パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

混乱

2011-02-20 16:25:02 | Weblog
一昨日、恵比寿の東京写真美術館に「風に吹かれて」を一冊、寄贈してきた。




といっても、「寄贈されてありがた迷惑」ということはないとおもう。

事務局長(なのかな?)の金子隆一さんはかつての仲間というか、親友だし。(一応,かつて写真をやっていた人間なのだ)

写真美術館では、整理した上、三月から三月から公開ということです。

その東京都写真美術館では、4、5月頃から戦前芸術派写真の精髄と題して、元資生堂の社長、福原信三(現社長の福原が写真美術館の館長だ)とか、安井仲治といった人を取り上げるらしい。

安井仲治は、彼自身が作ったプリントが多数残っているそうで、こりゃ楽しみだ。

それから、バルトの写真論「それは=かつて=あった」が、写真がノイジーな「物質」として残っていることが前提されているといったことをしゃべった後、帰宅したが、そのとき、自分が関わっている企画ではないのだがということで、「恵比寿映像祭」を見ていったらどうかと言われ、見ていくことにした。

ヨーロッパ、日本の映像作家、アニメイターらの作品を集めたものだが、案外面白かった。

特に面白かったのは、タニア・グティ・クレティオアスの、交差点を歩いている人をCGで再現したもの。

なぜって、私が撮った「交差点」の写真とコンセプトが似ているから。

単純な話だ。

ところが、こうしてCGで再現されたちっちゃな人々が目の前で行き来しているのを見ていると、それがイメージとして残ってしまい、ヤバいことになった。

「ちっちゃなCG映像」が残ってしまうのだ。

それで、さきほど、ジューサーで人参ジュースとリンゴジュースを作ったのだが、なぜかフィルターを外に巻いてしまったため、ジュースが全然しぼれなかった。

え、なんで?と思ったが、要するに,内と外が逆にセットしてしまったのだ。

フンドシを身体の外に巻いたようなものである。

写真美術館では上から見ていたCG画像が、アパートではなぜか,寝転がって下から見上げる形になっているため(見ているものはCG画像なんかではなく、単に本を棚の下から見ているだけなのだが)、混乱を来したものであるらしい。

よくわからないけれど。