みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#192 終末預言 ペテロの手紙第二3章は世界終末預言か NO.4

2024年02月11日 | 終末預言 

ペテロの手紙第二3章の学びを続けます。

上記テキストについて、いろいろなネット記事を検索してみた。以下のサイトが詳しく考察されており、引用聖句も豊富、また客観性も保たれていて、それなりに信頼性の高い解釈をしていると思われるので引用しておく。

ペテロの第二の手紙2章 偽教師を反駁する
ペテロの第二の手紙3章 主の日

この手紙の要旨は単純明快、(教会内部にいる)偽預言者・偽教師の教えに気をつけよ。

・小アジアのクリスチャンに宛てて、AD68年に執筆(イスラエル滅亡の2年前)された。

・イエスの終末預言(マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章)と類似する内容。

◇◇

さて、3章が世界終末預言とも取れる理由を、この章から抜粋してみる。

1.7節、今存在する天と地は、火のために保たれ

この箇所は、黙示録20:7、「そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれ」と類似。

2.7節、裁きの日まで、不敬虔な者たちの破滅の日まで取って置かれ

この箇所は、「良い麦と毒麦のたとえ」と類似。

3.12節、神の日の到来を待ち望み

「神の日が来る」という表現を「怒りと裁きの来臨が来る」と解釈するにはやや無理がある。「待ち望み(look for)」と書いてあるから。

4.義が宿る新しい天と新しい地を待っている

イザヤ書65章に類似の表現がある。17節、見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。しかし、ここにある「新しい天と新しい地」は、黙示録21章の新天新地とは異なるとの異論がある。イザヤ書の新天新地には死があるのに対して、黙示録の新天新地には死がない。

以上から、このテキストは、間近に迫っているイスラエル滅亡、すなわち旧約時代の終焉を直接的に預言しつつ、世界(新約の時代)の終わりを二重写しに予見しているのではないかと結論しておく(とすれば、使徒行伝に、このことを支持する記事があるはず)。

◇◇

さて、関連動画を掲げておく。

聞き応えのあるメッセージなので、是非最後まで聴いて欲しい。

Derek Thomas: The End in Sight 

God is not willing that any (of the elect) should perish - RC Sproul on 2 Peter 3:9
このRC Sproulのメッセージを批判している箇所があるが、よく聴くと、彼は万人救済論者ではない。

最初から3分41秒まで。

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(挨拶)

今日の割り当ては第2ペテロ3章8節から13節までです。

内容の関係上、3章3節を始めに開こうと思います。

第2ペテロ3章1節から。

この手紙は、あなたがた愛する人たちに書き送る2通目の手紙です。この2つの手紙によって、注意を喚起して、あなたがたの純真な心を刺激しようと思う。聖なる預言者たちの預言と、使徒を通しての主なる救い主の命令を思い出させるためであります。まず第一にこのことを知っておいて欲しい。終わりの日に、罪深い願望に従って、あざける者たちがあざけりながらやって来る。彼らは言うであろう、「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父祖たちが眠りについて以来、創造の初めから万物はそのままの状態ではないか。」彼らは意図的に次の事実を見過ごしている。天は長い前から存在していた。そして、神のことばによって水を介して地は造られた。これらによって、その時存在していた世界は、水によって氾濫し滅ぼされた。しかし、同じことばによって、今存在する天と地は、火のために保たれている。裁きの日まで、不敬虔な者たちの破滅の日まで取って置かれている。しかし、愛する人よ、このひとつの事実を見落としてはならない。主にあっては、一日は千日のようであり、千日は一日のようだ。ある者は遅いと数えているようだが、神はご自身の約束の成就を遅らせることはない。あなたがたに忍耐しておられます。だれも滅びることなく、皆が悔い改めに至ることを神は願っておられます。しかし、主の日は盗人のように来て、天は轟音とともに過ぎ去るだろう。天の大部分は焼け落ちて溶け、地とそこでなされた業は曝け出されるだろう。かくして、これらすべての事々は溶け落ちるであろう。あなたがたのどのような人たちが、聖と敬虔の生き方によって、神の日の到来を待ち望み、そして早めることができるであろう。その日の到来故に、天は燃え上り、溶けてしまうであろう。そして、天の大部分は焼け落ちるであろう。しかし、神の約束によって、私たちは、義が宿る新しい天と新しい地を待っている。