パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

猪苗代湖ズの叫び

2012-01-02 14:32:16 | Weblog
 紅白はどうなっているのかと思ってチャンネルを入れたら猪苗代湖ズが、「フクシマー! 好きだー!」と大声で叫んでいた。

 なんだこいつらは、と思ったら、叫んでいた男はサンボマスターのボーカルなんだそうで、他のメンバーも、「一流」なんだそうだ。

 ロックバンドとして、「一流」なことはわかる。

 あの地声の怒鳴り声は、なかなかできるものではないし、サンボマスターが評価されている理由もわかった。

 でも、あの「フクシマー! 好きだー!」は、どう考えても「絶望の叫び声」。

 「あんなに好きだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだ」という気持ちを込めて「フクシマー! 好きだー!」と言っている。

 そうとるのが普通だろう。

 だとしたら、「あなたに《好きだ》と言ってもらえて嬉しいですが、そう言ってもらえる私はもうありません。でもお言葉はありがたいです」という意味で、「フクシマ頑張れ!」と解釈するのはまああり得るかもしれないが、「元気をもらいました」というのはどうかしている。

 これは、自分に嘘をついている。

 なんで嘘をつかなければならないのかというと、世間にあわせるためだ。

 それでも苦痛にならないとしたら、それは「自分」というものをもっていないからだ。

 だとしたら、どんな風にでも、世間にあわせることができる。

 津波にあって、一本だけ残った松に、津波の恐ろしさ、津波の強大さを見るのではなく、津波に抗して生き残った事実を牽強付会に見て「希望」のシンボルにしてしまったのも同じ話。

 でも、その松は結局塩害で立ち枯れになった。

 あの松は決して「希望のシンボル」なんかではなく「絶望のシンボル」だったということが「事実」として明らかになってしまったのだ。

 結局、正しく「絶望」しなければ、「希望」も見えてないのだ。

 とか、小難しいことはともかく、「フクシマー! 好きだー!」という猪苗代湖ズの叫び声は、「好きだったんだよ、なのになのに……テンテンテン」という意味だったことを、詩人は(もしいるならだけど)ちゃんと指摘しろと言いたい。

 猪苗代湖ズの歌唱力があっただけに、なおさら。

 で、紅白は芦田なんとかという子供が脚を滑らせたところで、三谷幸喜が、ミッキーの踊りが「キレがある!」と誉めたこと(だったら猪苗代湖ズの歌唱力に「しんみりしました」くらいのことを言って、「元気になる」症候群を皮肉ってほしかったが)を見た後、テレビ東京のボクシング、スーパーフェザー級世界王座決定戦を見た。

 内山が11回、度肝をぬくKO勝ち。

 相手はメキシコのボクサーで、暫定世界王者だった実力者だが、左フック一発で倒れた瞬間、レフェリーが割って入って試合打ち切りを宣言したものすごさ。

 後でインタビューを受けていたが、それもすごくしっかりした受け答えで、感心した。

 お母さんも観戦していてインタビューを受けていたが、お母さんと言えば大相撲の豊ノ島のお母さんは、すごく若くて美人。

 二人が並んだら、どう見ても夫婦で、もう一度見てみたいが、豊ノ島が大関になったら出てくるだろう。

 豊ノ島、頑張って大関になれ(優勝でもいい)。