ローマ書5章2節
またキリストによって
いま私たちの立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられた私たちは
神の栄光を望んで大いに喜んでいます
考察の前に、まずは英語訳を見ておきたい。
同
By whom also we have access by faith
into this grace wherein we stand
and rejoice in hope of the glory of God
(KJV)
この英語訳を読んで、再度上の日本語訳を読むと、くどくてうんざりするのは何故だろうか。
原典を念頭に置きつつ、上の英語訳を素直に日本語へと置き換えてみる。
同
彼を通して
信仰によって
我々はこの恵みの中へと出入りできる
その場所に
我々は立って
神の栄光の希望の中で喜ぶ
ポイントとなる箇所は
we have access by faith into this grace
ここだろう。
「この恵みに信仰によって導き入れられた」と訳出しているが、違う。
受動ではなく能動だ。
信仰によって、この恵みの中へと出入りできる
アクセス権があるということは、自由に出入りできるということ。
「神の栄光を望んで」とあるが、違う。
対格ではなく属格だ
「神の栄光の希望の中で」だ。
神がおられ、神の中に栄光があり、その栄光の中に希望があり、その中で我々は喜んでいる
ということだろう。
待ち望んでいるところにも確かに喜びはあるかもしれない。しかし、この状態というのは、我々の居場所は希望の外だ。これでは心底喜べない。希望の中にいるから、心の底から喜びが湧き上がってくるのではないか。
またキリストによって
いま私たちの立っているこの恵みに
信仰によって導き入れられた私たちは
神の栄光を望んで大いに喜んでいます
考察の前に、まずは英語訳を見ておきたい。
同
By whom also we have access by faith
into this grace wherein we stand
and rejoice in hope of the glory of God
(KJV)
この英語訳を読んで、再度上の日本語訳を読むと、くどくてうんざりするのは何故だろうか。
原典を念頭に置きつつ、上の英語訳を素直に日本語へと置き換えてみる。
同
彼を通して
信仰によって
我々はこの恵みの中へと出入りできる
その場所に
我々は立って
神の栄光の希望の中で喜ぶ
ポイントとなる箇所は
we have access by faith into this grace
ここだろう。
「この恵みに信仰によって導き入れられた」と訳出しているが、違う。
受動ではなく能動だ。
信仰によって、この恵みの中へと出入りできる
アクセス権があるということは、自由に出入りできるということ。
「神の栄光を望んで」とあるが、違う。
対格ではなく属格だ
「神の栄光の希望の中で」だ。
神がおられ、神の中に栄光があり、その栄光の中に希望があり、その中で我々は喜んでいる
ということだろう。
待ち望んでいるところにも確かに喜びはあるかもしれない。しかし、この状態というのは、我々の居場所は希望の外だ。これでは心底喜べない。希望の中にいるから、心の底から喜びが湧き上がってくるのではないか。