動画で楽しむDano(385)

2017-05-30 23:53:03 | Dano Movies(邦)
[Shoegaze Of Japan] Paint In Watercolour 1992 Japanese Early '90s Shoegazer ペイントインウォーターカラー


Paint in Wtercolourは日本最初のシューゲイザーバンドと言われている。1994年頃まで活動していたようだ。この画像ではギターの関口氏がショートホーンの12弦を弾いているが、年代的に言ってこれはジェリー・ジョーンズ。

<2019年11月1日追記>
ライヴ動画が見られるようになったので追記。この動画の後半からショートホーンの12弦が登場するが、これはジェリー・ジョーンズではなく、国産のコピーモデルに、ストラトキャスター12弦のネックを取り付けたものだとのこと。
 

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日本で最初にダンエレクトロを弾いた男

2017-05-26 23:10:24 | Dano Column
より厳密にすれば「日本のミュージシャンで(おそらく)最初にダンエレクトロのエレクトリック・ギターを弾いた男」ということになるわけだが、その男の名は清野太郎といって、スウィング・ウエストというバンドのメンバーであった。

スウィング・ウエストについて調べてみると、小坂一也のいたワゴン・マスターズを脱退した堀威夫(あのホリプロの会長)が1957年に結成したロカビリーバンドなのだそうだ。その後、日本の音楽の流行がロカビリーからエレキ、そしてグループサウンズへと移り変わっていくたびに、スウィング・ウエストもその音楽性を変えていき、1970年に解散したとのこと。このバンドに在籍したメンバーを眺めてみると、佐川満男、守屋浩、湯原昌幸といったボーカリスト、そして後にスパイダースのリーダーとなる田邊昭知といった名前が並んでおり、戦後の芸能歌謡史に残した足跡はそれなりに大きいものだということがわかる。

さて、清野太郎に話を戻すと、彼は当時のロカビリー歌手がそうだったように、アメリカのロカビリーソングに日本語詞をつけて歌っていた。「ダイアナ」や「ドント」といった有名曲のほか、「ロックを踊る宇宙人」という邦題をつけた「パープル・ピープル・イーター」なども歌っていた。



そして清野太郎はスウィング・ウエストを脱退後、ハワイで活動していたことがあり、ちょうど映画「ブルー・ハワイ」のロケでハワイに来ていたエルヴィスと出会い、「歌手なら何か歌ってみろ」と言われ、歌ったところ、エルヴィスもノリノリになって一緒に歌いだしたというエピソードで知られている。

そんなわけで以下にリンクしたサイトを見ていただくと清野太郎がすでに1957年にダンエレクトロのU2を弾いている姿を見ることができる。画像がモノクロなのではっきりとはわからないのだが、彼のダンエレクトにはいくつかの可能性があり、そのうちの1本はジンジャーのU2ではないかと思われる。

ウェスタンからロカビリーの時代



「Dano研」的には日本で最初にダンエレクトロを弾いた人は誰かというのが長い間の疑問だったのだが、年代的にいって清野太郎で間違いないのではないかと思われる。欲を言えば、彼がどういう経緯でダンエレクトロを知り、愛用したのかを知りたいところである。
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ベルズーキを弾くピート

2017-05-20 16:04:18 | Dano Column


5月19日はピート・タウンゼントの誕生日だというので、ちょっと珍しい画像をアップしておこう。

これは、1965年8月27日におこなわれたザ・フーのライブでの画像である。

ピートが1967年頃まではダンエレクトロやコーラルのギターもよく使っていたということはいろんな写真で確認できるのだが、ベルズーキも使用していたというのは、私も今回初めて知ったことであり、驚きの事実というやつである。欲をいえば、ダンエレクトロのどのモデルでもよいからピートが演奏している動画を見たいものだが、残念ながら動画は見つかっていない。
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動画で楽しむDano(384)

2017-05-14 14:28:02 | Dano Movies(洋)
Marc Ribot's Ceramic Dog - Your Turn (Live on KEXP)


マーク・リーボウのセラミックドッグのスタジオライヴ。
マークさんはアート・リンゼイの後任としてラウンジ・リザーズに加入してから、数多くのミュージシャンたちと共演してきたが、今はこのセラミックドッグに注力して活動しているみたい。ベースを担当しているのはシャーザッド・イズマイリーで、この動画ではロングホーン・ベースを使用している。

エンディングの最後の音がビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」みたいになるところが面白い。
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mickey romance the next move?

2017-05-11 23:35:28 | Music Life
the mickey romance experiment


Mickey Romance について書くことはある意味とても簡単であり、ある意味とても難しい。なぜかといえば、彼自身がすでに多くのことを書き記しているからである。

例えばここに彼のツイートをまとめたものが2つある。

ツイートまとめ1(バンド編)

ツイートまとめ2(BIG BEAT編)

要するにこれらを読めば後は実際に彼の音楽を聴けばそれでいいのであって、それ以上加えることなど実は何もないのである。

これらを読んでわかることは、Mickey Romance にしても久留米に生まれ育った悪ガキたちの一人であり、バンドを始めるきっかけは「誰よりも目立ちたい」とか「女の子にモテたい」とかのありがちな理由だったり、コピーするのが面倒だから自分たちで曲を作ったとか、若気の至りを尽くしてライブ会場を出入り禁止になったりとか、武勇伝と呼ぶにはあまりに情けないようなことばかりやらかしてきたということである。こういった話は仲間同士でバンドを組んだ中高生にはよくありがちな話であり、さほど珍しいことではない。

だがしかし、そんな情けないバンド活動に、まるで映画のクライマックスのような、信じられないミラクルが起きるのである。

このようなエピソードに触れると、「やっぱり福岡は違うねえ、日本のロックの聖地だねえ」などと、その土地が持っている特殊性や空気感などについて語り始めてしまうが、もちろん、その土地が持つ力を否定するわけではないにせよ、まずは、音楽について語らねばならない。

久留米の悪ガキが何故に会場全体をシンガロングさせる楽曲を生み出し得たのか。その答の一つになるのが一人のレコード店主との出会いであろう。ファンタジックな世界に見られる「師匠と弟子」の物語が、余りある沢山のレコードを介して展開されてゆくのである。甘美でせつないポップスや呪いをかけられたロカビリー、そして情け容赦のないハードコアパンクまであらゆる音楽のエッセンスをそのワイズな嗅覚で嗅ぎ分けていきながら、久留米の悪ガキは Mickey Romance になっていくのである。

いくつかの紆余曲折を経てTEENAGE CONFIDENTIALが結成されたのは2002年。このとき彼は30歳を過ぎていた。FLAMIN GROOVIES の曲名に由来するこのバンドは2枚のアルバムを残したが、1stの「ROCK'N ROLL KISS」、2ndの「AFTER SCHOOL RENDEZVOUS」ともに、性急なビートと存分に鳴らし切られたギターサウンドとスタンダードナンバーになりうるようなポップでキャッチーなメロディーを備えた楽曲に満ちたこれらのアルバムは、日本のパンクロック/パワーポップ史に残る名盤である。このバンドがたった2枚しかアルバムを残し得なかったのはつくづく残念なことである。

  

TEENAGE CONFIDENTIAL解散後、Mickey Romanceはハードコアパンク界ではレジェンドであるthe swankys(私は知らなかった)の再結成ライブにあたり、サウンドディレクション的な役割を担うこととなる。本人の弁によれば、この体験がハードコアパンク人生で最も濃いものであったという。

その後は、mickey romance experimentやザ・センセーショナルズ、またはソロ名義であったり、The CleEmのギタリストとしてであったり音楽活動を続けてきたが、それらは今まで培ってきた自分のスタイルを打ち破ろうとする、まさに試行錯誤の連続であり、傍からは迷走とも取れるものであったかもしれない。そんな中、ロックンロールへの疑義であったり、いつまでも若い頃から変わろうとしないオヤジ連中に愛想をつかしたりで、今は音楽を捨てたかのように振る舞っているが、実は水面下で何かが始まろうとしているのかもしれない。

Mickey Romance 次の一手は?
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動画で楽しむDano(383)

2017-05-06 17:28:20 | Dano Movies(洋)
Elektra Nicotra "Hermit"


エレクトラ・ニコトラは幼い頃から様々な楽器、ダンス、そして演劇に親しみ、歌唱技術も本格的に学んだ。次第にアメリカのブルースやロバート・プラントなどから影響を受け、14歳からパブやクラブで歌い始めた。

彼女にはミュージシャンとしてだけではなく、スタイリスト、メークアップアーティスト、デザイナー、エディターなど、その活動は多彩である。

この動画では59DCを使っている。ピックガードには彼女のデザインしたシンボル的な文様が描かれいる。
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動画で楽しむDano(382)

2017-05-05 12:43:18 | Dano Movies(洋)
Bailey Dee, with Late Nite Bait


ベイリー・ディーはエモーショナルな歌唱が特徴であるが、ロリー・コリンズ、ロゼッタ・サープ、エッタ・ジェイムズなどの影響を受たとのこと。バックバンドも50年代の編成を意識したものになっていて、その当時のR&Bやロカビリー、ロックンロールを主なレパートリーにしている。

この動画で彼女はショートホーンの3022を弾いている。コッパーフィニッシュというところがなかなか渋くて良い。
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ダンエレ女子を探せ(14)

2017-05-02 20:42:03 | Dano Girls


左(上→下)

Jeniffer Holm:56Bariton(Pick Up Replaced)
Nikki Barbar(The Minks):Silvertone 1457
Eloise Hemmings:59DC

中(上→下)

Elektra Nicotra:59DC
Bailey Dee(Bailey Dee and The late Night Bait):shorthorn 3022

下(上→下)

Carrie Brownstein(Sleater-Kinney):Jerry Jones Shorthorn
Anna Bassbunny(The Panicatz):DC BASS
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