「口で説明することは不可能」と、複数の人から言われた「謎の店舗」、恵比寿のナディフ本店に「風に吹かれて」を持参し、取引を申し込む。
「近々、会議があるので、そこで検討したい。置かせてもらう時には、こちらから連絡するが、そうでない場合は、特に連絡はしない。預かった本も、返却は出来ない。店に並ぶとしたら、4月から」と言われる。
もちろん、なすがまま、キュウリがパパであり、言われるまま承諾して、その時には奥付にある住所に連絡してくれと伝え、その後、店を見て回った。
ナディフは、恵比寿の都写真美術館にも店を出しているが、品揃えはかなり違う。
もちろん、都写真美術館の方は、写真集が中心で、ナディフ本店は美術が中心という違い。
置かれている写真家は、やはり荒木、森山大道、中平卓馬の3人が中心だが、他には、最近活躍の目立つ倉石信乃、清水穣等が積極的に推す作家が並べられているという印象があった。(「帯」等からの推測)
フリードランダーの巨大な「作品集」があった。
こちらは「風に吹かれて」の、一冊1.5キロどころか、一冊20キロくらいありそうだったが、「あ、こういう風にとればよかったんだ」と思わされるものがあった。
ともかく、私はフリードランダーが一番好きだったのだ。
あと、都の写真美術館には壁に全紙くらいに引き延ばされた荒木の豪徳寺のマンションの屋上の写真が飾られていたが、金子さんによると、あれは「売り物」ではないそうである。
つまり、あくまでも飾りとして貼られているだけなのだそうで、それはナディフ本店も同様のようだったが、でも、私なんかは、「プリントを売る」という行為に果てしなく憧れるのだ。
そういうわけで、「風に吹かれて」に掲載されている500点以上の写真も、すべて、基本的にプリント販売に応じますので、よろしく。
もちろん、「生活の足しにしたい」ということもあるのだが、それだけではない…。
「シェア・オブ・マイ・ライフ(フォト)」という感じかな。
そういえば、ナディフ本店に、「芸術家は何故貧乏か」という本が置いてあった。
かなり分厚い本で、貧乏なんで買えなかったが、「生き方として貧乏を選ぶ」のが、芸術行為の本質である、という感じなのかな?
だとしたら、ベンヤミンのブレヒト理解に近そうだが。
「近々、会議があるので、そこで検討したい。置かせてもらう時には、こちらから連絡するが、そうでない場合は、特に連絡はしない。預かった本も、返却は出来ない。店に並ぶとしたら、4月から」と言われる。
もちろん、なすがまま、キュウリがパパであり、言われるまま承諾して、その時には奥付にある住所に連絡してくれと伝え、その後、店を見て回った。
ナディフは、恵比寿の都写真美術館にも店を出しているが、品揃えはかなり違う。
もちろん、都写真美術館の方は、写真集が中心で、ナディフ本店は美術が中心という違い。
置かれている写真家は、やはり荒木、森山大道、中平卓馬の3人が中心だが、他には、最近活躍の目立つ倉石信乃、清水穣等が積極的に推す作家が並べられているという印象があった。(「帯」等からの推測)
フリードランダーの巨大な「作品集」があった。
こちらは「風に吹かれて」の、一冊1.5キロどころか、一冊20キロくらいありそうだったが、「あ、こういう風にとればよかったんだ」と思わされるものがあった。
ともかく、私はフリードランダーが一番好きだったのだ。
あと、都の写真美術館には壁に全紙くらいに引き延ばされた荒木の豪徳寺のマンションの屋上の写真が飾られていたが、金子さんによると、あれは「売り物」ではないそうである。
つまり、あくまでも飾りとして貼られているだけなのだそうで、それはナディフ本店も同様のようだったが、でも、私なんかは、「プリントを売る」という行為に果てしなく憧れるのだ。
そういうわけで、「風に吹かれて」に掲載されている500点以上の写真も、すべて、基本的にプリント販売に応じますので、よろしく。
もちろん、「生活の足しにしたい」ということもあるのだが、それだけではない…。
「シェア・オブ・マイ・ライフ(フォト)」という感じかな。
そういえば、ナディフ本店に、「芸術家は何故貧乏か」という本が置いてあった。
かなり分厚い本で、貧乏なんで買えなかったが、「生き方として貧乏を選ぶ」のが、芸術行為の本質である、という感じなのかな?
だとしたら、ベンヤミンのブレヒト理解に近そうだが。