Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

番外編593. 学術論文、そしてクリエイション

2023年04月22日 | field work




 フィリピンから送られてきた画像を見ながら冬の話。
 日本では2月に入っても寒い日が続く頃、フィリピンのNIKKAが朝のジョギング時の画像を送ってきた。同時刻にフィリピンは、乾季だからすがすがしい朝を迎えている。日本から4時間下るだけの小さな地球でも気温の差異は大きい。
 その頃こちらは、締め切り迫る学術論文の原稿が書き上がった頃だった。締め切りまで12日の時間がある。
 世の中の人はこういうだろう、12日も前に書き上がったら楽勝じゃんと。しかし12日間で推敲を重ね、文章を手直しし、全体の論旨がこれで良いかどうかをチェックするために1週間執筆論文を放置する。その後に客観的な意識で自分の論文がチェックできる。だからこのブログの官能小説執筆なんか格好の気分転換になっている(*^▽^*)。その結果致命的な論理上の欠点を発見したら全部書き直しである。そうした時間を含めての12日間というのは時間がないに等しい。
 学術論文には審査付論文と、それがないものがある。審査付論文は学会に投稿する論文がそうであり、専門家が審査し合格になってから専門雑誌に掲載される。もちろん半分ほどは不合格になる。結構厳しい。
 だから私も19年間の教員時代に28編ほどの審査付論文が学会誌に掲載されている。ちなみに国会図書館の蔵書検索では100件以上私が関わった論文が抽出できるが、審査論文以外は記憶の外側だ。そして私が執筆した論文を掲載した学会誌を大学退職時に全て捨てた時は爽快だった記憶がある。
 今は双六で言えば上がりだから、私は審査される事もないので審査付論文を書く必要もない。こうなると学術論文の執筆も俄然愉しくなってくる。関心のあるテーマを追いかけ取材し論文に仕立てるわけだから、そりゃ愉しくないはずがない。
 欧米人は、日常の課題に突き当たると図書館で論文を探す。それは確かな情報だからだ。日本の庶民がそんなことをするという話は聞かない。
 日本人はどうしているのだろうか?。日本語Wikの解説を読むといまだに出典や論拠をあげてくださいと指摘されている恥ずかしい記述が多数目につく。マニアックに知っていることを書くのではなく、論拠ある話を書くというのが本来の情報発信のはずだが・・・。
 そうでなければクリエイション。
 このブログより一ヶ月以上先に10回/月ほど映像をYouTubeにアップさせている。以下に私がアップした画像が一覧できるURLをアップさせておく。

YouTubeチャンネル

京都市高台寺
iPhon13pro,ISO250,焦点距離210mm,露出補正0,f/2.8,1/60
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