みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#55 終末預言 by R.C. Sproul

2022年02月25日 | 終末預言 
Defending the Faith

配信第1回:5分38秒から7分50秒まで

全文の日本語訳を提示する。

(メッセージ開始)

何故なら、あなたは今エラーの只中、間違いの只中にいるからです。

アリストテレスが言っていたように、ところで、コロンブスのアメリカ発見とは異なり、アリストテレスは論理学なるものを発見はしなかった。

彼が発見したのは、理性的議論に固有の論理法則でした。

アリストテレスは、論理学をオルガノン、つまりあらゆる科学が機能するために必要な道具、として定義しました。

それは、理知的な議論のために必要な道具であります。

さて、論理学のあらゆるカテゴリーは、偉大なオーガスティンによって容認され、保護されました。

彼が弁証学の分野において努力を惜しまなかった理由は、100%の確信のレベルにある信仰を確証するためでありました。

少しばかり脇道に逸れたいと思います。

何故かと言うと、今日主流となっている福音主義弁証学者の大半は、神は存在するかという疑問に対する哲学的議論はあり得ないこと、また、それを試みようとしても骨折り損のくたびれもうけであると考えています。

オーガスティンは、そのような無神論的釈義には参与しませんでした。

私もそうです。

弁証学者として、私は「証拠主義者」として、分類されてきたし、記載もされてきました。

何度も繰り返し言ってきたことですが、私は証拠主義者ではありません。

証拠主義は、経験主義的アプローチを弁証論に対して多用する学派であります。

ルター派の人たち、例えば、私の友人であるジョン・ワーウィック・モンゴメリーは、経験的に、つまり、歴史的観点からキリスト教真理を議論する証拠主義者であります。

参照:
キリスト教を健全に維持するにはヴァン・ティルの弁証論に立つしかない3