みことばざんまい

聖書を原典から読み解いていくことの醍醐味。この体験はまさに目からウロコ。

#53 終末預言 by R.C. Sproul

2022年02月22日 | 終末預言 
Defending the Faith

配信第1回:最初から2分40秒まで

全文の日本語訳を提示する。

(メッセージ開始)

お祈りしましょう。

私たちの父なる神よ。
私たちは、われらの救い主でありますあなたの甘美と卓越を大いに喜んでいます。
それらは、あなたのあふれるばかりの御恵みとご加護と永遠の予知の知恵により、私たちに与えて下さったものです。
私たちがあなたの存在、あなたの力、あなたの栄光の確かさを証言することができるように祈り求めます。
それは、父、子、聖霊でありますあなたに光栄がもたらされるためであります。
イエス様の御名によりお願いいたします。
アーメン!

今朝のセッションのために、私たちの信仰防衛という質疑について取り扱うように依頼がありました。

信仰防衛というのは、もちろん、弁証学を含んでいる。

弁証学(apologetics、アポロジェティックス)というサイエンスは、ギリシャ語のapologiaに由来し、「私がクリスチャンでごめんなさい」という意味ではありません。

そうではなく、時代時代を通してさまざまな未信者や疑い深い人たちによる反論に対抗、知的に反応しかつ応答することを意味します。

弁証学の教練に関して、私は人生において多くの時間と教職において多くの努力を費やしてきました。

ただ、今朝、どのようにこのテーマにアプローチすべきなのかピンと来ませんでした。

しばらく考えた後に、まずは出発点として弁証学の基本中の基本へと戻り、それから私たちの目指す弁証論の焦点へ移ろうと考えました。

それが思い浮かんで、弁証学という領域において私の考え方に多大な影響を与えただけでなく、教会史を通して弁証学という領域に影響力のあった人の業績をおさらいしようと考えました。

いうまでもなく、その人とはアウレリウス・オーガスティンです。

何世紀も前のことだが、彼はカルタゴのヒポーで司教をしていました。

オーガスティンの書物を再読して、彼が理性と信仰の間に見出した違いについて、あらためて興味を抱いたのです。