第3戒
誓いと礼拝
p117~
Swearing and Worship
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
真理において神の御名を唱える(求める)とは、われわれの生活や行動、思考、所有、その他生活のあらゆる領域を、神と神の法の上に堅く据えることを意味する。
主の御名をみだりに唱えるということは、唯一まことの神を実質的に否定すること。
われわれの生活や行動、そしてすべての思考、所有、生活のあらゆる領域を神から切り離したり、自分のものとして独占するならば、われわれは、神の御名をみだりに唱えているだけでなく冒涜にも値する。
それゆえ、エーラーが述べたように、「偽証は、違反者だけではなく、違反者が属する種族全体に関わる問題」
偽証は、人間と社会から恵みを奪い、それらをのろいの下に置く罪である。
真の誓いとは、真の礼拝。
正しく誓う人は、御名にふさわしい栄光を神に帰している。
宣誓と、社会の基礎や革命、宗教がどのように関係しているかについて、正しく理解しない限り、なぜ古代の人々が冒涜をあれほど恐れたか理解できない。
イエスの発言に対して、大祭司は、「これは冒涜の言葉だ」といって非難した(マタイ26:65)。
大祭司の恐れは、偽善の産物であったかもしれない。
しかし、それは、普通の人間が感じる衝撃を反映している。
第二次世界大戦以前の日本において、このような恐れは、実際に、社会の中で一般的に見られた。
神道に対する冒涜は、非常に大きな罪と考えられていた。
日本人は、それを反逆、革命、無政府主義の罪と考えていた。
これは、極めて妥当な理解であったと言うべき。
誓いと礼拝
p117~
Swearing and Worship
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony
◇◇
真理において神の御名を唱える(求める)とは、われわれの生活や行動、思考、所有、その他生活のあらゆる領域を、神と神の法の上に堅く据えることを意味する。
主の御名をみだりに唱えるということは、唯一まことの神を実質的に否定すること。
われわれの生活や行動、そしてすべての思考、所有、生活のあらゆる領域を神から切り離したり、自分のものとして独占するならば、われわれは、神の御名をみだりに唱えているだけでなく冒涜にも値する。
それゆえ、エーラーが述べたように、「偽証は、違反者だけではなく、違反者が属する種族全体に関わる問題」
偽証は、人間と社会から恵みを奪い、それらをのろいの下に置く罪である。
真の誓いとは、真の礼拝。
正しく誓う人は、御名にふさわしい栄光を神に帰している。
宣誓と、社会の基礎や革命、宗教がどのように関係しているかについて、正しく理解しない限り、なぜ古代の人々が冒涜をあれほど恐れたか理解できない。
イエスの発言に対して、大祭司は、「これは冒涜の言葉だ」といって非難した(マタイ26:65)。
大祭司の恐れは、偽善の産物であったかもしれない。
しかし、それは、普通の人間が感じる衝撃を反映している。
第二次世界大戦以前の日本において、このような恐れは、実際に、社会の中で一般的に見られた。
神道に対する冒涜は、非常に大きな罪と考えられていた。
日本人は、それを反逆、革命、無政府主義の罪と考えていた。
これは、極めて妥当な理解であったと言うべき。