パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

ドストエフスキーは一人だけ

2009-10-13 22:18:40 | Weblog
 野暮用が多くて更新がままならないが、昨日、カトリーヌ・アルレーの「わらの女」を読んだ。

 アルレーというと、世界的ベストセラー作家だが、女性だったのだ。

 知らなかった。

 カトリーヌなら、女に決まっているのに。

 さて、「わらの女」というと、そのアルレーの代表作で、私も名前だけは知っていたのだが、読んでみて…はっきり言って、がっくりである。

 もちろん、面白くないことはないのだが、意外に単純、かつ浅薄なお話で、不満が残る。

 超のつく、世界的大富豪の秘書が、その大富豪の遺産を狙って、新聞に花嫁募集の記事を出し…という話だが、読んでいない人も多いと思うので、ストーリーはこれまでとするが、ともかく、その秘書が完全犯罪を達成するという話だ。

 別に勧善懲悪でなければならないなんて言うつもりはないが、はっきり言って、これでは淡白すぎる。

 夫殺害の嫌疑をかけられた新妻が、あらゆる状況証拠が黒であるのに、必死に無実を訴える。

 秘書のたくらみで、その状況証拠は完璧。

 だとしたら、にもかかわらず、なんで自白をしないのか、と捜査官としては思うはずであり、そこから、捜査を進めると、意外や意外、秘書が怪しい…ぐらいの展開を見せてくれなくっちゃだわだ。

 70過ぎまで独身だった、人間嫌いの大富豪とまんまと結婚してしまうくらいだから、「わらの女」(でくの棒という意味らしい)どころか、大変に頭がよく、かつしたたかな女性で、実際、結婚するまでは実にはつらつとしているのだが、警察に捕まると、とたんに「わらの女」になってしまう。

 それで、彼女はなす術もなく独房の中で…と書くとお話をあらまし紹介してしまったことになってしまうが、彼女、ないしは先に書いたように捜査官あたりが,「反撃」してくれないと。

 もっとも、その「反撃」を十分に描くとなると、最低2倍、いや、3倍に膨らむだろう。

 そして、そこまで描ききれば、まさにドストエフスキー並の大文学になりえたと思うが、まあ、ドストエフスキーは何人もいないということだ。