動画で楽しむDano(131)

2014-10-28 23:28:54 | Dano Movies(洋)
Surfin USA - An American Family The Beach Boys Story


「Beach Boys:An American Family」は2000年にアメリカのABCテレビで放映されたドラマで、文字通りビーチ・ボーイズの物語であるが、チャールズ・マンソンとの関係を取り扱っていることもあって、ブライアン・ウィルソンはこのドラマを好きではないと言ったそうだ。

この映像ではカール役の俳優が3021を、アル役の俳優が1457を使っているが、ビーチ・ボーイズがライブでダンエレクトロのギターを使ったことはなかったと思う。
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Epiphone Century

2014-10-26 20:08:56 | Other Amps


エピフォンのアンプが届いた。注文したのは6月だったが、今頃になって納品されたのは例によって日本での発売が延期となったからだ。こうしたことはよくあることなので気にもしていなかったら何度か楽器店から意思確認の電話が来ていたらしく、変わらず購入意欲が漲っていることを慌ててメールで伝えた次第。

このアンプはエピフォンが1930年代に製作したもののリイシュー。オリジナルは1932年にリッケンバッカーが生み出した史上初のエレクトリック・ラップスティールである「フライング・パン」に対抗してエピフォンが開発した「エレクター・シリーズ」の一環だ。12インチのスピーカーを搭載し、プッシュ/プルの回路が採用されたアンプで、そのキャビネットは同年代のいわゆるカテドラル型ラジオのようでもあり、金属製のバーハンドルやアルファベットの「E」をモチーフとしたグリル部の装飾など、当時流行していたアール・デコ調のデザインを特徴としている。とりわけグリル部を斜行する電光や稲妻を連想させるジグザグ文様はスピードと躍動感を表す、アール・デコの象徴的なモチーフなのだ。蛇足ながら初期のフェンダーロゴにも稲妻が走っていたことを付け加えておく。

私がなぜこのアンプを手に入れたかったのかといえば、以前記事にしたように、ダンエレクトロの創業者ネイサン・ダニエルが若い頃に製作したアンプだからで、メーカーこそダンエレクトロではないながらも「だのじゃん」的に重要な意味を持つアンプだからなのだが、75周年記念とはいえ、このタイミングでのリイシューは、昨今のギター業界のレトロスペクティヴな傾向がアンプにも及んで、マグナトーンやスプロといった往年のアンプがリイシューされているここ数年の状況を踏まえてのことと見ることができるだろう。

往年のアンプをリイシューといっても、当時の部品は今では入手できなくなっていたり、あるいは法的に使用できなくなっていたりするのでまったく同じようにつくるというわけにはいかない。エピフォンのリイシューも同様で、外観こそオリジナルに忠実だが中身は現代的な仕様になっている。真空管はプリ管に12AX7、パワー管に6V6が使われ、ヴォリュームノブを引っ張るとブーストされるとか、BRIGHT、NORMAL、DARKの3種類のインプットジャックがついているとか、当時とは違う機能が組み込まれている。サイズは高さが38㎝、幅が34.5㎝、奥行きが11.1㎝となっている。
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必要は発明の母

2014-10-08 20:57:06 | Dano Column
ポップ・ミュージックに初めてシタールが使われたのは1965年、ビートルズの「ノーウェジアン・ウッド」だといわれている。彼らが主演した2作目の映画である「ヘルプ!」にはインド料理店のシーンがあるのだが、そこで演奏されていたシタールにジョージが興味を持ったことがそもそものきっかけだった。

このシタールの導入について、完成された楽曲として公表したのは確かにビートルズが最初なのだが、それよりも先にレコーディングで使用したのはヤードバーズだったという話もある。さすがにそこはイギリス、映画に出てきたようなインド料理店も数多く存在し、シタールを演奏できるインド人など実はそれほど珍しいというわけでもなく、ラジオではインド音楽を放送する番組も制作されていた。こうしたなか、シタールを導入してみたら面白そうだと考えたミュージシャンも当時少なからずいたということなのだろう。

ともあれ、ビートルズがシタールを導入したことの影響は大きく、ローリング・ストーンズやキンクスなど他のグループも次々とシタールサウンドを取り入れるようになり、それらはやがて「ラーガ・ロック」と呼ばれる大きな潮流となっていった。さらにモンタレー・ポップ・フェスティヴァルやウッドストックにおけるラヴィ・シャンカルのシタール演奏が当時のロックミュージシャンやロックファンに与えたインパクトは計り知れない。

このようにシタールサウンドが広く受け入れられた背景には1950年代のビート・ジェネレーションと呼ばれた人たちの存在があったと思われる。彼らは西洋の物質文明を否定し、老荘思想や仏教などの東洋的な思想や自然観に共感したが、こうした彼らの存在は1960年代後半のヒッピームーヴメントの先駆けであり、当時の若い世代が東洋的なものを受容するための意識の変化を準備したと言えるだろう。

この1960年代に多忙なセッション・ミュージシャンとしてあっちこっち飛び回っていたヴィンセント・ベルは、「ラーガ・ロック」流行のさなかにあってシタールを演奏する仕事も増えてきたのだったが、彼にとってシタールはとても面倒な楽器だった。チューニングも面倒、壊れやすい、場所を取るので保管に困るといったことだけでなく、直接床に座って弾かなければならないのがつらかったようだ。

「必要は発明の母」というわけで、そこで文句ばかり言っているだけでなく、なんとか問題を解決するべく工夫をこらすのがヴィンセント・ベルの面白いところ。彼はギターと同じチューニングで、ギターと同じように演奏しながらもシタールの音を出すことができて、ホーンなど他の楽器に負けないよう電気的に増幅できるものをということで、1961年のベルズーキ以来関わりのあるダンエレクトロとともにエレクトリック・シタールを開発してしまったのであった。このような、ギター自体に手を加えて音を変えるというのは当時の発想で、今ならモデリングやシミュレーターのような感じでソフト的にやってしまうところだろうけどね。
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