CHILDISH TONES - BOYS DON'T CRY
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0b/dfb761cea2a18d2b7de220d42a8c8cd3.jpg)
Childish Tones 「NERD, GEEK & WEIRD」
Childish Tonesは、玩具楽器によるローファイなサウンドでガレージパンクを演奏するバンドである。
こういう発想自体は、酔っぱらったときなどに誰もが思いつくレベルのものであるが、実際にやってみるとなかなか難しく、面白がっているのは演奏している本人たちだけということになりがちなものである。ところが彼らの場合、この試みは例外的に成功していて、聴いていてもとても面白い。その面白さは彼らが音楽と非音楽の、あるいは楽音と非楽音の境界線上に立っているからだろう。実はこれこそが音楽の最も普遍的な立ち位置であるはずであって、そこにスリリングな面白さがあるはずなのである。自分が演奏しているものが音楽であり、楽音であることを微塵も疑ったことのない者のつくりだすものが退屈であるのは、つまりはそういうわけなのである。
また、境界線上に立つということは断ち切るということでもある。つまり、こどもは大人になるための連続した準備過程ではなく、玩具楽器は本物の楽器の代用品ではないのであって、こどもはこどもとしての自立した価値を持ち、玩具楽器は玩具楽器として独自の価値を持つ。
さて、ここで思い出されるのはギュンター・グラスの原作をフォルカー・シュレンドルフが映画化した「ブリキの太鼓」である。
3歳にして身体的な成長を止めた主人公オスカルは3歳の誕生日に買ってもらったブリキの太鼓を常に離さない。玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、その太鼓とともに成熟した子どもとして生き、権威や常識に安易に追従し安住する小市民の臆病さ、打算性、邪悪さや退廃を明るみに出していく。
Childish Tonesの音楽が時に凶暴さを垣間見せるのは、我々のそうした小市民的な感覚に原初的な力で揺さぶりをかけてくるからに他ならない。
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Childish Tones 「NERD, GEEK & WEIRD」
Childish Tonesは、玩具楽器によるローファイなサウンドでガレージパンクを演奏するバンドである。
こういう発想自体は、酔っぱらったときなどに誰もが思いつくレベルのものであるが、実際にやってみるとなかなか難しく、面白がっているのは演奏している本人たちだけということになりがちなものである。ところが彼らの場合、この試みは例外的に成功していて、聴いていてもとても面白い。その面白さは彼らが音楽と非音楽の、あるいは楽音と非楽音の境界線上に立っているからだろう。実はこれこそが音楽の最も普遍的な立ち位置であるはずであって、そこにスリリングな面白さがあるはずなのである。自分が演奏しているものが音楽であり、楽音であることを微塵も疑ったことのない者のつくりだすものが退屈であるのは、つまりはそういうわけなのである。
また、境界線上に立つということは断ち切るということでもある。つまり、こどもは大人になるための連続した準備過程ではなく、玩具楽器は本物の楽器の代用品ではないのであって、こどもはこどもとしての自立した価値を持ち、玩具楽器は玩具楽器として独自の価値を持つ。
さて、ここで思い出されるのはギュンター・グラスの原作をフォルカー・シュレンドルフが映画化した「ブリキの太鼓」である。
3歳にして身体的な成長を止めた主人公オスカルは3歳の誕生日に買ってもらったブリキの太鼓を常に離さない。玩具であるブリキの太鼓に絶対的な価値を与え、その太鼓とともに成熟した子どもとして生き、権威や常識に安易に追従し安住する小市民の臆病さ、打算性、邪悪さや退廃を明るみに出していく。
Childish Tonesの音楽が時に凶暴さを垣間見せるのは、我々のそうした小市民的な感覚に原初的な力で揺さぶりをかけてくるからに他ならない。
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