みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#194 終末預言 ペテロの手紙第二3章は世界終末預言か NO.6

2024年02月23日 | 終末預言 

Derek Thomas: The End in Sight 

 

14分57秒から20分21秒まで。

◇◇

神の御心を知ることは不可能。

神に異議を唱えるとは、あなたは何者か。

これはヨブに放たれた疑問ではなかったか。

神に異議を唱えるあなたは何者ぞ。

神は理解不能。

神の究極を測ることは不可能。

神の全知を測ることは不可能。 

神の全能を測ることは不可能。

神の方法は私たちの方法ではない。

神の思考は私たちの思考とは違う。

神タイミングは私たちのタイミングとは異なる。

神は決して遅れることはない。

神はつねに時間通り。

神にはご計画がある。

私たちはこのことを知っている。

確かなご計画がある。

決して破られることのないご計画。

それは、私たちが安息と平安を見出すことのできるご計画。

嵐の只中にいる時、私たちは神のご計画というバブルの中にいる。

そこには、平穏があり、平安があり、調和があり、希望があり、確信がある。

しかし、その外にあるのは、混沌であり、不確実。

神のご計画のひとつは、現在の世界秩序を終わらせることであり、ご自身の創造を新たにすること。

これが神のご計画の一部分。

永遠のご計画。

そのご計画を、神はいつまでも反故にしておかない。

人の意志の絶対的自由を上げて、神のご計画を現状に留めようとする神学者がいる。

毎秒毎秒、神は軌道修正をしている。

常に計画が目標を逸脱しているから。

しかし、約束がある。

三位一体の神により永遠の協議会においてまとめ上げられた約束だ。

父子聖霊が創造し、堕落を認め、仲介者を送り、選ばれし者が選ばれ、邪悪な者たちが放っておかれることが盛り込まれた約束。

この法は不可侵であり、破ることができない。

これが私たちの信じるものではないのか。

これが今ここに私たちとともにあるべきものではないのか。

神の全権の中にある信頼。

神のご意志なくして何も起きない。

神の意志なくして。

私たちにとっては、まるで遅れがあるように見える。

人の見通しからすれば。

私たちの有限の見方からすれば。

それは神の辛抱だとペテロは言う。

これは驚くべきこと。

何ゆえに神は辛抱しているのか。

何ゆえに神は忍耐しておられるのか。

何ゆえに神は、遅れているがごとくに、遅らせているのか。

「神は誰一人として滅びることを望まない」とペテロは言う。

神は万人が悔い改めることを望んでおられる。

神のご計画と調和しているではないか。

神は万物の計画者ではないのか。

選ばれし者の数は増やしうるだろうか。

選ばれざる者の数は増やしうるだろうか。

否、できない。

世界の基が据えられた時から、神は選ばれし者たちを選んだのではなかったか。

そして、彼ら選ばれし者たちは、必然的に、不可侵的に、そして無情にも救われ、他の者たちは、死ぬと永遠の地獄へと引き渡されるのだろうか。

神のご計画に柔軟性があるのだろうか。

この世には柔軟性のあるプランはあります。

私は生命保険には加入してはいませんが・・。

ここに生保の外交員がいても、私に話しかけないでください。

確かに、フレキシブルなプランというのはあるのは知っています。

プランを売り買いして、お金を設けるというもの。

用意ができたら教えて下さい。

但し、調和のとれた方法で。