パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

終身刑を考える

2010-01-24 17:06:48 | Weblog
 日本でなかなか職が見つからず、タイに渡った青年のドキュメント風、密着取材ものを少し見る。(日本テレビ)

 今回のタイ行きは2度目で、最初の時にはホームレス状態になってしまったが、今回はワンルームのマンションを日本円で9000円で借りて、ここを拠点に対にやってくる日本人向けの仕事を探している。

 一応ブログももっていてバンコク市内の格安インターネットカフェで毎日更新し、アクセス数で広告料をもらっているが、いいときで1万円くらいらしい。

 青年は、外見はごく普通だが、小さい頃からやや発達障害気味で、日本にいたときには食品会社でサラリーマンをしていたが結局その職を失ってしまった。

 それで、対人と日本人の混血の青年がやっている日本人向けのタイ語教室のホームページー作成の求人広告を見つけ、そこで、大体何分くらいで更新できるかテストされる。

 決まりでは、15分くらいで更新しなければならないが、青年は5分くらいでやってしまう。

 なるほど、ブログの更新って通常、そんな時間なのかな。

 私は、1,2時間は優にかかってしまうが。(もちろん、打ち込みに手間取っているのじゃない。文章を考えるのに時間がかかる。今日どこそこのラーメンを食べたくらいの内容なら、10分あれば十分だろうが、私の場合はそうじゃないので‥)

 それで、今回は就職できるのではないかと番組のスタッフが声をかけるが、青年は、ビルを出た瞬間、今回もきっとだめだと肩を落とす。

 と、ここで、こっちも部屋を出たので、この青年の求職活動の結果は知らないのだが、落とされ続けたというのは、やっぱり番組のカメラではわからないような、何かがあって、それで「不適格」と判断されるのだろう。

 それは、結局、「対人関係がうまく行かない」という雰囲気を出しちゃうのだろう。

 というか、実際にそうなんだろう。

 しかし、青年が南国のタイに向かったというのが面白い。

 「面白い」というと御幣があるが、多分、最初から、「ホームレス生活」を予想しているのだろう。

 映画、「ミッドナイト・カウボーイ」と同じだ。

 ラット(ダスティン・ホフマン)は、暖かいフロリダへ行くのが夢で、そこへ向かう長距離バスの中で小便をたらしながら死んでしまう。

 話は変わるが、刑務所を出所後、仕事がないので強盗を繰り返しながらサウナで寝泊りし、最後に女子大生を殺したことを白状した48歳がいたが、はっきり言って、彼のような男性が仕事を得ることは今のようなご時世でなくても、無理だろう。

 だとしたら、生きるためには盗みでも強盗でもしなければならないし、だったら、事のついでに性欲も満たしておこう、それで捕まれば、刑務所で暮らす。

 件の男は、強盗容疑で逮捕され、その取調べ中に強姦殺人を「あれは俺がやった」と自白したんだそうだが、もう、これからの人生は刑務所で過ごそうと決心したということなのではないか。

 決して男をかばうのではないが、「だったら、思い切り残虐な犯罪を犯して刑務所で暮らそう」という男の非情な結論は合理的だ。

 もちろん、かく結論を出すことと、実際に強盗強姦殺人を犯すということはちがう。

 男には、本来、そういうことをやってしまえる異常人格者だったということなのだと思うが、だとしたら、司法はどう対応すべきなのか?

 簡単だ。

 終身刑にして、社会との接触を断つ以外ないだろう。

 日本には「終身刑」そのものがないので(なんでだろう?)、その本質が語られることもないが、「終身刑」は、「死刑の代わり」にという理屈で主張されることが多いが、むしろ、社会との接触を断つ」ことに本質あるのじゃないか。

 
 いずれにせよ、司法の判断としては、過去を悔い改め、まともな社会人として生きてゆくことを期待して、刑務所から出したという建前なのだろうが、はっきり言って、このような対応は非現実的だ。

 刑期を終えた人間がまた戻ってくることについて、「しょうがない」と、司法が考えているとしたら、それはとんでもなく迷惑な話だ。