ネイサン・ダニエルとダンエレクトロ小史(8)

2019-10-10 17:28:30 | Dano Column
一九七四年、ネイサン・ダニエルは一家でハワイへ移り住むことになった。 ジェリー・ジョーンズはハワイでネイサン・ダニエルに会ったことがあるとのこと。彼はダンエレクトロのコピーモデルを製作し続けてきたが、二人してじっくりとダンエレクトロのあらゆるギターのこと、使用されたあらゆる材のことなど話したそうだ。しかし、それでもダンエレクトロの独特なボディシェイプの起源についてははっきりとはわからなかったらしい。彼は「もしそのデザインが一九五〇年代のあるディナーの席でナプキンの上に書き留められていたとすれば、その時代に戻って、ナプキンを手に入れたい!」と語ったという。

ジェリー・ジョーンズはミシシッピ州のジャクソンに生まれ、一九八〇年代の初めからナッシュヴィルでギターの製作と販売を始めた。当初は自身のデザインしたカスタムギターを販売していたのだが、ある客の一人がひどい状態のシルバートーンを修理のために持ち込んでから仕事の方向が大きく変わっていった。

彼はもともとダンエレクトロのギターに関心を持っていたが、リペアのために持ち込まれたギターを見て、自分がつくりたいのはこういうギターなのだと改めて思ったらしい。それから一九八四年にプロトタイプの製作を始めたのであったが、実はこれは未完のままとなっており、ピックアップのテスト用に使用されていたとのこと。

しばらくして別の客からロングホーンの六弦ベースの注文を受けたことを契機として、全面的にダンエレクトロのコピーモデルを製作するようになったのだという。ジェリー・ジョーンズのギターはオリジナルと同様に、トップとバックにメゾナイトを使用しながらも、ネックはメイプルであったり、調整可能なトラスロッドが入っていたり、ブリッジも一弦ずつ調整できるサドルにしていたりなど、現代的な仕様になっている。

彼は二〇一一年に引退し、ナッシュヴィルの工場を閉鎖した。

ネイサン・ダニエルは後年、いくつかのインタビューに応えているが、その中で、ダンエレクトロのギターに使用されたリップスティック・ピックアップやメゾナイトボディ、そしてフラットな指板などが醸し出す、得も言われぬサウンドの謎を聞き出そうとするインタビュアーに、大笑いをしながら「ナンセンス」と答えたという。

ネイサン・ダニエルによればダンエレクトロのサウンドが偶然の賜物であるとか超自然的な作用だとか言われるのはクリエイターとして恥ずかしいことなのだという。ネイサン・ダニエルが言うには、自分には合理的な裏付けがあり、技術的なノウハウもあり、何度も素材を検討し、試行錯誤しながら、そのうえでギターの製作をしたのだという。それが結果的に魔法の薬や呪文によって生まれたものに見えたとしても、である。

ネイサン・ダニエルはハワイではギターを含め、音楽関連の事業は一切していないが、ハワイ諸島間を航行するフェリーが悪天候で欠航とならないよう、転覆防止用のアウトリガーを発明したことが知られている。この発明は投資家の支持を得ることはできなかったが、最後まで発明家であったネイサン・ダニエルらしいエピソードであるといえるであろう。

一九九四年十二月二十四日、八十二歳でネイサン・ダニエルはこの世を去った。死因は心臓発作であった。

ネイサン・ダニエルはあるインタビューに答えて次のように言った。

「私は初心者でも手軽に買えて、演奏できる高品質のギターをつくることができてよかったと思っている。このことは楽器を継続していけるようにたくさんのプレイヤーを励ましたと考えたい」

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-01-18 22:24:35
素晴らしい記事でした。
読み易く纏めて頂いて、ありがとうございます!
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Unknown (たくろ)
2020-01-21 20:35:34
ありがとうございます。
今後も書き加えることができるように
情報収集に努めたいと考えています。
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