☞ How is limited atonement true when Scripture teaches that Christ died for the whole world?
知っていると思うが、John MacArthur師は、典型的なプレミレ教信者だ。
プレミレ信者であり福音派牧師であるJohn MacArthur師が、カルヴァン主義神学の中心的教理のひとつであるlimited atonement(限定的贖罪)について、どのような見解を有しているか大変興味深い。
正しい聖書解釈はひとつしかないことを考えると、結論が完全に一致するのは当然と言えば当然。
参考:
TULIP
全的堕落(Total depravity)
堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
無条件的選び(Unconditional election)
神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる。
限定的贖罪(Limited atonement)
キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
不可抵抗的恩恵(Irresistible grace)
予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
聖徒の堅忍(Perseverance of the saints)
いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。
早速聴いてみよう。
◇◇
彼(主イエス)がこの世の救い主であることは皆知っています。
この世のための救い主は唯御一人しかいません。
世は唯一人の救い主しか持っていない。
しかし、私たちは、イエスキリストの贖いが限定的であることも知っている。
人々が地獄に行くという意味で、贖いは限定的なのです。
山上の説教で、イエスは、「私に対して主よ、主よと多くの人たちが言うだろう。しかし、私は言う、私から離れて行け。不法をなす者たちよ。私はあなたがたを知らない」と言いました。
イエスは、天国よりも地獄について多くを語りました。
地獄の存在は事実であり、人々はそこに落ちていき、永遠に滅びることを私たちは知っています。
私たちは皆、イエスの贖いは限定的であることを信じています。
全ての人が救われるのではない。
限定的贖いを信じるか、万人救済を信じるか、いずれかしかありません。
万人救済説を信じるなら、理屈上、地獄というものは存在せず、誰も地獄にはおらず、全員天国にいることになります。
非限定的贖いを肯定するのであれば、結局万人救済者と同じことです。
何故なら、もしも実際に主が全世界のために死んだのであれば、全世界は救われているでしょう。
しかし、私たちがそのような立場をとることはあり得ません。
何故なら、実際に地獄は存在し、そこは多くの人で溢れています。
事実、ほとんどの人は地獄に行きます。
つまり、贖いは限定的なのです。
次に、誰が贖いを限定的にするのかという問題です。
私たちですか、それとも神がそうするのでしょうか。
その答えは聖書的に自明の理です。
神が限定したのです。
神が選ばれし人たちに限定した。
或いは、誰を救い栄光を与えるのかを神が決定した。
或いは、贖いを通して神が(選ばれし人々に)栄光を与えた。
次のようなはっきりとしない選択肢もあるようです。
自ら贖いをつかみ取り、神の贖いの一翼を担う人たちもいるというもの。
しかし、神はそのようなことをお許しにはなりません。
というのも、私たちは限定的贖いを信じていることを覚えています。
さて、次の疑問です。
主権者は人か、神か。
神が主権者なら、神が限定したのです。