パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

つけにしといて

2011-01-02 17:49:41 | Weblog
 去年の大晦日の「朝生」で、ちょっと面白い,興味深いやりとりがあった。

 中国に在住し,中国には日本の,日本には中国の情報を発信する仕事をしているという、若い人が、日本人は、中国は共産党の一党独裁政府だから、すべて党の先決で物事が進められているように思っている人が大半だと思うが、実際には様々な諸政策が具体的に、徹底的に論議されている、というのだ。

 もちろん、論じられていることは経済事案に限られ、共産党批判に及ぶことはないのだろうが,経済に関しては,具体的方策をめぐって非常に活発な論議が展開されており、共産党の政策も、それを受けて行われている、という。

 この発言は,現今の日本の政治の「政局」中心で、「政策」が論じられていない現状を批判する、「朝生」のテーマ設定にのっとっての発言だったが,これに対し,他の出席者の多く、いや、ほとんど全部から批判が出た。

 曰く、「日本の政治の現状が政局中心で,政策に論議が及んでいないのは、民主主義を行うにあたってやむを得ないコストを支払っているのだ」と。

 私はこのやり取りを聞いていて,ちょうどその直前に、たしか、福沢諭吉だったと思うが,ある言葉を思い出した。

 福沢諭吉だとしたら、定説である「反中国」とはちょっと趣きの異なる発言だが,中国では,会議で公に物事を決める前に,関係者が徹底的に議論し,そこで結論を得てから会議を開く、という古来からの智恵があるが、日本には議論で物事を決めるという習慣がなかったので、近代国の真似をして会議を開いても甲論乙駁、ワイワイガヤガヤ騒ぐだけで,何も決まらないというのだ。

 そもそも、共産党の独裁政府だろうが、かつてのフセインのようなワンマン独裁政府であろうが、北朝鮮のような世襲独裁であろうが、民主的選挙で選ばれた政府であろうが、「権力を掌握している」という意味では何の変わりもない。

 そして、日本の権力を掌握しているのは、現在は民主党の菅政権なのだから、バラマキと言われようが、マニフェストが支持されて権力を得た以上、「結論」は出たのであって,断固とした意志を示せば,実行できるのだ。

 なぜなら,日本は今だって世界有数の経済大国であって、自らが生み出す将来、生産されるであろう「富」に依拠することは充分出来るはずなのだ。

 要するに、「つけを未来にまわすな」が、今、合い言葉になっているが,実は、日本の現状を見れば、未来に「つけをまわす」ことは充分出来るのだ。

 少なくとも,高速道路の無料化とか、基礎年金の国家負担といった程度の施策なら、「つけ」でやっても大丈夫――だと私は思う。

 それにしても、NHKの「経済」に関する、独善、独走ぶりはなんとかならないのか。

 昨日だったと思うが、どこかの研究所の研究員とやらが、日本の未来は、「薄利多売」ではなく、「高利薄売」だと、一個千円だか二千円だかしらないが、超高級リンゴを持ち出して言っていた。

 要するに,日本の今後の行く道は、高級ブランドの発信国になることにあるというのだが、しかし、現にそうなっているところはそうなっている、あるいはそうなりつつあるのであって、「どこかの研究員」の発言は、新しい見方のようで、実は、まったくの「アナクロ発言」のように思う。

 横に座っていたアシスタントアナウンサー(あ、思い出した、「カンブリア宮殿」で村上龍の隣に座っていたのは、小池栄子でした)が、「でも、お安いのをつい買ってしまいますよね」と言うと「どこかの研究員」は、「高いリンゴとかお米を中国の富裕層に売りつけ、そのお金で安い中国品を買う」みたいなことを言っていた。

 なんだかなー。

 これ、「経済理論」になっているのか?

 それはそれとして、私が問題だと思うのは,この提言が、実質的にNHKの提言であることだ。

 それを,私は「NHKの独善」と言ったのだが、巨大マスコミの「独善」ほど恐ろしいものはない。

 反対意見を「黙殺」することができてしまうのだから。