みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#425 神の法第三戒

2019年10月06日 | 神の法
第3戒
誓いと礼拝
 
p117~
Swearing and Worship
The Third Commandment
The Institutes of Biblical Law
Rousas John Rushdoony

◇◇

今日、冒涜を恐れる人はいない。

それゆえ、われわれの社会において、反逆の意味が変化したと考えざるをえない。

反逆の意味は、非常に興味深い研究テーマ。

レベッカ・ウェストは、このテーマの研究史について次のように記載している。

伝統や理論によれば、国家は、その境界線の内部にいる人々を保護する代わりに、国家の法律に従うことを求める。

このプロセスは互恵的。

国境の内部にいる人々は、その法律を守っている限り、国家に保護を求める権利を有する。

16世紀にコークは、法律に関して次のような格言を残している。

保護は忠誠心を引き寄せ、忠誠心は保護を引き寄せる(protectio trahit subjectionem, et subjectio protectionem)。

英国に来て国王と女王への謀反に参加したフランス人シェリーの事件をきっかけに、国王の保護の下にいるがゆえに、国民は国王に対して忠誠を尽くす義務があるという規則が定められた(1608年)。

人間が神と神の主権を否定する時代において、世界は、神の権威に対して異議を唱える2種類の相対する勢力の間で分断されている。

すなわち、全体主義国家と完全他者的無政府主義的個人のふたつ。

全体主義国家は、いかなる異議も許さない。

無政府主義的個人は、自分に対する以外、いかなるものにも忠誠を尽くすことを許さない。

全世界が黒く塗りつぶされている場合、黒の概念は存在しない。

区別が存在しないから。

すべてが黒ならば、いかなる定義の原理も記述もない。

全世界が冒涜の状態にある場合、万物が同一であり、冒涜を定義することは不可能である。

世界が完全なる冒涜の状態に移行しつつある時に、物事を定義したり認識する能力は減退する。

裁くことは必要であり、健全な行為である。

裁くことは、一種のカタルシスとして、世界に未来と定義を回復する。



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