みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#11 携挙 The Return, NO.3

2024年07月30日 | 携挙

The Return: What Did Jesus Do? - Understanding the Work of Christ with R.C. Sproul


9分21分から最後まで。

◇◇

パリにいったことはありますか。

その町のシャンゼリゼ通りにある最も重要な記念碑は、勝利の門、エトワール凱旋門です。

ローマに行ったことのある人なら、ティトゥスの凱旋門を知っているはずです。

かつてローマ帝国の支配下であった地域の至る所に門が散在しています。

それらには意味があったのです。

勝利の軍事行動のため外国へと進出するために、ローマから派兵されると、ローマ軍はローマ軍の規則とSPQR(ローマの老院議員と市民)という文字をもって進行しました。

何故なら、軍隊による占領はローマを統治する政治家のためだけではなく、それはまた、ローマ市民全体の利益であり歓喜でもあったからです。

2年、3年の間、軍隊がガリヤ地方や他の地方へと出兵し、捕虜を引き連れて戻ってきます。

鎖でつながれた捕虜によって行列ができます。

そして、パレードが出来上がります。

兵士は、ローマの外1マイルあたりで野営します。

評議員へとメッセンジャーを送り、「軍が戻ってきた。捕えた捕虜たちを連れていく。ローマ軍凱旋の準備をお願いする」と伝えます。

すると、町では何が起こるでしょうか。

勝利のヒーローたちがローマの中心地まで行進する際にくぐる大きな門を、大急ぎで建設します。

それだけではなく、大量に汗をかいた奴隷の悪臭を覆い隠すために、町の人たちは花冠や香水をもって歩き回ります。

そして、軍隊の勝利の凱旋の準備をつつがなく終えます。

準備万端整うと、トランペットの音とともに号令がかけられ、ローマ市民は町を離れ、ローマ軍のいる場所へと出て行き、 軍に加わり、門のもとに集まります。

征服した軍の勝利に参加するという考え方です。

パウロがここで使っていることばは、まさにこれです。

イエスが制圧する力をもって戻ってくる時、教会は、死者も生きている者も、空中に引き上げられ、主とお会いして、そこにとどまることなく、主の勝利の再臨の列に参加し、主の高挙に加わります。

洗礼には2つのサインがあります。

イエスの苦痛と屈辱に参加することが第1点。

もうひとつは、主の栄光と高挙の列に参加するということ。

喜んで主の屈辱と苦痛に参加しなければ、高挙には参加できないとパウロは忠告します。

テサロニケ人への手紙に次のように書かれています。

あなたの亡くなられた愛する人がどうなっているのか心配しているのか。

彼らが、この勝利の再臨、つまりイエスの宣教の結末に参加できないのではないかと。

いいや、参加する。

彼らは最初になる。

死んだ者が最初に復活し、それから、その時キリストにあって生きている者が、彼らとともにひとつになり、ひとつの大きな集団となって、勝利の中、再び地上にやって来ます。

これがここに書かれている内容です。

さて、第2テサロニケにおいて、パウロは広がってしまった誤解を正す必要がありました。

2章で、パウロは次のように書いています。

2Th 2:1  さて兄弟たちよ。私たちの主イエス・キリストが再び来られることと、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いすることがあります。 
2Th 2:2  霊によってでも、あるいはことばによってでも、あるいは私たちから出たかのような手紙によってでも、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。 
2Th 2:3  だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。 
2Th 2:4  彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。 
2Th 2:5  私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話しておいたのを思い出しませんか。 
2Th 2:6  あなたがたが知っているとおり、彼がその定められた時に現われるようにと、いま引き止めているものがあるのです。 
2Th 2:7  不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。 
2Th 2:8  その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。 
2Th 2:9  不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、 
2Th 2:10  また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。 
2Th 2:11  それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。 
2Th 2:12  それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。 

ここで、パウロは言っています。

キリストが民とともに来臨する前に、大いなる背教が起こる。

背教は、無信仰と同じではありません。

無信仰とは、キリストにある信仰を告白したことのない人々を指します。

背教とは、キリストにある信仰を告白したことのある人々を取り扱います。

彼らは目に見えるキリストの体、すなわち教会のメンバーであり、福音の真理から落伍していった人々であります。

教会に背教が起こりうることを私たちは知っています。

教会で、人々は、神聖で、聖書的かつ真実である信仰を告白するが、ある期間が過ぎると、異教の教えや異教の考え方、行動様式などを受け入れ始め、始めの告白を否認し、もはや教会としての体を失います。

それが背教です。

私がお話ししているのは、真のクリスチャン、つまり真の信仰告白をし、信仰を失い、背教に走るクリスチャンのことではありません。

目に見える教会にいる人たちであり、公に信仰告白をするが、その後信仰を否定した人たちのことを言っています。(つまり、偽の信仰告白をして教会に入り込んだ偽クリスチャン)

それが背教です。

背教は、あらゆる時代に、一定の割合で起こります。

しかし、ここでは、大いなる背教として記述されています。

主イエスが再臨する時、教会において広い範囲で背教が起こると思われます。

特に、わが国の主要な教会において、否、わが国のみならず、ヨーロッパや世界各地における、そのような背教の出現ゆえに、キリストの最後の来臨は真近であると多くの人たちが確信しているのはこういうわけです。

加えて、この教えの部分として、パウロは次のように付け加えます。

2Th 2:3  だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。 
2Th 2:4  彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。

さて、ここでパウロは、反キリストと称するものを記しています。

新約聖書においてその概念を見ると、反キリストという考え方は、単純にキリストに敵対する以上の誰かということになります。

私たちのことばでは、アンチantiは、対抗する、敵対する、という意味です。

しかし、ギリシャ語においては、「敵対する、代わりに」という意味があり、反キリストとはキリストの敵対者というだけでなく、キリストの事務所を乗っ取り、自分をキリストと代えようとする者という意味もあります。

まるで自分が神であるかのように、神殿において自分を高く上げます。

以上より、反キリストは、宗教領域にいる誰かであり、サタンのように善良な人を装う光の天使のような誰かであるが、実際にはイエスの権威を毀損するために働く者である。

そして、反キリスト、すなわち不法の者、滅びの子が現われなければならないとパウロは言います。

さらに、「不法の奥義はすでに働いている。」

「反キリストの霊はすでに世にある」と新約聖書には書いています。

つまり、小文字のaから始まる多くのantichristがいて、大文字Aで始まるAntichristの霊、すなわち、最高位、最悪の反キリストの霊の究極の全盛が終末においてやって来る。

真実よりもむしろ欺瞞を人々に信じ込ませるために、サタンの業をもって働き、偽りの力を駆使するためにやって来る。

その者は破滅するだろうと書かれています。

主が、ご自身の口の息によってその者を焼き尽くし、来臨の御光によって破壊されます。

反キリストによって、この背教が起こるまで、この艱難がもたらされるまで、イエスの再臨は来ません。

反キリストがこの世にいる時に、キリストが来臨し、ご自身の栄光の輝きによって、ご自身の口の息によって、ご自身のことばの力によって、この者を滅ぼされます。

これが私たちの希望であり、この希望は必ず成就します。


  

 

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