☞ The Narrow Way Dr Steven J Lawson
14分40秒から18分45秒まで。
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神の国とは無関係に、私たちはこの世に生まれて以来、各々自分の人生を生きています。
私たちは外部からの見知らぬ者として入ったのです。
それ故、イエスは狭き門から入れと言ったのです。
クリスチャンの家庭に生まれることは十分ではない。
教会に出席することは十分ではない。
信心深いことは十分ではない。
狭き門を通り抜ける信仰の一歩がなければならない。
イエスキリストご自身がこの狭き門であることを知って欲しい。
ヨハネ10章7節で、イエスは「私は羊の門」と言いました。
ヨハネ10章9節で、イエスは「私は扉。私を通して入る者は救われる」と。
御国へと入城できる他の方法はないということを知って欲しい。
狭き門Aではなく、御国に入ることのできる狭き門Bに関する条文Bなるものを知っていますか。
他のいかなる方法も神の国に入ることはできません。
天はすぐそこにあるということではない。
この山を登る曲がりくねった多くの道があるということではない。
御国へと入城するための異なる方法がいくつかあるといういうことでもない。
ただ一つの道しかないとイエスは言われた。
神の国へと入る道は一つしかないのです。
イエスご自身が、通るべき狭き門、入場門なのです。
使徒ペテロ曰く、「イエスの御名以外に救いはない。」
天の下には、主の御名以外に人が救われる名はありません、
「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ誰も父の下に来ることはできない」とイエスは言われました。
使徒パウロ曰く、「唯一お一人の神がおられ、神と人を取り持つ唯お一人の仲介者がおられ、そして、すべての人の代価としてご自身を献げ、相応しい時期に生まれ、証しをされた人間イエスキリストがおられるのです。」
これが狭き門であるという事実は、罪の悔い改めを要求する。
自分の荷物を手放すことを要求する。
罪を愛し、この世を愛し、そして自己を愛する心を手放すことを要求する。
イエスは言いました、「私に従いたい者は、自分を否定し、十字架を担ぎ、私についてきなさい。」
あらゆる自己満足と独善を脱ぎ去りたいのなら、この狭き門以外に方法はない。
へりくだり、幼子のように天の御国へと入城せよ。
唯の一度、そして唯一人で通るのがこの狭き門である。
集団で通ることはできない。
集団から離れる必要がある。
包みから取り出される必要がある。
家族から離れる必要がある。
唯の一度、唯一人で、主であるイエスキリストの下へ来るのです。
これは命令であることに注意して下さい。
狭き門から入れと主は言います。
これは現在命令形、すなわち命令であり、招聘(召し)。
現在の自分、現在の居場所、今の自分そのものから離脱するための招聘であります。
直ちに主の下へと来て、狭き門を通るように招聘している。
福音とは命令であると理解する必要があります。
このキリストの招聘に従って生きるのか、それとも背いて生きるのか。
福音に応答しないことは、天に対して最も重大な罪を犯すことになります。
福音に応答しないことは、主イエスキリストの貴重な血潮を踏みにじること。
それはまた恵みの霊を辱めること。
キリストの福音に対して、「ノー」ということは、天に対して最も重大な罪を犯すことになるのです。