季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

高い買い物

2008年01月19日 | 音楽
高い修理代があったから、今度は何の買い物か、と期待した人にはお気の毒さま、肩すかしかもしれない。

ピアノを選定するのは難しいという話だ。新品でも難しいのだが(本当はね)それでも、いいえ、私はこれが好きです、と言い張られればどうぞと言うしかない。それで不都合はない。所謂不良品など出回ってはいないのだから、その点から言えば「安全」なのである。

では中古はどうか。ここでは様相はがらりと変わる。ここでは鮫肌あり、ヤーさんのような音あり、くぐもり声あり、死んだものありで、良い条件の下うまい具合に育った(あるいは保たれた)楽器は考えられているよりずっとずっと少ない。

プレイエルはショパンが好んだ楽器だという知識が生半可にあるおかげで、耳は観念に引きずられてしまう。僕はプレイエルの話をしているのではない。どのメーカーでも同じである。多くの人がそうやって、僕から見ると危なっかしい買い物をしている。

ピアノアトラスという冊子がある。売っているのかな。これは現在に至るまでの全てのメーカーの製造番号を列記したもので、そこにある番号を見て楽器の製造年を特定できるというものである。4545○○のスタインウェイは1977製造といったふうに。

この冊子に記載されているメーカーの数は膨大なものだ。有名な大メーカーから小さな、数年造って消え去ったものまで合わせて何百もあるだろう。数える気は起きないが、こだわりのある人はどうぞ。そして教えて下さい。

消え去ったメーカーは必ずしも質が悪かったわけではない。中にはびっくりするくらい上等なものもあるのだ。経済力に劣って撤退を余儀なくされたものもたくさんある。いつの時代でも、どの製品でも同じである。

ドイツに住んでいて一番楽しかったことのひとつが、中古楽器を見て回ることだった。時折すばらしい音の楽器に巡り会う。誰も知らない、とうの昔につぶれたメーカーであれば、値段は笑いたくなるくらい安い。

度胸のある人はひとつこういう楽器を探してみてはいかが。安いといっても数十万(場合によっては一桁に近いくらいのこともあったが)はする。いざ買おうと思ったら耳を試されているのがよく分かるだろう。

骨董では買わなければ分からぬ、という。もっと徹底すればニセ物を買えずに骨董が分かるか、というところまでいく。楽器だって同じである。懐を痛めるだんになれば、とたんに気が弱くなるものだ。第一試されるのは耳でもあるが、楽器を扱う技量でもあるのだから。

僕の所有しているスタインウェイのアップライトはブラームスが生きていた時代のものである。昨年亡くなった調律師の辻文明さんをはじめ、多くの技術者の方が「家一軒分かかりますね、すばらしい出来映えだ」と感嘆する。これは、でも40万円くらいで購入したのである。

刀剣を扱う業者の言葉をひとつ紹介しておこう。刀を扱う手つきでその人の鑑識眼が判る。「あとはもうなにを仰っても駄目でございます」