パラドクスの小匣

南原四郎、こと潮田文のブログです。

右か左か

2008-12-13 15:47:27 | Weblog
 『イギリスから来た男』を見る。

 もちろん、テレビでだけれど、また例によって途中からだったので、題名も出演者も誰だかわからないまま、見続けた。

 というわけで、「イギリスから来た男」が、実はテレス・スタンプであること、彼が娘の仇として命を狙う相手がピーター・フォンダであることも、翌日ネットで調べてわかった。

 もっとも、スタンプの若いころの出演作が男の回想場面に挿入されるので、「あれれ?」とは思ったのだが。

 それにしてもまあ、年をとったことだと感嘆する。

 ソダーバーグ監督作品で、製作年が1999年だそうだから、もう、今から9年も前ではないか。それで、あれかね、テレス・スタンプ。

 しかし、年はとっても妙にかっこいい。いったい、誰なんだろうと終始思いつつ見ていたのだが、そんな風に、「気になるじじい」ではあった。

 それはそうと、LAの近郊の太平洋岸を舞台にした映画というのは結構あるけれど、みんな似た雰囲気をかもし出す。

 別に嫌いというわけではないのだけれど、やっぱりコンサバティブな東海岸を舞台にした映画にくらべて安定感、安心感のようなものはない。

 いつもいつも、終末に向かって急かされているような雰囲気が漂う。

 遅かったので結局最後までは見なかったのだけれど、フォンダが恋人と一緒にコンバーチブルで海岸ぞいの道を走らせているとき、画面向かって左が海、右が陸であったが、ということは、右をずっといけばニューヨーク、左の海をずっと行けば、ハワイ、日本なのかなと思ったりした。

 というのは、フォンダの運転する車は画面上に向かって走っているので、いわゆる「北上」しているのだと無意識の内に考えてしまうのだ。

 だとしたら、「南下」はどう撮れば「南へ向かっている」と思わせることができるのだろう?

 海岸(太平洋)を「右」にもってくればいいのか?

 『ガルシアの首』とか、南のメキシコに向かって逃亡する映画を検証してみるか。


 もう、一月程前だと思われるが、醤油のびんを倒してしまい、しかも、大分長い間放置してしまった。

 ふたはしてあったので、倒した当初、そのことに気がつかなかったのだが、じわりじわりと中身が滲みだし、醤油のにおいが当たりを包むようになったので、さがしたところ、タイルカーペットが黒くなっていた。

 意外なことに、その「染み」は、水に濡らしたティッシュで簡単にとれたが、においがとれない。

 タイルカーペットをはがして見ると、一面に醤油が広がっている。

 それもティッシュなどできれいに拭き取り、もとに戻したのが、でも醤油のにおいがなんとなくとれていない。

 カーペットの外面には、もう染みはないのだが、もしかしたら、その下で、「飛び地」的に醤油が残存していて、それがにおうのかも知れない。

 「醤油」は、焦がしたり、料理に使っている場合は、「いい臭い」なのだが、これはたまらない。

 外国から日本に帰ってくると、まっ先に「醤油のにおい」がするといわれるが、そう言う人々は、それをあんまり「好ましいこと」としては言っていない感じがする。

 それは、要するに、「家庭の臭い」なわけで、あれはその家庭に属している人にとっては好ましくても、そうではない人にとっては好ましいものではない。

 「醤油の臭い」には限らないのだが、ある程度長期間日本を離れていた人が日本に帰ってきた時に、どうしてもある種の「違和感」を感じてしまうものだが、それは、要するに、「家庭の好ましさ」と「家庭の嫌らしさ」を同時に感じてしまっているのだろう。

 隣の夕御飯」とか言って、プラカードを持ってずかずかと他人の台所に乗り込む米助の「本音」を聞きたいものだ。(あの番組は終わったのかな?)