☞ The Battle for the Mind Dr Steven J Lawson
18分34秒から21分58秒まで。
◇◇
次に移ります。
「誉あるものは何であれ」の「誉」は、「尊敬に値すること」に関連します。
誉(honorable)は、「高貴で気高い」「知性や品格が高い」「高潔」を意味します。
つまり、「崇敬できる」、「荘厳な」、「威厳のある」。
「誉あるもの」の反対は、神の目から見て「恥ずべきこと」。
低次元のことから心を離して、高貴で誉あることに焦点を当てよとパウロは言います。
どん底から心をそらせとパウロは言います。
つまらないことやとるに足りないことから心をそらし、高貴なこと、崇高なこと、天のこと、超越的なこと、卓越したことに心を置きなさい。
自身を引き上げなさい。
自身の価値を下げるな。
倫理的に純粋なことを考えなさい。
神のことばによって高い基準を満たしなさい。
整然なこと、根本的なことを考えなさい。
道徳的に良いことを考えなさい。
真っ当な、高貴なことを考えなさい。
誉あることに焦点を当てると、誉ある神へと導かれます。
誉あることに焦点を当てると、誉ある人生、品性のある人生、非のない人生を歩むことができます。
しかし、恥ずべきことに心を留めると、恥ずべき神へと導かれます。
すべては心(知性)との戦いです。
自分の心に許可を与えているものに気をつけなさい。
行きたくもない所へ連れて行かれます。
次に進みます。
「正しいことは何であれ」の「正しい」とは、神の規準に合致することを意味します。
義(righteouness)ということばの語幹と同じです。
これは天秤の概念と同じです。
天秤の一方に重りを乗せて、天秤がバランスを保つまで他方に穀物を乗せていきます。
これがここで示されている、正しいこと、義の概念です。
天秤の一方は、神の純粋なご性質である聖。
他方が私たちの心(mind、知性)です。
私たちの心、知性に入り込んでくるものは、神の聖と釣り合う必要があります。
それ以外のものはすべて正しくない。