季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ケンプと録音

2008年09月13日 | 音楽
僕の少年時代は、裕福でもなかったし、それは日本全体にもいえることで、簡単に音楽会に出かけることはなかった。今でも覚えているのは、たぶん二期会の公演だったのだろうが「コシ・ファン・トゥッテ」を観に連れて行かれたこと。まだはなたれ小僧のころだ。なんにも覚えていない、ということをよく覚えているのだ。舞台がとっても美しく見えたことと、コミカルな演技があって笑い転げたことだけを覚えている。舞台が美しく見えたのは当然だろう、当時僕の知る唯一の舞台は学芸会の舞台だったから。

演奏会らしい演奏会の記憶は、もう少し歳がいってから、小学校4年生のころかな、神奈川県立音楽堂にケンプが来たときのものだ。ただ、ここでも行った記憶は確かにあるのだが、座った場所までおよそ覚えているのだが、演奏についての記憶はないのである。彼自身の「イタリア組曲」というのがプログラムにあったはずだ。

以来、来日のたびに東京の演奏会はほとんどすべて行ったのではないか。ベートーヴェンの協奏曲すべて、ソナタ全曲演奏等、こちらはさすがによく覚えている。

こういった演奏会では、よくNHKのテレビカメラを見かけたのだが、すでに書いたこともあるが、そのほとんどが上書き消去されているという。日本は当時すでに高度成長期に入っていたのであるが、成長は、こんな薄っぺらな価値観、文化観によってかろうじて支えられていたのだ。

僕が子供のころから、何とはなしにうそ臭さに反抗を覚え、希望だの、成功だのという言葉に嫌悪を示したわけは、今にして思えばこんな処にあったのだ。当時の僕の口癖は、繁栄は水面に浮いた油のようなものだ、広がるかもしれないが、深まることなく、しかも汚れている、というものだった。大学の友人の一人が目をむいて「重松は無政府主義者か」と言ったのをよく覚えている。

そんな訳がないだろう。僕はおめでたく振舞えなかっただけだ。それでも、およそ僕の言ったとおりになっているではないか。

ケンプの演奏会は、僕にとって福音とでもいうべき、特別のものであった。彼が舞台の袖から姿を現すと、空気は光を帯びるように感じた。緊張したものは一切ないのだ。なんだか、ルネッサンス期の坊さん画家、フラ・アンジェリコを連想させる、柔らかい光だった。

ポリフォニーを自在に操り、その操り方はグールドの真反対で、まるで手品師がいくつものボールを空中に放り投げて遊ぶ、それを思い起こさせた。

音も、時には無造作といって差し支えないように扱い、それでいて、一晩聴き終わると、音楽を聴いた充実感が体中に溢れるのを感じた。

聴いた演奏会の録音を数日を経てラジオでふたたび聴いたことがある。どんな演奏でも、「生」と録音ではまったく違うものになる。

それでもケンプほどその差が激しい人を僕は知らない。mixiに入っていることは以前書いたように記憶するが、そこでケンプのコミュニティーを覗いてみると、意外なほど大勢の人がこの人を好意的に聴いている。CDではじめて聴いたという人、You tnbe でみて心惹かれた人が殆どである。

そうしてみると、録音と実際との乖離が大きいことを理由に、ケンプの良さが伝わるだろうかと心配するのは杞憂に過ぎないのだろうか。

どうもそこは分からない。ただ、何かに心動かされたことだけは確かなのである。その人たちの心の動きを、耳と直結させることが出来れば、と思う。

後に、この人の母方の先祖は農夫だったと知り、納得がいったような気がした。日本では、音楽家一家に育ったことばかりが強調されていて、そういう「エリート」臭がまったくないのが不思議だったから。

演奏家の一コマ漫画があって、ケンプは、森の切り株に座っておもちゃのピアノを弾いている。それをウサギ達が周りで聴いているのが、もうよく覚えていないが、じつにぴったりで感心したことがある。

明恵上人が木の又で座禅を組んで、周りに鳥や動物が遊んでいる有名な画がある。どことなく似たところがあるな。


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