☞ Derek Thomas: The End in Sight
31分48秒から最後まで。
◇◇
クリスチャンなら皆知っている。
神の日の到来を待ち望み、そして早めることができるであろう。その日の到来故に、天は燃え上り、溶けてしまうであろう。そして、天の大部分は焼け落ちるであろう。しかし、神の約束によって、私たちは、義が宿る新しい天と新しい地を待っている。
ペテロはイザヤ65章と66章を引用しています。
さて、16世紀にはカルヴァン主義者とルター派の間に論争がありました。
ルター派は、この宇宙は完全に滅んで、新しい宇宙が無から創造されると考えました。
しかし、カルヴァン主義者は、宇宙の創造自体に何ら罪深いところはないと考え、宇宙は完全に置き換わるのではなく、回復するのだと主張しました。
面白い議論です。
しかし、それよりはるかに面白いことは、新しい宇宙とはどのようなものなのかということでしょう。
私はいずれそこへ行きます。
でしょ。
そこに犬はいるのでしょうか。
「天に犬がいるのか」という疑問ではありません。
天とは中間状態であります。
私が知りたいのは、新天新地に犬はいるのかということです。
感傷的に、感情的に考えるのはやめましょう。
犬が大好きなあなたにとって、それが難しいのは分かります。
私もそうですから。
神学的に考えましょう。
神はどのような新天新地を回復されるのでしょうか。
「この世にあるものすべて」が、その答えです。
創世記1章において、良し、良し、良し、良し、非常に良し、と神が創造されたものすべてです。
本当に見てみたい。
新天新地にいる私の愛犬たち。
新天新地に関するカルヴァン主義者の見解から、そのように言えるのではないでしょうか。
測りがたいほど美しい場所。
苦痛、悲しみ、恐怖、死のないところ。
サタンは底なしの穴へと突き落され、2度と災いをもたらすことはない。(拍手)
これらのことから、どのように理解すればよいでしょうか。
神のこのようなタイミングとは何か、神のご計画とは何か。
13節と14節で、ペテロは「それを待ち望みなさい」と言っています。
続けて、「それ故、愛する人たちよ、それ(新天新地)を待ち望んでいるのだから、しみや傷がなきように、そして安心して、彼(神)に見出されるように勤勉でありなさい。」
あなたがたはそれを待ち望みなさい。
あなたがたはそれを待ち望んでいますか。
待っていますか。
あなたの心の目でそれが見えますか。
あなたが災いの只中にある時、暗黒に直面している時、病いに直面している時、あなたの心を新天新地へと向けていますか。
待ち受けているのはとてつもない美しさ。
待ち受けているのは栄光。
待ち焦がれて見ていますか。
信仰において見ていますか。
生きている間に、イエスが戻ってくるとすれば、どんなに素晴らしいことでしょう。
私は、しょっちゅうそのことを考えています。
私はもう70歳なので、主には急いでほしい。(笑)
死に際して、体や魂のねじれによる痛みを経験する必要は無くなるでしょう。
5秒後にイエスが戻ってくるとは思えません。
私と意見が合わないかもしれませんが、私は、まだ実現していない預言があると思います。
最終ゴールは、まず全世界に福音が宣べ伝えられることであります。
それは宣教師の仕事です。
世界の何処かには、まだ福音を聞いたことのない数千人、数万人の人々がいるはずです。
努力を惜しまなければ、私たちが生きている間に完了するのではないでしょうか。
それを待ち望んでいますか。
備えはできていますか。
「聖なる生き方、敬虔な生き方にあって、クリスチャンとして、あなたの人生を生き抜いていくべきだ」とペテロは言います。
来たるべき世界に備えて生きなさい。
この世は私たちの故郷ではない。
この世を良くすることはできます。
この世に支配権を行使するこはできます。
善良な市民になることはできます。
クリスチャンは最良の市民になるべきです。
2世紀に生きた神学者テルトゥリアヌスは、当時の皇帝にこう書き送った。
「クリスチャンを殺したらよい。足元であなたが弓を放っているクリスチャンは、あなたの帝国の中で最も善良な市民である。」
備えよ。
12節、「主の日の到来を待ち望み、それを早めよ」とペテロは言います。
もう一度言いますが、神にはご計画があるのではなかったか。
その計画は不可侵ではないのか。
その計画が破られることはあり得るのか。
絶対に破られることはない。
しかし、それは人の見方であります。
私たちは神のご計画を早めることができるのです。
どのようにすれば主の来臨を早めることができるのか。
すべての選ばれし神の民が集められる時、主は来ます。
だから、そのためには福音を宣べ伝えなければなりません。
決して止めることなく。
神の栄光を与えるために。
熱心に祈ることです。
主のトランペットが鳴り響ぎ、時が失せ、朝が永遠の光によって破られ、地上の救われし民が対岸からはるばるやって来て集う時、あの巻物が向こうで呼び出される。(hymmの歌詞)
私はそこにいる。
何と素晴らしい確信。
Sinclair Ferguson(シンクレア・ファーガソン)と私は、2011年から2013年の2年間一緒に仕事をしてきました。
私は彼の子分でした。(笑)
私の宣教人生の中で、最も貴重な2年間でした。
礼拝メッセージの最後に、彼は何度もこう言うのを聞きました。
「クリスチャンであることの何と素晴らしいことよ。」
「クリスチャンであることの何と素晴らしいことよ。」
日々そのことに思いを馳せることはありますか。
時にクリスチャンであることが重荷であったり、試練があったり。
苦痛、悲しみ、自己否定、自分の十字架、屈辱を思う。
しかし、それらは皆価値があるのです。
自分否定の仕方は何であれ、それは価値があるのです。
新天新地がやってきます。
「目がまだ見たことのないもの、耳が聞いたことがないもの、人の心に浮かんだことのないもの、神が愛する民にために備えられたもの。」
来たるべきものとは最高のものであります。
「あなたはまだ見たことがないのか」という人がいるかどうかは分かりません。
(祈り)
父よ、感謝します。
素晴らしき難問であるこの聖句を与えて下さり感謝します。
希望が満ち溢れてます。
約束が満ち溢れてます。
それで満たして下さい。
お祈りします。
主イエス故に、私たちが喜びではちきれるまで。
アーメン。