マタイ9章36節
また
群衆を見て
羊飼いのない羊のように
弱り果てて倒れている彼らを
かわいそうに思われた
「かわいそうに思われた」という意味を持つ単語はσπλαγχνίζομαιで
σπλαγχνίζομαι:
Middle voice from G4698; to have the bowels yearn, that is, (figuratively) feel sympathy, to pity: - have (be moved with) compassion.
*to have the bowels yearnとは、断腸の思いという意味のイディオム
次の聖句でも同じ単語が使われている。
マタイ14章14節
イエスは舟から上がられると
多くの群衆を見られ
彼らを深くあわれんで
彼らの病気を直された
「深くあわれんで」と訳されている単語が、やはりσπλαγχνίζομαιだ。
この単語の意味は、上の説明を見れば分かるように「はらわたのちぎれる思いをする」であり、いずれの聖句においてもこの訳が良い。
マタイ9:36
主はこれらの群れを見て
彼らのために
はらわたのちぎれる思いをした
というのは
彼らに生気がなく
散らされていた
羊たちのように
羊飼いを持たない
マタイ14:14
イエスは出ていった
多くの群れを見た
彼らに対して
はらわたのちぎれる思いをした
彼らの病気を癒した
また
群衆を見て
羊飼いのない羊のように
弱り果てて倒れている彼らを
かわいそうに思われた
「かわいそうに思われた」という意味を持つ単語はσπλαγχνίζομαιで
σπλαγχνίζομαι:
Middle voice from G4698; to have the bowels yearn, that is, (figuratively) feel sympathy, to pity: - have (be moved with) compassion.
*to have the bowels yearnとは、断腸の思いという意味のイディオム
次の聖句でも同じ単語が使われている。
マタイ14章14節
イエスは舟から上がられると
多くの群衆を見られ
彼らを深くあわれんで
彼らの病気を直された
「深くあわれんで」と訳されている単語が、やはりσπλαγχνίζομαιだ。
この単語の意味は、上の説明を見れば分かるように「はらわたのちぎれる思いをする」であり、いずれの聖句においてもこの訳が良い。
マタイ9:36
主はこれらの群れを見て
彼らのために
はらわたのちぎれる思いをした
というのは
彼らに生気がなく
散らされていた
羊たちのように
羊飼いを持たない
マタイ14:14
イエスは出ていった
多くの群れを見た
彼らに対して
はらわたのちぎれる思いをした
彼らの病気を癒した