季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

仮定

2014年01月10日 | 音楽
先達ての記事の続きになる。

若い時のグールドの発想が面白い。
子供が小さい時からウェーベルンなどの曲ばかりを聴かせたとする。

その子が歌うようになった時、口からでるのはそうした感じの歌(音)だろうか、と。

彼独特の人懐こさで対談相手の作曲家に問いかける。

相手はいかにも大人ぶった態度で鷹揚に笑い、もちろんそんなにはならないだろうね、と答える。

こういった一見子供じみた問いかけも僕は好きである。

実はこの場面の前にグールドはウェーベルンだったか、その辺りの曲を弾いている。

件の作曲家は、その曲に対してシャイな作品だな、と感想を述べる。するとグールドは、シャイな作品ていうのはこういうのさ、とシューベルトを弾き始める。

その後、前述の場面になる。

これは実際に試みることはできない。確かなことは分からないが、ナチスは人間に対してありとあらゆる人体実験をしたという。人に暗闇を与えなかったらどうなるか、とかまで。

グールドの問もナチスだったら実地でしてしまったかも知れない。

僕も似た空想をする。

子供をほめるときに恐ろしい顔と声でほめ、叱るときは柔らかく優しい顔と声で叱る。一事が万事このように接する。この子はいったいどんな風になるだろう。

恐らくその子の精神は壊れるのではなかろうか。

僕は何も残忍な趣味からこんな事を思い付いたのではない。ピアノを弾く身体と心の関係について考えている時に思い付いたのである。


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