SMマニアには高学歴者が多い、と書いたつもりはないのだけれど、そう理解された文章だったかもしれない。
と、かつて、キャンディ・ミルキィさん(彼女?は今も女装しているのだろうか)に会ったとき、「女装愛好者には知能指数の高い人が多いように思う」と質問をして「南原さん、コロリッとだまされましたね。女装趣味と知能指数は何の関係もありません」と切り返されたことを思い出した。
しかし、だからといって、女装愛好者、SM愛好者に高学歴者がいないというわけではもちろんないわけで…こちらとしては、やはりそういう人たちに興味を抱いてしまうのだ。
で、森下高茂氏なのだが、私が彼の文章中、興味を持ったのは、第2次大戦中に犯した日本軍の蛮行について、「俺がこの目で見た」というのではなく、その事実をうすうす知りながら、口を拭って知らんぷりで、戦後の政治、行政、立法の中枢を担っていると告発している点である。
「俺はこうして中国人の首を切り、腹を割いた」と、微に入り細を穿って書いたり語ったりするものが少なからず存在するが、それこそベタな、知能指数の低いSMマニアであって、信憑性は低い。
もちろん、殺された側にしてみれば、直接自分を手にかけたやつこそ憎いだろうが、「本当に悪いやつ」はそんなやつらではないぞ、「悪いやつ程よく眠る」で、そういうやつらが、今、現に三権のトップにいるのだと、森下氏は、言っているのだ。
正直言って、私は、恥ずかしながら、そんな風に考えたことはなかった。
日本軍の告発者としては、せいぜいがところ、山本七平くらいだが、山本も実際は下士官であった。
下士官風情に戦争の何がわかるか。
もちろん、山本氏はそれを承知で、自分の知る限りを書いているのだけれど。
それはさて、当時の軍…いや、「軍隊」は戦後なくなったので、さすがにそれはないだろうし、政治家も「選挙」というシステムがあるから、そう簡単には生き残れないだろうが、官僚のトップたちは、我々の全く知り得ない、全く違う次元で、営々と今日まで生きながらえているのだ。
官僚たちは、自分たちが生き残ったからこそ、日本は復興できたのだと考えているだろうし、実際そうなのだろうが、それでよかったのか?
むしろ、悪くなってしまったのではないか?
そしてそれは、彼らが倫理というものを、「個人」において問うことをせず、ただ単なる美辞麗句(人命尊重!)で切り抜けようとしたからだ。
と、70年代初頭において、森下氏は、「彼ら」の真の姿を知るものとして(かどうかわからないが、森下氏は、なんか雰囲気的に「彼ら」を知っているような感じがするのだ)、問うているのだ。
まあ、要するに、日本の官僚たちは、自分たちが倒れるときは日本が倒れるときだと思っている。
あ、いや、マッカーサーだってコロリッとだまされたんだもんなあ。
マッカーサー司令部が、あるとき、日本の役所のドアに「この扉、使うべからず」と張り紙をしてあるのを見て、「これは変だ。使える扉を指示すべきだ」と「改良」を命じたそうだが、こんな「改良」も、その「精神」が伝わらなければ換骨奪胎、結局、有耶無耶だもんなあ。
と、かつて、キャンディ・ミルキィさん(彼女?は今も女装しているのだろうか)に会ったとき、「女装愛好者には知能指数の高い人が多いように思う」と質問をして「南原さん、コロリッとだまされましたね。女装趣味と知能指数は何の関係もありません」と切り返されたことを思い出した。
しかし、だからといって、女装愛好者、SM愛好者に高学歴者がいないというわけではもちろんないわけで…こちらとしては、やはりそういう人たちに興味を抱いてしまうのだ。
で、森下高茂氏なのだが、私が彼の文章中、興味を持ったのは、第2次大戦中に犯した日本軍の蛮行について、「俺がこの目で見た」というのではなく、その事実をうすうす知りながら、口を拭って知らんぷりで、戦後の政治、行政、立法の中枢を担っていると告発している点である。
「俺はこうして中国人の首を切り、腹を割いた」と、微に入り細を穿って書いたり語ったりするものが少なからず存在するが、それこそベタな、知能指数の低いSMマニアであって、信憑性は低い。
もちろん、殺された側にしてみれば、直接自分を手にかけたやつこそ憎いだろうが、「本当に悪いやつ」はそんなやつらではないぞ、「悪いやつ程よく眠る」で、そういうやつらが、今、現に三権のトップにいるのだと、森下氏は、言っているのだ。
正直言って、私は、恥ずかしながら、そんな風に考えたことはなかった。
日本軍の告発者としては、せいぜいがところ、山本七平くらいだが、山本も実際は下士官であった。
下士官風情に戦争の何がわかるか。
もちろん、山本氏はそれを承知で、自分の知る限りを書いているのだけれど。
それはさて、当時の軍…いや、「軍隊」は戦後なくなったので、さすがにそれはないだろうし、政治家も「選挙」というシステムがあるから、そう簡単には生き残れないだろうが、官僚のトップたちは、我々の全く知り得ない、全く違う次元で、営々と今日まで生きながらえているのだ。
官僚たちは、自分たちが生き残ったからこそ、日本は復興できたのだと考えているだろうし、実際そうなのだろうが、それでよかったのか?
むしろ、悪くなってしまったのではないか?
そしてそれは、彼らが倫理というものを、「個人」において問うことをせず、ただ単なる美辞麗句(人命尊重!)で切り抜けようとしたからだ。
と、70年代初頭において、森下氏は、「彼ら」の真の姿を知るものとして(かどうかわからないが、森下氏は、なんか雰囲気的に「彼ら」を知っているような感じがするのだ)、問うているのだ。
まあ、要するに、日本の官僚たちは、自分たちが倒れるときは日本が倒れるときだと思っている。
あ、いや、マッカーサーだってコロリッとだまされたんだもんなあ。
マッカーサー司令部が、あるとき、日本の役所のドアに「この扉、使うべからず」と張り紙をしてあるのを見て、「これは変だ。使える扉を指示すべきだ」と「改良」を命じたそうだが、こんな「改良」も、その「精神」が伝わらなければ換骨奪胎、結局、有耶無耶だもんなあ。