みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#197 終末預言 ペテロの手紙第二3章は世界終末預言か NO.9

2024年02月26日 | 終末預言 

Derek Thomas: The End in Sight 

31分48秒から最後まで。

◇◇

クリスチャンなら皆知っている。

神の日の到来を待ち望み、そして早めることができるであろう。その日の到来故に、天は燃え上り、溶けてしまうであろう。そして、天の大部分は焼け落ちるであろう。しかし、神の約束によって、私たちは、義が宿る新しい天と新しい地を待っている。

ペテロはイザヤ65章と66章を引用しています。

さて、16世紀にはカルヴァン主義者とルター派の間に論争がありました。

ルター派は、この宇宙は完全に滅んで、新しい宇宙が無から創造されると考えました。

しかし、カルヴァン主義者は、宇宙の創造自体に何ら罪深いところはないと考え、宇宙は完全に置き換わるのではなく、回復するのだと主張しました。

面白い議論です。

しかし、それよりはるかに面白いことは、新しい宇宙とはどのようなものなのかということでしょう。

私はいずれそこへ行きます。

でしょ。

そこに犬はいるのでしょうか。

「天に犬がいるのか」という疑問ではありません。

天とは中間状態であります。

私が知りたいのは、新天新地に犬はいるのかということです。

感傷的に、感情的に考えるのはやめましょう。

犬が大好きなあなたにとって、それが難しいのは分かります。

私もそうですから。

神学的に考えましょう。

神はどのような新天新地を回復されるのでしょうか。

「この世にあるものすべて」が、その答えです。

創世記1章において、良し、良し、良し、良し、非常に良し、と神が創造されたものすべてです。

本当に見てみたい。

新天新地にいる私の愛犬たち。

新天新地に関するカルヴァン主義者の見解から、そのように言えるのではないでしょうか。

測りがたいほど美しい場所。

苦痛、悲しみ、恐怖、死のないところ。

サタンは底なしの穴へと突き落され、2度と災いをもたらすことはない。(拍手)

これらのことから、どのように理解すればよいでしょうか。

神のこのようなタイミングとは何か、神のご計画とは何か。

13節と14節で、ペテロは「それを待ち望みなさい」と言っています。

続けて、「それ故、愛する人たちよ、それ(新天新地)を待ち望んでいるのだから、しみや傷がなきように、そして安心して、彼(神)に見出されるように勤勉でありなさい。」

あなたがたはそれを待ち望みなさい。

あなたがたはそれを待ち望んでいますか。

待っていますか。

あなたの心の目でそれが見えますか。

あなたが災いの只中にある時、暗黒に直面している時、病いに直面している時、あなたの心を新天新地へと向けていますか。

待ち受けているのはとてつもない美しさ。

待ち受けているのは栄光。

待ち焦がれて見ていますか。

信仰において見ていますか。

生きている間に、イエスが戻ってくるとすれば、どんなに素晴らしいことでしょう。

私は、しょっちゅうそのことを考えています。

私はもう70歳なので、主には急いでほしい。(笑)

死に際して、体や魂のねじれによる痛みを経験する必要は無くなるでしょう。

5秒後にイエスが戻ってくるとは思えません。

私と意見が合わないかもしれませんが、私は、まだ実現していない預言があると思います。

最終ゴールは、まず全世界に福音が宣べ伝えられることであります。

それは宣教師の仕事です。

世界の何処かには、まだ福音を聞いたことのない数千人、数万人の人々がいるはずです。

努力を惜しまなければ、私たちが生きている間に完了するのではないでしょうか。

それを待ち望んでいますか。

備えはできていますか。

「聖なる生き方、敬虔な生き方にあって、クリスチャンとして、あなたの人生を生き抜いていくべきだ」とペテロは言います。

来たるべき世界に備えて生きなさい。

この世は私たちの故郷ではない。

この世を良くすることはできます。

この世に支配権を行使するこはできます。

善良な市民になることはできます。

クリスチャンは最良の市民になるべきです。

2世紀に生きた神学者テルトゥリアヌスは、当時の皇帝にこう書き送った。

「クリスチャンを殺したらよい。足元であなたが弓を放っているクリスチャンは、あなたの帝国の中で最も善良な市民である。」

備えよ。

12節、「主の日の到来を待ち望み、それを早めよ」とペテロは言います。

もう一度言いますが、神にはご計画があるのではなかったか。

その計画は不可侵ではないのか。

その計画が破られることはあり得るのか。

絶対に破られることはない。

しかし、それは人の見方であります。

私たちは神のご計画を早めることができるのです。

どのようにすれば主の来臨を早めることができるのか。

すべての選ばれし神の民が集められる時、主は来ます。

だから、そのためには福音を宣べ伝えなければなりません。

決して止めることなく。

神の栄光を与えるために。

熱心に祈ることです。

主のトランペットが鳴り響ぎ、時が失せ、朝が永遠の光によって破られ、地上の救われし民が対岸からはるばるやって来て集う時、あの巻物が向こうで呼び出される。(hymmの歌詞)

私はそこにいる。

何と素晴らしい確信。

Sinclair Ferguson(シンクレア・ファーガソン)と私は、2011年から2013年の2年間一緒に仕事をしてきました。

私は彼の子分でした。(笑)

私の宣教人生の中で、最も貴重な2年間でした。

礼拝メッセージの最後に、彼は何度もこう言うのを聞きました。

「クリスチャンであることの何と素晴らしいことよ。」

「クリスチャンであることの何と素晴らしいことよ。」

日々そのことに思いを馳せることはありますか。

時にクリスチャンであることが重荷であったり、試練があったり。

苦痛、悲しみ、自己否定、自分の十字架、屈辱を思う。

しかし、それらは皆価値があるのです。

自分否定の仕方は何であれ、それは価値があるのです。

新天新地がやってきます。

「目がまだ見たことのないもの、耳が聞いたことがないもの、人の心に浮かんだことのないもの、神が愛する民にために備えられたもの。」

来たるべきものとは最高のものであります。

「あなたはまだ見たことがないのか」という人がいるかどうかは分かりません。

(祈り)

父よ、感謝します。
素晴らしき難問であるこの聖句を与えて下さり感謝します。
希望が満ち溢れてます。
約束が満ち溢れてます。
それで満たして下さい。
お祈りします。
主イエス故に、私たちが喜びではちきれるまで。
アーメン。