みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#50 救いの達成 The Battle for the Mind with Steven J Lawson, NO.6

2024年01月04日 | 救いの達成

The Battle for the Mind Dr Steven J Lawson

18分34秒から21分58秒まで。


◇◇

次に移ります。

「誉あるものは何であれ」の「誉」は、「尊敬に値すること」に関連します。

誉(honorable)は、「高貴で気高い」「知性や品格が高い」「高潔」を意味します。

つまり、「崇敬できる」、「荘厳な」、「威厳のある」。

「誉あるもの」の反対は、神の目から見て「恥ずべきこと」。

低次元のことから心を離して、高貴で誉あることに焦点を当てよとパウロは言います。

どん底から心をそらせとパウロは言います。

つまらないことやとるに足りないことから心をそらし、高貴なこと、崇高なこと、天のこと、超越的なこと、卓越したことに心を置きなさい。

自身を引き上げなさい。

自身の価値を下げるな。

倫理的に純粋なことを考えなさい。

神のことばによって高い基準を満たしなさい。

整然なこと、根本的なことを考えなさい。

道徳的に良いことを考えなさい。

真っ当な、高貴なことを考えなさい。

誉あることに焦点を当てると、誉ある神へと導かれます。

誉あることに焦点を当てると、誉ある人生、品性のある人生、非のない人生を歩むことができます。

しかし、恥ずべきことに心を留めると、恥ずべき神へと導かれます。

すべては心(知性)との戦いです。

自分の心に許可を与えているものに気をつけなさい。

行きたくもない所へ連れて行かれます。

次に進みます。

「正しいことは何であれ」の「正しい」とは、神の規準に合致することを意味します。

義(righteouness)ということばの語幹と同じです。

これは天秤の概念と同じです。

天秤の一方に重りを乗せて、天秤がバランスを保つまで他方に穀物を乗せていきます。

これがここで示されている、正しいこと、義の概念です。

天秤の一方は、神の純粋なご性質である聖。

他方が私たちの心(mind、知性)です。

私たちの心、知性に入り込んでくるものは、神の聖と釣り合う必要があります。

それ以外のものはすべて正しくない。