季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

楽器を選ぶ再

2008年07月20日 | 音楽
最近でも相変わらず色んなピアノを見て歩くのが楽しい。さすがに買うことは叶わないから、ただ見ている。時には生徒を連れて行く。そうやって耳を養ってもらわないと、ピアノの生命なぞ、知れているのだ。

製作者たちは、木材が悪くて、もう良い楽器ができないと嘆く。昔はボヘミアのどこそこの森で伐採された木を使用するとか、決まっていたそうだ。今はアラスカなどから来るのだと言われれば、そうかと納得する以外ない。

その点に関しては僕だって同じである。木を見ただけで、いやアラスカではないでしょう、シベリアですね、なんて言えたら面白いが。はったりをかまして相手がひるむのを見るのは楽しそうではあるが。今度やってみよう。

木材の質、および乾燥のさせ方に問題があるのはピアノにとって重大なことだ。しかし、こればかりはなくなったものはなくなったのである。諦めるしかあるまい。

木材だけが問題なのではない。ピアノにとってもうひとつ重要なのがハンマーである。これはフェルトを固く巻いたものなのだが、フェルトというからには、羊の毛だ。羊毛が昔と今とでは変わった、と主張する人はおるまい。

と言いつつも、世の中奇抜な人もいるからなあと内心ビクビクしている。人口飼料になったとか、牧草が農薬汚染されているとか、昔と違う条件は山ほどあるからな。

冗談を言っている場合ではない。ハンマーは(ほぼ)昔と同じに造れるのだ。そのはずなのに、たとえば僕の持っている楽器のハンマーが減った場合、取り替える勇気がない。現に、ブラームスが生きていたときに製造されたピアノは、フェルトが減っているが、中音域以下はじつに美しく、それを失うのが惜しくて辻文明さんに無理をお願いした。辻さんも同じ意見で、ほんとうに苦労して高音域だけフェルトの上に皮を張ってくれた。もちろんそこの音域の音はやせる。それでも、よく使う音域は美しい。とても現代のハンマーに取り替える気にはなれないのである。

現代のピアノは、録音で聴いても鋳物の音がする。戦後60年代のスタインウェイは良かったな。どこのホールで弾いても聴いても。いものではなく、いもの音がした。イモです。ホクホクした焼いも。木と鋳物の絶妙なハーモニーと言ってよい。それがいつのころからか、金属の音が目立つようになった。

この調子ではいつの日か金属製のハンマーが出てくるかもしれない。文字通りハンマーだね。

昨日もある技術者と会って、ハンマーについて訊ねたのだが、近頃は良い品質のところはピアノ用に回ってこないらしい、という。僕は流通に関しては素人以下だから何とも言いかねるが、そんなことはあるはずがない、ただ弾き手が求めないだけだろうと思っている。

何台か例えばスタインウェイが並んでいるとしよう、すると必ず僕が駄目だしをしたものから売れる。これは良いと判断したものはなかなか買い手が現れない。面白いくらいだ。面識のある技術者になると「あっちが売れてしまうんですからねえ」とニヤニヤする。

コツではないから、何の足しにもならないが、書いておく。

ピアノを選定に行って、やおらメフィストワルツなんぞを弾く奴は選べるはずがない。ロデオってあるでしょう、暴れ馬に跨って制御するのが。あれと競馬の騎手の違いを思ってください。

楽器は暴れ馬ではない。ロデオの騎手は、とにかくどんな形であれ、暴れる馬の上に座り続ける。要するにカウボーイの世界だ。それに対して競馬や馬術競技の騎手は、調教された、いわばインテリジェンスを持つ馬との関係を、いかに築くかが彼らの技量なのだ。

そういえば日本のピアノコンクールなどは人数が多いこともあり、試弾できないのが通例だ。入試でもね。これは本当は良くないことだ。ロデオの名手を見つけても馬術競技に秀でているとは限らない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿