音楽やバンドを題材にしたマンガとその後の展開

2024-05-11 20:48:21 | Music Life
音楽やバンドをテーマにしたマンガの人気が楽器業界にも波及した例としては、ハロルド作石の「BECK」、かきふらいの「けいおん!」、最近では、はまじあきの「ぼっち・ざ・ろっく!」などが思い浮かぶ。実際、これらのマンガの人気が上昇するとともに、物語に共感し、主人公たちと同じようにギターを弾き、バンドを組みたいと思う少年少女たちが増え、登場人物が使用した楽器(主にギター)と同じタイプのものが売れるようになったり、こうした動きに合わせ、初心者を対象にしたリーズナブルなシグネチャーモデルがつくられたりもして、楽器業界は大いに盛り上がることになった。「ぼっち・ざ・ろっく!」に至ってはギターマガジン2023年8月号の表紙を飾り、特集記事も組まれたが、ギターマガジン史上、マンガやアニメの架空のキャラクターが表紙になったのはそのときが初めてなのだそうだ。

ハロルド作石の「BECK」は1999年から2008年まで月刊少年マガジンに連載された。平凡な中学生だったが、天性の歌声を持つコユキ(田中幸雄)と7つの弾痕があるレスポールですさまじいサウンドを紡ぎ出す南竜介を中心に、様々な挫折を経ながらも成長していくバンドの物語が描かれている。

かきふらいの「けいおん!」は2007年から2012年までまんがタイムきららに連載された。女子高の軽音楽部の物語であるが、音楽的なことよりも日常生活が中心に描かれたことによって、バンド活動を身近なものにし、バンド人口の裾野を広げた。主人公の平沢唯も平凡な中学生だったが、高校で何かやろうと思い立って軽音楽部に入り、実は音感に優れているなど、隠れた能力を発揮していく。

はまじあきの「ぼっち・ざ・ろっく!」は2018年からまんがタイムきららMAXで連載中である。いわゆる陰キャ、コミュ障である主人公後藤ひとりが、父親から借りたギターにのめりこみ、動画投稿サイトでは評判になるほどの演奏技術を獲得したものの、人前での演奏となるとその性格のゆえうまくできないというところからバンド活動を通じて成長していく物語が描かれている。

これらの作品に共通しているのは、特に何の取柄もない平凡な少年少女がバンド活動を通じて隠れた才能を開花させ、やがて奇跡を起こしていくといった物語であり、ギターを弾ければカッコイイ、バンド活動は楽しく、気心の知れた仲間でバンドを組めば小さな奇跡を起こせるかも、と誰しもを夢見させる。しかし、ギターを始めてみればすぐに気がつくが、マンガの主人公たちのようにすぐに弾けるようにはならないのである。そこで、弾けない原因はギターにあるのではないかと考えだすと、チューニングが気になり、弦高が気になり、ネックの反りが気になり、しかし何をどうすればいいのかがわからないとなると、弾いていてもだんだん楽しくなくなってきてしまい、楽しくなくなればそのうち弾かなくなってしまうというわけだ。弾かなくなれば弾けないままギターのことなどそのうち忘れてしまうだろう。ギター初心者が直面するこうした問題に、今までの音楽マンガは応えることはできなかったと思う。

そんな中、それまでとはちょっと変わった音楽マンガが現れた。2018年からビッグコミックで連載中の髙橋ツトム「ギターショップロージー」がそれである。この店名はAC/DCの楽曲「ホール・ロッタ・ロージー」から取られたものであり、店を切り盛りする兄弟の名前もアンガスとマルコムというくらい、AC/DC愛に溢れているのだが、このショップを舞台に、ギターの修理を頼みに来る客とギター自体の物語が展開していくのである。こうしたリペアショップを題材にすることによって、ギターを弾くというだけではなく、ギターの構造、修理やモディファイのノウハウ、ひいてはギターの歴史やギターが担ってきた音楽の歴史など幅広い内容を盛り込むことが可能となる。



「ギターショップロージー」は現在3巻まで単行本化されており、第3巻の第14話にダンエレクトロの59DCが登場する。オリジナルの3021とは違うのだが、例えばヘッドに角度がついている部分などはきちんと描かれていたりする。物語は、ギターは低い位置で構えるのがやはりカッコイイというところで、ジミー・ペイジやポール・シムノンの話をしているところにジミー・ペイジのそっくりさんが店に現れるというところから始まる。そっくりさんはダンエレクトロを持ってきて、ネック側のピックアップが断線して音が出なくなったのをすぐに直したいと言ってくる。ブリッジ側のピックアップだけで乗り切るのはどうかと言えば、「そんなのはダメに決まっている」と言っているのに、結局ブリッジ側のピックアップをネック側に移して、ネック側のピックアップだけで通すことにするというのはどういうことなのか、今一つよくわからないところではあるが、いずれにせよ、このそっくりさんは新潟県出身であることも含めてジミー桜井氏をモデルにしていることは言うまでもないだろう。名前を赤船平次というのだが、赤はレッドを鉛のLEDではなく赤のREDに読み換え、船は当然のことながらツェッペリン伯爵が開発した硬式飛行船から取られているわけで、このキャラクターは今後も登場するだろうし、その伏線も張られている。

ギターというものは安いものでなくても、弾いているうちにどこかしら調子が悪くなってくるもので、ジャックの接触が悪くなるだの、トーンやボリュームのノブにガリが出てくるだの、ボディをぶつけて傷つけてしまうだの、ネックが反るだの、ピックアップが断線して音が出なくなってしまうだの、色々ある。なのでギターを弾くようになったら、本来なら自らハンダゴテを手にして電装系のパーツを交換するくらいはできるようになっておくべきなのだが、それがかなわないのなら、近所にギターのことを相談できる店があるとよい。「BECK」、「けいおん!」、「ぼっち・ざ・ろっく!」をきっかけにギターを手にしたら、その次には「ギターショップロージー」を読んで、リペアショップとのつきあい方を学ぶのもよいかもしれない。
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デヴィッド・リンドレーとダンエレクトロ

2023-03-04 15:53:46 | Music Life
David Lindley 1982 08 28 Rockpalast


訃報は続く。デヴィッド・リンドレーが死去。ここ数か月間は体調がおもわしくなかったという。78歳だった。

デヴィッド・リンドレーは1944年、カリフォルニアで生まれた。彼の父親は音楽好きで、韓国民謡やインド音楽を含むレコードコレクションを持っているような人だったという。デヴィッドさんも音楽好きで、子どもの頃からフィドルやウクレレ、バンジョーを演奏するようになり、コンテストで何回も優勝するくらいの腕前だったそうだ。

60年代に入ると、フォークリバイバルの流れでクラブに足繫く通うようになったデヴィッドさんは、フラメンコやロシア民謡、インド音楽など様々なワールドミュージックにのめりこむようになる。そういう意味では、デヴィッド・リンドレーは20世紀初頭から民俗学者や音楽学者らによって行われるようになったフィールド・レコーディングによる世界各地での民謡の採集と資料の作成・整理といった活動の成果を自らの血肉としていったのだと言えるだろう。

デヴィッド・リンドレーが最初のバンド「カレイドスコープ」を結成したのは1967年。バンドが解散した後の1970年代は、ジャクソン・ブラウンのギタリストとして活動するとともに、セッション・ミュージシャンとして多方面で活躍、ライ・クーダーと並び称されるスライドギターの名手として脚光を浴びる。1981年には自身のバンド「エル・ラーヨ・エキス(スペイン語で「X線」の意)」を結成、4枚のアルバムを発表した。ロックやカントリー、ブルースにワールド・ミュージックといった様々な音楽要素が混然一体となったユニークなスタイルは高く評価された。

デヴィッドさんは、フィドル、ウクレレ、バンジョー、マンドリン、ギター、スチールギター、ウード、ブズーキ、ワイセンボーンなど数多の弦楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストであるが、とりわけ、テスコやダンエレクトロといった50年代、60年代にシルバートーンブランドで通信販売されていたギターを愛用することで界隈でも知られていた。それまでまともな楽器として扱われていなかったこれらのギターに独特な音色の魅力があることを世界に知らしめた彼の功績は大きい。



上の動画はドイツの音楽番組「ロックパラスト」での1982年のライヴであるが、デヴィッドさんは序盤(「She Took Off My Romeos,」「Bye Bye Love」)と中盤(「Twist and Shout」)でシルバートーンの1457、序盤(「Premature」)とアンコール(「Talk to the Lawyer」)でダンエレクトロ・デラックスを弾いている。十何年か前は、曲ごとに分割された動画が上がっていたのだが、今は全部一つなぎになった動画しかないのだった。
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テレヴィジョンのダンエレクトロ

2023-02-03 17:43:19 | Music Life
Television - The Full Ork Loft Tapes, 1974


訃報は続く。トム・ヴァーレインが1月28日に亡くなった。死因は明らかにされていないが、短い闘病の後、仲間たちに見守られながら息を引き取ったという。73歳だった。

トム・ヴァーレインの本名はトーマス・ミラーという。ロバート・ジンマーマンが詩人のディラン・トマスにちなみ名前をボブ・ディランに変えたように、トーマス・ミラーも詩人のポール・ヴェルレーヌにちなみ名前をトム・ヴァーレインに変えた。なぜヴェルレーヌから名前をいただいたのかを私は不明にして知らないのだが、そもそも私は彼がどういった詩人たちから影響を受けたかといったことについても寡聞にして知らないのだった。なので推測にものを言わせるしかないのだが、ジム・モリソンやボブ・ディラン、あるいはパートナーだったパティ・スミスからのつながりでギンズバーグなどのビート・ジェネレーションやアルチュール・ランボオ、シャルル・ボードレール、シュルレアリスムといったあたりから影響を受けた、というのはありそうな気がする。ポール・ヴェルレーヌのことは好きだったかどうかもわからないのだが、名前をいただいたのは、英語読みにしたときの語感や響きが独特なので気に入ったから、くらいのことで、それほど深い意味はなかったのではないかと思われる。だいたい「自分の名前がありきたりだから違う名前にしたい」というのはあまりにも文学青年的な若気の至りという気もするが、そうしたところがトム・ヴァーレインとテレヴィジョンの魅力の一つになっているとも思う。

個人的な話をすると、高校生のころ、たまたま聞いていたラジオから流れてきた「ヴィーナス」がテレヴィジョン、トム・ヴァーレインとの最初の出会いだった。一つ一つの歯車ががっちりと嚙み合うような構築的なアンサンブルとそこから飛び出してくるようなギターフレーズに心を奪われた。すぐにレコードを買おうと思ったが、田舎のレコード店では見つからず、テレヴィジョンを聴きたくても聴けないという、悶々とした日々を過ごすこととなった。今では考えられないが、私の高校時代はこんな感じで、聴きたいものを聴くことができないという飢餓状態が慢性的にあって、「マーキー・ムーン」や「アドヴェンチャー」といったアルバムを手に入れることができたのはずいぶんと後のこと、もう大学生になっていたように記憶している(初CD化がなされた1988年か)。聴きこんでいく間にこのアルバムに関するいろいろな情報が入ってきて、「ヴィーナス」での印象的なギターフレーズが実はリチャード・ロイドによるものだったということを知ったりもしたのだが、アルバム全体を聴いてしまった後はそんな細かいことはもうどうでもよくなっていた。



さて、「ダンエレクトロ研究」なので、トム・ヴァーレイン及びテレヴィジョンメンバーのダンエレクトロとの関わりについて書いておこう。トム・ヴァーレインというとフェンダーのジャズマスターやストラトキャスターを使うことが多いのだが、リップスティックピックアップを気に入っていたようで、彼のストラトキャスターにはリップスティックピックアップが搭載されていたりする。テレヴィジョンの初期にはビグスビーを搭載したダンエレクトロの4021を弾いていたことが、残された写真からわかる。この写真には当時まだメンバーだったリチャード・ヘルがダンエレクトロの3412を弾いている姿も見つけられたりするのだが、これはトムが50ドルで買い、リチャードに押しつけたものと言われている。



このほかにもう一枚、いつの時期なのかはわからないが、トム・ヴァーレインが3ピックアップの白いダンエレクトロ・デラックスを弾いている写真が残っている。しかし、残念ながら彼らがダンエレクトロを弾いている姿は映像には残されておらず、ほとんど唯一だと思われるのが、1974年のテレヴィジョンのリハーサル風景を撮影したものである。その映像ではリチャード・ヘルこそダンエレクトロの3412を弾いているものの、トムは改造したジャガーを弾いているし、リチャード・ロイドはテレキャスターを弾いている。



リチャード・ロイドでついでに書いておけば、彼は「リアルタイム」というライヴアルバムのジャケットにダンエレクトロを抱える自身の肖像画を使っていたりするので、決してダンエレクトロと無縁ではないことがわかる。レコーディングやライヴで使用しているかどうかは定かではないが。
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高橋幸宏とダンエレクトロ

2023-02-01 18:07:32 | Music Life
高橋幸宏の訃報は突然にやってきた。2020年に脳腫瘍の摘出手術をしたことは知っていたし、以後は治療に専念していたこと、自身の50周年記念ライヴをキャンセルしたことなど、いろいろと聞き及んではいたものの、近いうちに復帰して元気な姿を再び見せてくれるだろうと、今にして思えば意外なほど楽観的に考えていたからだ。彼が亡くなったのは1月11日のこと。誤嚥性肺炎によるもので、70歳だった。

私は直撃世代なので、中学生の頃にYMOばかりを聴いていた時期があった。アルバムをすべて聴くだけでは飽き足らず、テレビ放映されたワールドツアーの映像も食い入るように見たし、FMで放送された彼らのライブもできうる限りチェックし、ちょっとしたアレンジの違いを楽しんだりもした。その頃の私はシンセサイザーの可能性や彼らの音楽が切り開いていく新たな地平といったものに対し、期待に胸をふくらませるばかりだったのだ。しかし、こうした蜜月状態は長くは続かず、「BGM」と「テクノデリック」で終了することとなった。私がYMOを次第に聴かなくなっていったのは、ほんの2年くらいの間に私の好きなものがシンセサイザーからギターへと変わっていき、60年代と70年代のロックに関心が向かっていったためだ。そんなわけなので、直撃世代といいながらも、私には高橋幸宏を悼む資格などないのだろう。ただ、あらゆる文化から絶縁されていた田舎の中学生が当時ヤンキーにならずにいられたのは彼らのおかげであるわけだし、音楽だけでなく、映画や文学、アートといったものへ関心の対象を広げていくことができたのも彼らがそれらの入り口となってくれたからなのだ。その恩は忘れてはいけないと思っている。



高橋幸宏は優れた音楽家であるだけでなく多彩な活動をしていたが、俳優としていくつかの映画に出演した。2009年に公開された「20世紀少年〈最終章〉ぼくらの旗」では唐沢寿明演じる主人公ケンヂのバンド仲間であるビリーを演じた。そこで彼はドラムではなくベースを演奏しているのだが、そのベースがダンエレクトロの DC BASS だったりするのだ。残念ながらこの演奏シーンではほんの一瞬しか映らなかったりするのだが、ダンエレクトロを抱えた高橋幸宏の姿はなかなかに渋い味わいがある。なぜこの演奏シーンでダンエレクトロだったのかを本人に確認することはもうできないが、彼のセンスでダンエレクトロを敢えて選んだのだと思いたい。
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ダンエレクトロ演奏動画

2019-08-15 18:01:16 | Music Life
https://www.youtube.com/playlist?list=PLqQHEF6zO88LWSB8BB3Fl_vfJKVui7gDG

今の今までこのブログで自分の演奏動画をアップしたことはなかったのだが、ようやく決心がついた。
20本ほどの動画をまとめてあるので、暇な時でも見るよろし。
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「エレクトリック・ギター革命史」

2018-09-22 17:05:47 | Music Life
ブラッド・トリンスキー、アラン・ディ・ペルナ「エレクトリック・ギター革命史」

ギターに関する本であればとりあえず読んでおこうと思っているので、今回も手に取ってみたわけだが、この本は原題に「Play It Loud」とあるように、ギターが大音量を獲得するためにどのような工夫がなされてきたかをたどるものであり、そうして生まれたエレクトリックギターの歴史を革命の歴史としてとらえ記述していくもの。

この革命の担い手には二つのタイプがある。一つは技術者であり、もう一つはギタリストである。
技術者といっても、もともとはギタリストであった場合も多いのだが、彼らはギターの音を大きくするために、ギターそのものを改良していった存在である。この本の前半はギターにコーンを仕込んだリゾネーターギターやピックアップを搭載することで弦の振動音を拾い、アンプによって増幅させるエレクトリックギターを開発した技術者の歴史が記述されている。ジョージ・ビーチャム、アドルフ・リッケンバッカー、レス・ポール、ポール・ビグスビー、レオ・フェンダーといった名前を挙げれば、自ずと開発の歴史が紡がれるというものだ。

この著者の立場なのか、一般的なものなのかはさておき、フェンダーのストラトキャスターとギブソンのレスポールの登場によって、エレクトリック・ギターはひとまずの完成を見る。そうだとしたら、それ以降の革命はギターを弾くギタリストが担っていくことになる。開発者の意図を超えて、まったく予想もされなかった使い方によって、エレクトリック・ギターのサウンドに革命が起こる。

ジミ・ヘンドリックスのアームの使い方を見てレオ・フェンダーが激怒したというのは有名な話であるが、ギターを弾くという行為がステージでのパフォーマンスとしてアクロバティックな要素を増していくようになるのが60年代後半くらいからのこと。ギターを破壊したり、背中に回して弾いたり、歯で弾いたり、火をつけたり。こうした革命を経て70年代後半になるとエドワード・ヴァン・ヘイレンが登場し、奏法自体に革命が起きる。そしてスティーヴ・ヴァイによるそうした奏法の発展形が示されて、ギタリスト側からの革命はひとまずの完成を見る。

それ以降の革命は既存のものの再利用であったり、組み合わせの妙を狙ったりだったりとオルタネイティヴなものとして出てくる。技術者の側からはポール・リード・スミスが登場し、ギタリストの側からはジャック・ホワイトやダン・オーバックのような存在が登場する。彼らはそれまでゴミのような扱いしか受けてこなかったようなギターやアンプを敢えて使うことで独自のサウンドを生み出した。

とまあ、大まかにいえば、こういった一連の流れが記述されているということなのだが、この本には目新しい事柄が盛り込まれているわけではないにせよ、その分厚い量を一気に読み終わらせる程度には面白い本になっているということはできるだろう。

さて、「だの研」的には、やはり指摘しておかなければならないことが一つある。それは、この本にはダンエレクトロのような後発メーカーによる「革命」の記述が欠けているということである。
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the Loupes

2017-10-11 19:37:01 | Music Life
the Loupes 「針の音」Music Video


The Loupesは広島のバンドである。
ボーカルのオカハラくんがダンエレクトロを愛用しているとのことで私の知るところとなったわけであるが、YouTubeの動画を見てると、少年のひたむきさを湛えたオカハラくんの隣で忘年会で酔っ払ったオッサンみたいなギタリストが動き回っていたのであった。しかしながらそんな部分も含めて彼らには好感を持ったし、良い楽曲も多かったのである。

The Loupesは2014年に1stアルバムをリリースしたが、タワーレコード広島店のみでの限定販売であったため、私が彼らの1stを手にするまでにはかなりの時間がかかってしまった。聴いてみると、動画の音声よりも重低音であったことにいささか驚いた。1stのタイトル「Allons donc!」はフランス語であるが、これを「いざゆかん」という意味で使ったのは中原中也だという。

このアルバムはまさに「いざゆかん」とばかりに出発への決意を感じさせるもので、少年が初めて現実と向き合ったときの躊躇いや逡巡、戸惑いや不安、焦燥といった心の揺れ動きが収められている。こうした心の揺れ動きは、酔っ払ったギタリストが曲の進行を妨害するかのように飛び道具的に執拗に繰り出していたオブリガートに、実は見事に体現されていたのであった。

2ndの「WATCH」は、その冒頭から深いリバーブのかかった音空間を電子音が飛び交い、メタリックなギターがまるで闇夜を切り裂くようになまめかしい光を放ち、オカハラくんもまるで声変わりでもしたかのようである。そして彼らはゆったりとしたテンポで自分たちの演奏を一音一音確かめながら堅実に進んでいくように見える。例えばカントリー、あるいばオルタナ、もしくはソウルというように、既存のスタイルを借用しつつアレンジされた楽曲は以前よりも完成度が高まり、それによってThe Loupesは新しい地平を切り開いたといえる。このアルバムはそうした彼らの成熟と音楽的成長がはっきりと見て取れるものとなっている。
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Rally Assalamとの再会

2017-10-05 00:08:48 | Music Life
9月23日、私は仙台にいた。ラリー・アッサラームと5年ぶりに再会するためだ。場所は立町のライブハウス「サテンドール2000」。両親が宮城出身とはいえ、土地に不案内な私は仙台駅からその場所へタクシーで向かったのだった。

この日はShakeこと木暮武彦 with Big Mountain Blue のライブがあり、ラリー・アッサラームのバンドはそのオープニング・アクトを務めた。久しぶりに聴く彼の歌と演奏は以前よりも余裕と貫禄が感じられるものだったが、本質的な純粋さは変わっていなかった。

50人ほどのキャパしかない会場は音楽を楽しむ環境としては申し分なく、座りながらゆったりと聴くことができた。とてもよい雰囲気の中、演奏者とも距離が近く、木暮武彦がギターを弾いている姿をこんなに間近に見ることができたのはまさに眼福というものだろう。





ラリー・アッサラームは相変わらず物腰が柔らかで、ミュージシャンとしてだけではなく、ホストとして常に周囲に気を配り、会場の雰囲気をあたたかくしていた。彼のこうしたところは本当に尊敬できるところだ。

彼とはしばらく話し込んで旧交をあたため、近いうちにあるだろう東京でのライブでまた会えることを楽しみに別れたのだった。

私の手元にはラリー・アッサラームのCDが3枚ある。



1stの「The Blue Virgins」がリリースされたのは2001年、16年も前のことだ。この頃はフォーキーでネオアコ的なサウンドで、声がやはり若い。

2ndの「The Black Virgins」がリリースされたのは2011年、東日本大震災直後のことだ。復興への願い、仙台への思いとともにレコーディングされたこのアルバムは一体感のあるバンドサウンドで、よりロック色が強まった。

そして「The Blue Virgins Revolutions」は、1stのプロデュースをした恩人、下村誠の死を乗り越えるべく、当時収録予定でありながらも収録できなかった「Stardust Blues」を再録しただけでなく、ヴォーカルトラックをすべてやり直し、改めて2017年にリリースしたもの。このアルバムを2001年のものと聴き比べてみると、ライブの時と同様、変わっていない本質的な純粋さこそが尊いのだと思う。もちろん、下村誠への思いを込めた「Stardust Blues」でのラリー・アッサラームのシャウトは聴く者の心を打つだろう。
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The Pen Friend Club

2017-09-27 19:06:04 | Music Life
【Trailer】The Pen Friend Club / Best Of The Pen Friend Club 2012-2017


Der gute Vogel scwieg und sann:
"Was tat mein Flotenlied ihm an?
Was steht er noch?
Der arme, arme Wandersmann!"

-Friedrich Nietzsche "Der Wanderer"


ザ・ペンフレンド・クラブのリーダー平川雄一はその前にザ・クレアラシルズという3人編成のバンドで活動していた。彼はそこで60年代のブリティッシュ・ビート、とりわけサーチャーズやホリーズをカバーし、それらにインスパイアされたオリジナル曲を演奏していた。

つまり、現在の平川雄一がザ・ペンフレンドクラブを通じてやっていることと構造的には同じことをザ・クレアラシルズでもすでにやっていたというわけだ。

ザ・クレアラシルズの活動停止後、平川雄一は元ストライクスの小林ヨシオ率いるヤング・フォークスのメンバーとしてベースやギターを担当した。

ここで彼のスタイルは大きく変貌する。梅が丘の「並木」であつらえたスーツにビザールなギターをライブごとにとっかえひっかえするというそれまでのスタイルから、ベルボトムのジーンズにチェックのネルシャツ、ギターはテレキャスターかストラトキャスターという風に変わっていったのだ。

そして、ちょうどこの頃、アメリカではビーチ・ボーイズ・フォロワーとして、そのコーラスワークの圧倒的な再現力を誇るエクスプローラーズ・クラブが登場した。彼らの登場によって、ビートルズをはじめとする60年代ブリティッシュ・ビートを愛するのと同様、あるいはそれ以上にビーチ・ボーイズを愛している平川雄一の魂がメラメラと燃え上がったことは想像に難くない。

かくして、ビーチ・ボーイズやフィル・スペクターが活躍した1965年頃のサウンドを現代によみがえらせるべく、ザ・ペンフレンド・クラブが誕生したのである。

これまでもずっと構造的には同じことをやってきた平川雄一であるが、なぜここにきてにわかに注目を浴びることになったのだろうか。その理由はいくつかあるだろう。ステージで演奏する乙女たちのヴィジュアル的な華やかさもその一つだろうし、サーチャーズやホリーズよりも、大瀧詠一や山下達郎につながるフィル・スペクターやビーチ・ボーイズのほうが日本の音楽ファンに受け入れられやすかったということもその一つだろう。

日本の音楽マニアのほとんどは大瀧詠一の多方面にわたる知識の膨大さや山下達郎のサウンドに対する一切の妥協をしない姿勢をリスペクトしているので、平川雄一が始めたことはそうしたマニアたちが憧れる一つの理想形として受け取られたに違いない。先人たちへの敬意にあふれるカバー、それらにインスパイアされ、恩返しをするかのようなオリジナル楽曲、そして好きなことを好きなようにやることができる環境を若くして整えることに成功した男として、平川雄一は音楽マニアの理想なのだ。

今、ザ・ペンフレンド・クラブに注目しているマニアたちの中にはバージョン違いやミックス違いについて語ることを好む者が多いだろうし、カバー曲を選ぶセンスについて云々することを好む者も多いだろう。さらには平川雄一に自己を投影して「俺ならこうする」とばかりにあれこれとイメージを膨らませていく者もいるだろう。もちろんSNSがこれだけ発達している世の中にあって、平川雄一は当然こうした空気に気づいていないわけがない。しかし彼は、冒頭に掲げたニーチェの詩に登場する鳥のようにこう言うのだ、


 私の笛の音があなたに何をしたと言うのでしょう? 
 どうして彼は立ち止まっているのでしょう? 
 あわれでかわいそうな さすらい人は!

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アクリルのピック

2017-09-08 19:37:52 | Music Life


V-Picksというアクリル素材のギターピックがあるというので一枚入手してみた。

今から35年ほど前、私くらいの世代であれば、中学生の頃、技術の授業で2サイクルエンジンの仕組みを学んだことがあるはずだ。アクリル板をカットしてシリンダとピストンを作り、動かしながら吸気・圧縮・膨張・排気の行程を確認してみたりと、今となっては懐かしい思い出だが、この授業はもうずいぶん前に中学校の教育課程からはずされてしまったのだそうだ。

授業中に私が夢中になったのは、余ったアクリル板を切り出してギターピックを作ることだった。持つところは厚めにして弦を当てるところは薄くしてエッジはなめらかになどと、子どもながらに色々と工夫をこらしたつもりで、実際そこらに売っているセルロイド系のピックよりは弾きやすかった記憶がある。だがしかし、引っ越しを何度かしているたびにどこかにいってしまって、残念ながら今は私の手元にはないため、ここに画像をアップできないことが残念で仕方がない。

V-Picksは種類が色々あって何が自分に一番しっくりくるのかはよくわからないが、今回手に入れたのは薄目のピックだったので、他のピックと比べても弾き心地はそれほど変わらない印象。もう少し厚めのものにすれば、子供の頃に自分が作ったピックの弾き心地に近いかもしれない。
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