

購入したときの職人さんはもう亡くなったということで、これはもう諦めるしかなく、何年にもわたってただ本棚の上に置き放しにしてあった。

長くなりすぎた。続きは日をあらためて書きたい。






苦手

2008年01月14日 | 音楽
ずっと以前のこと。ドイツに住んでいたころだが。

ヘルムート・リリングがテレビ出演してバッハのオラトリオ作品の解説をしていた。バッハの宗教性の深さを語った彼は、おもむろに楽譜をカメラに対し水平に倒し言ったものだ。「ご覧下さい、こうやって見ると楽譜が十字架に見えるのです」

こういう真面目な人は批判もしにくいし、からかうこともためらうし、始末に負えない。苦手である。

リリングが若いころの演奏は自然で、カンタータの録音が少ない時代でもありよく聴いたものだ。でも次第に窮屈に感じるようになっていった。その理由が分かったように思った。

こういう解説を聞くと僕は反射的に「十字架に見える楽譜なら僕だって書くさ」と思ってしまう。多分リリングの言うことは正しい。バッハはそこが十字架に見えることを意識しただろう。でもそれは謂わば子供らしい思いつきなのであって、こう正面切って考察されると反論する気力も失せる。

仮にそこが十字架に見えなければ宗教性は無くなるとでも言うのだろうか?

バッハの最後の作品はフーガの技法である。未完に終わっているが、その最後部で彼は自分の名前BACHを音に当てはめ埋め込んでいる。ここにバッハの思いを感じるのはよい。大切なことだといってもよい。それでもこのシ、ラ、ド、シが無くてもフーガの技法という曲がバッハという巨人の集大成であることに異存はないだろう。


昨年ダヴィンチの「受胎告知」が来たとき、いろいろな場所で背景の青い山がキリストの象徴だといった類の解説があふれた。僕はそういう難しいことはご免こうむりたい。あんな厳しい、有無を言わさぬ顔で受胎を告知する天使ガブリエルも、それを受け容れるマリアの尊厳ある表情も他に見たことがない。それだけで充分だ。及びがたい精神の力を感じる。その上で、僕はあまり好きになれないのである。受胎告知で文句なく好きなのはフラ・アンジェリコだ。

作品の研究とは、簡単に言えば作品に魅力を感じるからするのだろう。魅力もない作品を研究する暇人はいまい。では後から来る人にもその魅力をただ味あわせてくださいよ。解説がなければ味わえないようなものは魅力とは言い難い。研究したから味わえるのではない。味わったから研究したくなったのだ。ところが人間の性かな、研究すればするほど味わうことを放棄する。それどころか味わう人を低く見る傾向さえ出てくる。

カンタータは礼拝の時に演奏された。それだけ知っておけば音楽がすべてを語る。演奏とはそんなものであるべきだろう。これらの曲は礼拝用に作られたのであるから、教会で演奏されるべきだという意見に対しシュヴァイツァーは「バッハが演奏されるところが教会になる」と言った。

僕が求める簡明さとはそういったことだ。


リリングに限ったことではない。余計な解説はいらない。研究もいらない、とは言うまい。ただ、素直に感動しつつ研究するのは大変難しいよ、とだけは言っておきたい。






感動した

2008年01月13日 | スポーツ
子供のころから相撲が好きだった。祖父が徳之島出身で、同郷の胸毛で人気の高かった3代目朝潮の熱狂的ファンだったことも影響したか。何よりも子供達も野球と相撲しか知らないような時代だった。

ドイツに住んでいたころは、わざわざ相撲雑誌を取り寄せていたほどだ。そのころは朝潮が高砂部屋を継いでいたから、自然に高砂部屋をひいきし、部屋の全力士の星取り表を大きな紙に書いて昇進した、陥落したとひとりで楽しんでいたものだ。

でもある時から、いつかは分からないけれど、まったく関心が失せてしまった。理由はあれこれ挙げても仕方ない。


昭和の大横綱は双葉山である。機会があればこの人の風貌に接して欲しい。この人が理事長を務めていたころ、青ノ里という幕内力士がいた。たしかこの力士が千回連続出場したのだったと記憶する。時津風理事長(双葉山)は「よくも一日も休まず務めた。感動した(どこかの誰かと同じフレーズで悲しいが)」と青ノ里を特別表彰した。

この記録は後に書き換えられる。初の外国人力士高見山が千五百回連続出場を果たしたのである。その時双葉山の時津風はすでに亡くなっていた。昭和30年ころの名横綱栃錦の春日野が理事長を務めていた。

青ノ里の時同様に特別表彰しないのか、との声に彼は「出場するだけなら私はもっとでもできた」と言い放ち、表彰の話は立ち消えになった。

横綱が強いのは誰でも認めることだ。双葉山は、そこまで強くなれなかった力士が営々と努力した姿に感動し、栃錦は自分の強さとの差を云々する。このころから結果さえ良ければ、という取り口が増えていったように思う。

玉の海梅吉、天竜三郎といった双葉山と同時期、あるいはもっと年上の人たちの解説や座談は音楽や文学に劣らないほど僕の心に影響した。よく力士の士はもののふ(武士)ということだ、と語っていたのを覚えている。河上徹太郎さんだったか、文士は俺たちで終わりだねと言っていたのも思い出す。音士という言葉はないが音痴ならいくらでもいる。


そうそう、双葉山の風貌と書いたが、立ち姿が美しい。自信という「もの」がすっと立っているようである。写真を見つけたから挙げておこう。

ニセ物(続)

2008年01月11日 | 芸術
フェルメールほど謎めいて、作品にまつわるスキャンダルの多い画家も少ないだろう。まず生涯がはっきりしていない。デルフトの画家の組合に所属していたこと以外、確実なことはわかっていないらしい。

生前はそれなりの評価をされていた様子なのに死後急速に忘れ去られ、再評価されたのは19世紀も後半に入ってからである。

ゴッホは手紙の中でたしか「デルフトの風景」について熱っぽく語っていたように記憶するが、これは再評価の時期とほぼ重なる。ルノアールも「お針子」(僕が勝手に呼んでいるのだけで、どうやら刺繍をする女、と呼ばれるのが一般らしい)の手前の赤だけのためにルーブルに行く価値があると言ったそうだ。こうした19世紀の画家達の目も再評価の機運を高めたのだろうか。それとも再評価されるような時代の空気が画家達の目を育んだのだろうか。忘却の長さから言えばバッハをも凌ぐ。


絵にまつわるエピソードもドラマティックである。貸し出された先で額から切り裂かれて盗まれたり、アイルランドのテロリストに強奪されて仲間の釈放を要求されたり!この辺の状況に関心がある人はお調べ下さい。僕はうろ覚えで書き連ねているので。

なんと言っても極めつけに面白いのは贋作事件、ナチスドイツがからんだ事件であろう。ヒトラーが「画家のアトリエ」を買い上げ、それに触発されたゲーリングが「キリストと悔恨の女」と題する絵を買った。戦後それがオランダの至宝を敵国に売った売国行為として、売り主のメーヘレンという画家が逮捕された。(Meegerenというのはオランダでは多分メーヘレンと読むのだと思う)

メーヘレンは裁判の過程で、それが自分の描いた贋作であると告白した。それどころか、本物であると名だたる専門家から折り紙付きの数点も彼の手による贋作だという。メーヘレンは自らの才能に自信を持っていたらしい。しかし認められなかった。贋作に手を染めたのは彼の画家としての才能を認めなかった「専門家」たちへの復讐の念ゆえであったというのだ。

この告白は誰にとってもにわかには信じられることではなかった。そこでメーヘレンは証拠としてもう一点「フェルメール」を人々の前で描いた。このあたりの経緯も興味のある人はもっと詳しくどうぞ。

日本でも永仁の壺事件というのがある。陶工加藤唐九郎による贋作?事件である。重要文化財に指定されるなど、その道の専門家の目をも欺いた点も似ている。白州正子さんとの対談の中で、そのうち真相を語ると言っているが果たさぬまま他界した。

メーヘレンは結局詐欺罪で禁固1年だったか服役中に獄死し、忘れ去られたが、加藤唐九郎はますます有名になった。僕の関心はそちらへ向く。この違いは何なのか?柳宗悦らの民芸運動をはじめ、作者の分からない陶磁器に本物の美を発見しようという、日本独特の美観が作用しているのだろうか。こんなことはいくら考えたところで結論は出ない。でも面白いことではないか。ものを考えるとは結論を出すこととは限らない。






贋物礼賛

2008年01月09日 | 芸術
フェルメールは大変好きな画家である。昨年「ミルクを注ぐ女」が来たのだが、混雑がいやでぐずぐずしている中に終わってしまった。ものすごく粗悪な画集をあらためて眺めて過ごす。救いようのない粗末な印刷なのに、しんと静まりかえった空気だけは感じ取る。考えてみれば不思議だ。本物とは何か?

僕の家はこの手のニセ物に溢れている。本物だったら大変だ。ソファーの横にフランス・ハルス、ピアノの向こうにはセザンヌといった具合だから。名画のコピーばかりではないか。その通り。理由は簡単、落ち着くからだ。今までに何度か、ああ欲しいなという「本物」に出会ったが高価で手が出なかった。「本物」を避けるのではない、経済が僕を避けるだけの話だ。壁に何かを架けるのならばせめて落ち着きを与えて欲しいのだ。

展覧会に行って「本物」を見るのも部屋でコピーを見るのも同じ僕だ。僕の心の側からするとそれだけは本物だ。アムステルダムの国立美術館やウフィチやクレラー・ミュラー、何遍も足を運んだところにまた行ってみたい気持ちは強い。ただ、画集に見入っているときにそんなことを考えていないのも本当だ。

本物を見ないと分からないというが、その前に親しんでいることはもっと大事だろう。僕の目なんぞは節穴だから正直に言えば本物をみたおかげで分かったことなぞめったにない。画集で見て詰まらないと思い、実物を見ていっぺんに宗旨替えしたのはブリューゲル(百姓ブリューゲル)くらいだ。

話のついでに部屋に架けてある複製について。これらは造幣局の版画師たちの技量を上げるため?の習作である。写真印刷と違って発色も美しくとても気に入っている。写真印刷が手軽に出来るようになるまではヨーロッパ中に複製専門の版画家がいたようである。ゴッホもそういう仕事に就こうかと真剣に語っている。僕のは造幣局の学習用という特異な目的のため、サイズが全部同じで、それだけは残念だ。ともあれ昔の絵画愛好家は今よりずっと美しいコピーを手に入れていたわけだ。今もそういう複製版画はどこかで刷られているのだろうか。知っている方はぜひ教えて下さい。


違和感

2008年01月06日 | 音楽

昨年末、カール・フリードベルクというピアニストがいたことを知った。クララ・シューマンに学んだ人で往年の名ピアニスト、エリー・ナイは彼の弟子だという。苔の生えるような昔の人だと思ったが、なんと僕と人生が重なっている。

音楽愛好家の中では知られた人らしい。ネット上の書き込みを見ても、愛好家の知識は半端ではない。音楽を職にしている人たちは案外同業の先人について知らないものだ。

シューマンの時代といえば遙かな昔と思う。しかしこの人のCDを聴いているとそんな観念は吹き飛ぶ。つまり何の違和感も感じないのである。現代のピアニストを聴くときに感じる大きな違和感を。僕とシューマン、ブラームスの時代とを結びつけているのは彼の生きた年代だけではない。

その理由は、簡単に言ってしまえば音にある。ピアノという楽器の発音のメカニズムに逆らっていないのだ。音に対する信頼だけが僕たちを遙かな昔とを結びつける。それは文学者の言葉に対する信頼と同じである。批評家は新しいピアニズムを言いたがるが、発音のメカニズムが変わらぬ以上、そんなことはあり得ないのだ。

ピアノという楽器は大変便利な反面、だまされやすいという致命的な一面を持つ。弾き手も含めて。あらゆる理屈をむりやり押しつけることさえ可能だといえる。どんな細やかな感受性も、精緻な理論も音の出せないトランペットやヴァイオリンを弁護することは出来ない。まず音を出したまえ。すべてはそれからだ。それに引き換えピアノでは鍵盤を押せばそれらしき音が出る。単純に押されて出た音と楽音とを聴き分けることは、連綿と続いてきた演奏の歴史の中に身を置けばそう困難ではないのだが、ひとたび失うとなかなか取り戻せないのも事実だ。僕がフリードベルクに違和感を感じないというのもまさにその点においてである。

こんなひとのために付け加えておこうか。音の好みは時代と共に変化するのではないかという人へ。それは当然のことである。しかし管楽器、弦楽器、歌どれをとっても発音の原理だけは変わらないのだ。あなたは勇気をふるって詩人の恋を歌ってみたまえ。それが笑われない時代が来るかも知れない。それまで待つことだ。僕はと問われれば人前で歌うことはご免こうむる。



重い腰

2008年01月02日 | その他


 キーボードを使って書くのはあまり好きではない。書くことは嫌いではないが、原稿用紙を前にしたほうがなにか考えがまとまる・・・ような気がする。

でもメモのように書きためたものの判読が不可能だったりどこかへ見失ったりが多くてね。メモ代わりにブログを始めてみようかと遅まきながら思った。

音楽のこと、読書一般のこと、シェパードのこと、サッカーのこと等々まとまりなく書いてみようと思っている。僕は音楽家であるから音楽の話が多くなるかも知れないが、そうでもなさそうな気もしている。まぁ始めてみないことには。生来筋道を立てるなどとは無縁だし。