季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

録音と実音

2008年10月23日 | 音楽
体調が悪く、すると言葉の出てくるスピードにもてきめん影響が出る。このところ駆け抜けるように書くのが出来ない。といって吟味をするのでもない。ただ雑駁な言葉が遅く出てくる。


「意義あり」のコメントに録音でしか知らない古い演奏家の響を判断できる僕の耳に驚嘆する、というのがあった。というかコメントはひとつしかないのだがね。

僕は、特別なことではない旨の返事を書いたのであるが、それは謙遜でもなんでもない。リアリズムだ。

そうした判断がどういう経路を辿って出来るようになっていったのか、本当には分からない。ただ、どんなふうに聴き取れるようになったのかを考えてみたことがなかったから、いろいろ自分の記憶をまさぐってみるのも一興かと思い、書いてみよう。

といっても、順序だった経過がはっきりしているわけでもないし、どうしたものか。

そもそも、録音というものは、同じ音源を聴いていてもスピーカーひとつ違っても、もう違う音が鳴る。それにもかかわらず、なぜ演奏者の特徴が伝わるのだろう。

作家の五味康祐さんはオーディオマニアとして有名だった。小林秀雄さんとのオーディオ対談に際して、一万人いれば一万通りの音があるわけで、それを考えると恐ろしくなる、と発言していた。

だれでも持つ素朴きわまる疑問だ。もしかしたら単音だけ聴いたら誰が誰やらわからないのかもしれない。

すでに書いたことがあると思うが、僕は中学の時にはじめてベートーヴェンのシンフォニーに接した。あれこれ聴き比べて(多分偶然)手に入れたのがフルトヴェングラーの演奏だったのである。その後、手に入る限り彼の演奏を買い、オーケストラ曲に親しんできた。

パリ管やフィラデルフィア、レニングラード等々実演も聴く機会が増え、音楽家になろうと志してからは、大きな声では言えないが、新聞社に紛れて練習に潜入したり、演奏会に潜りこんだりまでして、とにかくよく聴いた。しかしいまひとつ納得できないのだ。

ドレスデンの歌劇場管弦楽団を聴いたとき、身震いした。これこそ僕が親しんできた音だ、と確信した。指揮者はブロムシュテットという、まあ日本で名前くらい知られているが、なんの取り柄もない人だった。

多分それが幸いしたのだろう、ドレスデンの音はしっかりと保たれていた。当時東ドイツにあって、楽員達はインタビューで(ドイツに住んでいたときもよく耳にした)「自分たちはこの独特な響を守らなければならない」と言っていた。

そういうオーケストラに中途半端に頭が回転して、軽薄で強引な指揮者がきたらとっくに響は失われていただろう。ロリン・マゼールとかね。

そうそう、希代の毒舌家チェリビダッケはマゼールを評して「カントを読む6歳の子供」と言ったな。これは言いえて妙で大いに笑った。

ドレスデンの音は、弦楽器群がなんというか、目の詰まった織物のようで、充実していて、しかも重たくない。ウィーンフィルがビロードならば、絹のような手触りなのだ。金管楽器も実にバランスよく溶け合う。

そうそう、マイスタージンガーの前奏曲を聴いてシンバルの見事さに驚嘆したのもこのときだったな。

レニングラードフィル・ムラヴィンスキーでブルックナーを聴いた時、出番が来るとトロンボーンやトランペットが一斉に朝顔を上に向け、咆哮がはじまる。やかましいのなんの、戦車の砲身が上を向いて、一斉射撃を開始したような感じだった。砲身の、じゃなかった、楽器の上向きの角度までが揃っていて、本当に砲身にしか見えなかった。ハーモニーというより、陸、海軍の意地の張り合い及び国威高揚というほうがずっと近かった。

こんな判断がついたのは何故だかわからない。けれどもレコードで親しんだ響の質感と共通する音としない音があることだけは判別できた、と言うしかないのだ。

様々のオーディオ機器で聴いても判別できる理由のひとつは、音色自体というより「異議あり」で音(声)の出どころなんて通じにくいかもしれない言い方をしたことと関係があるのかもしれない。





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1 コメント

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本物の響き (伊藤治雄)
2008-10-24 13:48:32
なるほど、リアリズムか。絹織物のような音ね。本物の演奏を聴いていれば、どんな再生音の中にも「響き」を聴き分けられるでしょう。写真などでも、どんなに古ぼけて色褪せていても、写っている人が誰だか、本人を知っていれば、容易く見分けられるようなものですね。
 こう考えると、オーディオに凝るのは虚しいね。どんな機器だって、それなりに音が出るわけだし、本物を聴き分けるためだけの装置にすぎないわけだから。
 それでも普通の人は演奏会になかなか行けないので音響機器で代用せざるを得ないから、音響機器の必要性は否定できないけれども。
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