季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

弦の錆

2016年09月18日 | 音楽
講座で使用しているホールには古いスタインウェイがある。とても美しい音の楽器だ。

オーナーは音楽とはまったく無縁の人で、こんな楽器を購入出来たのは幸運だという以外ない。

7月の講座で音が随分変わっていて、見ると弦が張り替えられている。ロシア人ピアニストが演奏して低弦を叩き切ったのだという。

古い楽器故、弦は全体に少し錆が出てはいた。そのせいかもしれないと慌てて張り替えをしたそうだ。

断言しても良いが、件のロシア人ピアニストはとんでもなく汚い音の持ち主だろう。低弦は殆どの人が一生に一度切れるのを経験するかしないかなのである。

このピアノに手を加えるべきはハンマーに針を刺して整音し、メカニックを調整することであった。

美しいがやや固めの響きがして、もう少し柔らかい音になればもっと良さが出ると最近は感じていた。

(もっとも、そうしたらそのロシア人はもっと力任せに叩いて、低弦の5、6本は切っていたのかもしれない)

オーナーはもちろんそれを判断出来るはずはない。しかし技術者はそれくらいのアドバイスを与えることは出来ただろう。

技術者たちは錆が出た弦からは本当の響きは出てこないと必ずと言って良いほど説いてくる。

待ってもらいたい。今現在美しく響くのならば張り替える必要はない。錆が無くなればその美しさが一段と増す、これは単なる理屈の世界である。

箸にも棒にもかからないような代物に丁寧に手を入れて復活させることができるのは事実だ。その経験が言わせるのであろうか。

ホールのオーナーが張り替えを依頼して来た時、それは決して悪い結果を産み出す筈はない、リスクゼロ、張り替えを決意する良いチャンスだ、と考えたのではあるまいか。

結果は失敗とまでは行かないまでも、余計コントロールしにくい、弾いた感触が、そうだなぁスプーンを噛んだ時のような不愉快なものになってしまった。スプーンを噛んだことなぞないという、お下品とは縁のない人には伝わらないだろうが。

僕の所有するベヒシュタインのコンサートグランドは弦は錆だらけで、理論的には最低なのである。ロシア人なら低音域数十本切るであろう。

でも1本ずつ張り替えるならともかく、弦は全部外して張り替えるのである。響板にかかっていたとてつもない張力はゼロになり、再びかかる。

外す前とまったく同じたわみ方をするというのは無理だ。結果、どうしても以前とは違った響きになる。

それは必ずしも悪い響きではないだろう。しかし僕の場合、現在の響きに充分魅了されているのだ。

要するに単純にプラスαになるというのは妄想に近い。楽器は生き物だと言いたいのならば、生き物にはその年齢に応じたバランスだってあることを考えてみたら良い。僕の首から上だけを高校生の頃に戻すことを想像してみたら良い。