パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

貧乏は正しい…?

2009-10-24 21:10:02 | Weblog
 昨日、朝生を見ていたら、東浩之が「ベーシックインカムしかない」と突然言い出した。

 司会の田原は一瞬「ん?」みたいな顔でとぼけたが、ぜんぜん聞いたこともないということではないようだった。

 ただ、まったく荒唐無稽の話に過ぎない、と考えているみたいで、積極的に話しを続けようとはしなかった。

 その場の雰囲気としては、ベーシックインカムなんか聞いたこともないという人はいないようだったが、賛否はほぼ半々という感じだった。

 雨宮なんとかという、元右翼で今は反貧困活動で活躍していぅ女性に、田原が「湯浅君はベーシックインカムについてどう考えているの?」と聞くと、彼は興味がないみたい、と答えていた。

 雨宮女史も右に同じという感じだったが、なんで興味がないかというと、貧困問題は企業の責任であり、企業が解決しなければならないという考えだからだそうだ。

 そうだろうなあ。

 ベーシックインカムは、企業側にとっても非常に都合のいい話だから。

 森永卓郎も、当然、ベーシックインカム論議に積極的に加わってもいいはずなのに、そうしなかったが、彼も、企業に責任があるという急先鋒だからだ。

 「ベーシックインカム」の一言で、学者、評論家のややこしい立ち位置が見えてきたような気がする。

 森永は、現在の貧困問題は企業に責任があるということから、企業に全責任を負わせ、解雇を禁止すればいいのだ、社員は全員正規社員でなければならな法律で決めればいいのだと、びっくりするようなことを言い出した。

 しかし、企業に責任があるのだとしたら、その企業に問題を解決させるというのは変じゃないのかな、森永さん。

 本当に企業に責任があるのだとしたら、その企業は退場しなければならないんじゃないのか。

 それは、不祥事を出した企業の社長さんが、「責任のある私が問題を解決します」と言って居直るのと同じ論理じゃないのかな?

 ところで、今、若い男性、といっても30台全域も「若い男性」ということでくくられているようだが、その若い男性が職が得られずに苦しんでいることについて、雨宮女史が、「私たち女性が苦しんできたことを今若い男たちが経験しているのだ」と、「ざまあ見ろ」的な顔で言った。

 これに、小沢のおばちゃん(名前忘れてしまった)が、「そうよそうよ」と満腔の笑みをもって賛意を表していたが、それはちがうよ、ご両人。

 橋本治が「貧乏は正しい!」で言っている様に、若い男性というのは、元来、貧乏であり、若い女性は金持ちなんだ。

 なんで、若い女性は金持ちというと、世間が貧乏な若い女性という存在をほって置かないからだ。

 若い女性は美しく着飾らないと惨めになるような存在だからだ。

 が、しかし、世の中には貧乏な女性も当然いる。

 そういう彼女たちが、こう言った。

 「私はただ貧乏なだけで、ブスじゃないわよ」。

 これが、ウーマンリブのはじまりだと橋本治は言うのだけれど、雨宮女史は論外として、小沢女史もこの理屈は「なに言ってるの、ぜんぜんわからないわ」と怒るだろう。

 たしかにややこしい理屈だけど、基本的に正しい。

 その証拠に雨宮女史、いつもきれーな帽子をかぶって、「私は、貧困な若者を代表している」と言っている。

 そんなに高いものではないだろうが、でも、あれは、「自分は貧乏だけど、ブスではない」と主張するためにかぶっているのだ。

 いやまあ、それより、言いたいことは、「若い男性」が貧乏であることはあんりたいした問題じゃない。

 若い男性は、自分が貧乏であることがあたりまであり、かつそれをほこりにするような存在であるべきなんだ…というのが、「貧乏は正しい!」という奇妙なタイトルの意味なのだが、そういうわけで、朝生出席者の一人が最後のほうで言っていたが、貧困問題というと、マスコミは「若い男性」ばかりをとりあげ、大人、特に中高年以上はたっぷり溜め込んでいるというイメージで報道しているが、実は、「貧困問題」が深刻なのは中高年以上の男性なんだ、と言っていたが、まさにそのとおり。

 これこそメインテーマなのだ。

 秋葉原で暴れて大量殺人を犯した奴も、別に給料が安くて頭にきたわけではない。

 彼女ができないことを、安い給料、派遣社員のせいだと思って、それで頭にきたのであって、あれじゃあ、もてないのも当然だなという話なのだ。

 ほこりをもって、自分が貧乏であることを「正しい」と言うことのできる男が、「金持ち」の若い女性からもてるのだ。

 ナゼって、そういうせりふは若い女性には絶対に言えないから。

 と思うのだがね。