動画で楽しむDano(426)

2024-06-02 18:55:23 | Dano Movies(洋)
DOGS - Little Johnny Jet (TV 1983)


フランスのパンク、といっても別にダフト・パンクのことを書きたいわけではなく、フランスで発生したパンクロック・ムーヴメントのことをあれこれと書いていこうと思っているのだが、まずはそもそもパンクロックとは何かといったことから始めなければならないだろう。

いわゆるパンクロックといえば、50年代のロックンロールと60年代のガレージロックの影響を受け、シンプルだがハードで攻撃的なサウンドと社会的不満をぶちまけるような歌詞、若者たちの体制への反抗を示すような過激なパフォーマンスを特徴としたもの、ということになるだろうが、パンクロックという呼称自体は60年代からガレージ系のロックバンドに対してすでに使用されており、その先駆的な存在としてはMC5やストゥージズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズなどが挙げられる。70年代の半ばから、これらのバンドに影響を受け、ニューヨークのライブハウスであったCBGBを拠点として活動するようになっていたテレヴィジョンやパティ・スミス、ラモーンズなどをニューヨーク・パンクと呼び、スタイルとしてのパンクはここから始まるとされる。

このニューヨーク・パンクの影響がイギリスに波及し、セックス・ピストルズやザ・クラッシュが登場し、ロンドン・パンクとして大きな文化現象になっていくのは誰もが周知のことであるが、実はこの前に、一見するところパンクとはあまり縁のなさそうなフランスにおいてもパンク・ムーヴメントはすでに始まっていたというのである。

フランスにおけるパンク・ムーヴメントは1970年の初頭にはルー・リードのファンたちによって動き始めていた。マーク・ツェルマティとミシェル・エステバンの二人はレコードレーベルやショップを運営し、ロック雑誌を発行したり、イベントを企画したりするようになっていた。ヨーロッパで最初のパンクロック・フェスティバルはフランスのモン・ド・マルサンで1976年に開催されたという。フランスにおけるパンク・バンドとしてはメタル・アーベインやスティンキー・トイズなどがその最初期に登場した。

マーク・ツェルマティはこう語っている。
「本当のパンク・ムーヴメントはニューヨークで始まり、その影響がイギリスよりも先にパリにやってきたのは、僕らがニューヨークと本当につながっていたからなんだ」

マーク・ツェルマティは、マルコム・マクラーレンに「パンク」という用語を敢えて使うように説得したのだという。マルコム自身は実は「パンク」ではなく「ニュー・ウェーヴ」のほうを好んでいて、こちらを使いたがっていたらしい。

フランスがパンク・ムーヴメントに与えた影響としてはもう一つあって、それはマルコム・マクラーレンがまだ大学生だった頃にさかのぼる。1968年のこと、パリで起こった5月革命である。マルコムはパリにいる友人からその知らせを受けたが、自らはパリに行きたくても行けず、ただ、自分が通っていた大学を占拠した。マルコムはこの頃、5月革命を起こしたパリの学生たちに影響を与えたギィ・ドゥボールの著書「スペクタクルの社会」から影響を受けており、シチュアシオニスト・インターナショナルのイギリス支部とイギリスの左翼活動家が合流してできた、反芸術的な芸術運動を展開する「キング・モブ」のメンバーであった(「オックスフォード・ストリートの亡霊たち」にその影響がうかがえる)。

ギィ・ドゥボールの主張は例えば次のようなものである。
「近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの厖大な蓄積として現れる。かつて直接的に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった」

そこで彼らが行うのが、「転用」あるいは「剽窃」とされる detournement という技法である。これはメディアによる既成のイメージをそれを批判する目的のために逆に利用することである。あるいはディック・ヘブディジのように「ブリコラージュ的戦術」といったほうがわかりやすいかもしれない。こうした技法がマルコムを通じてパンク・ムーヴメントにおけるファッションやグラフィック・デザインに顕著に現れた。より具体的に言えば、安全ピンやチェーンをアクセサリーとして身につけるというのもそうしたありかたの一つであるし、もともとは精神病患者を拘束するための「拘束衣」をファッション化するというのもそうであり、反体制のイメージで商業的な成功を収めるというのもそのねじれたありかたの一つであろう。

そんなわけで、フランスの5月革命から10年ほど経過したイギリスで、その思想がマルコム・マクラーレンによってパンク・ムーヴメントに流入したのである。

さて、ここからようやく動画の説明になるのだが、この動画はドッグスというバンドが1983年にTV出演したときの映像である。彼らは1973年にフランスのルーアンで、ボーカル&ギターのドミニク・ラブベを中心に結成された。ヴルヴェット・アンダーグラウンドやフレイミン・グルーヴィーズの影響を受けたガレージ系、パブ・ロック系、パンク・ニュー・ウェーヴ系のバンドである。2002年にドミニク・ラブベが45歳の若さで亡くなるまで、メンバーチェンジを繰り返しながら10枚のアルバムをリリースした。

この動画では彼らが1983年にリリースしたアルバム「Legendary Lovers」に収録された「Little Jhonny Jet」が演奏されており、当時のメンバー、アントワーヌ・マッシー・ペリエがダンエレクトロのギターリンを弾いている。
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動画で楽しむDano(423)

2024-02-17 18:53:47 | Dano Movies(洋)
Johnnie Carwash - I'm A Mess


Johnnie Carwash は2018年にフランスのリヨンで結成されたガレージ・ポップ・トリオである。ギター&ボーカルがマノン、ベースがバスティアン、ドラムがマキシムで、彼らはジャムセッションを通じて知り合い、バンドを結成した。ファーストアルバムをレコーディングするためにアルコールを違法に売りさばいて、費用を捻出したそうだ。

Johnnie Carwash という、ちょっと変わったバンド名のためか、その由来については幾度となくインタビューでも質問されているようだが、ジョニーという響きがクールに思えたということ、そこからジョニー・アリディ(Johnny Halliday)を連想、フランキー・コスモス(Frankie Cosmos)が好きだったこと、女性らしくしたかったということで、ジョニーの綴りが Johnnie となったようだ。そして、いつもリハーサルをしていた場所が洗車場の隣だったことから Carwash となったそうだ。

影響を受けたミュージシャン、バンドとしてはフランキー・コスモスのほかにフィドラーやニルヴァーナ、あとはよくわからないが、ジョニー・マフィア、サテライト・ジョッキー、ケヴィン・モービーといった名前が挙がっている。サウンドはローテクでガレージであり、何曲かはシューゲイザー風もあるといった感じ。

上の動画は「I'm a Mess」のプロモーションビデオで、マノンがダンエレクトロのDC3、ベースのバスティアンがロングホーンベースを弾いている。彼らがダンエレクトロを使うのはやはりフランキー・コスモスがダンエレクトロのU1をメインに使っているからだろうと思う。

マノンのダンエレ女子ぶりを示す画像がある。彼女がダンエレクトロのDC3、67HEAVEN、DEAD ON 67の3本をリック・ニールセンばりに肩から下げている。



DC3は2000年頃に発売されたモデルで、ショートホーンボディに3つのリップスティックピックアップが搭載され、その組み合わせを Select-O-Matic で選ぶことができるのが特徴である。

67HEAVEN は2013年に発売されたモデルで、オリジナルで言えば Hawk とか Dane A と呼ばれるモデルのリイシューである。フレット数が21まであるのと、サドルが各弦毎に調整できるタイプになっているのが特徴である。

DEAD ON 67 は2009年に発売されたホーネットシェイプのギターで、一見するとコーラルのホーネットに忠実に見えるが、細かいところを見ると、ボディエンドにくぼみがあったり、コントロール・ノブが4つだったり、ピックアップ切替のトグルスイッチの位置だったりがシルバートーンの1452の仕様になっている。
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動画で楽しむDano(422)

2024-02-09 18:56:27 | Dano Movies(洋)
John Mellencamp Love and Happiness


ジョン・メレンキャンプといえば、私の世代では、彼がまだジョン・クーガーを名乗り、「ジャック&ダイアン」で全米№1ヒットを獲得し、大ブレイクした頃を思い出すだろう。1982年のことだ。後になって、この曲のアレンジをミック・ロンソンが手伝っていたこと、レコーディングにもギタリストとして参加していたことを知り、あのギターはなるほどミック・ロンソンか、と思った次第。

ギターをかき鳴らし、シンプルでストレートに激しくロールする、彼のようなスタイルが「ハートランド・ロック」としてカテゴライズされていたことを私は後になって知るのだが、これは、労働者にフォーカスした、シンプルにしてルーツ・ミュージックに根ざしたロックであり、失業や町の衰退、困難な人生における幻滅や郷愁を歌い、単なる娯楽を超え、音楽には社会的、共同体的な目的があると考えるロックなのだそうだ。そのカテゴリーにはボブ・シーガーやブルース・スプリングスティーン、トム・ペティといったミュージシャンたちが含まれていて、なるほどメレンキャンプはウィリー・ネルソンやニール・ヤングとともに「ファーム・エイド」を企画し、現在も支援活動を続けているわけだから「ハートランド・ロック」の理念に忠実と言えるだろう。「ファーム・エイド」とは、ボブ・ディランの発言「アメリカにいる農家の人たちに対しても(ライブエイドと)同じことができたら素晴らしいと思わないか?」を一つのきっかけとして、経済的に危機的な状況にあるアメリカの農民たちを支援するチャリティー・コンサートで、1985年から現在まで続いている。

そんなメレンキャンプであるが、彼は1951年に生まれ、14歳の頃には最初のバンドを結成した。1972年にビンセンズ大学に入学するも、薬物とアルコールに溺れる日々を過ごしたという。大学を卒業する前に薬物とアルコールを断ち、ミュージシャンを目指しニューヨークへ向かう。1976年にジョニー・クーガー名義でアルバムをリリースしたが、商業的には失敗。以後、紆余曲折ありながら1980年頃から少しずつ楽曲が売れるようになり、1982年5枚目のアルバム「American Fool」で大ブレイクした。その後、1983年からはジョン・クーガー・メレンキャンプとして活動するようになり、オルタナティブ・カントリーの始まりと言われる8枚目のアルバム「Scarecrow」をリリースした。1991年からは本名のジョン・メレンキャンプとなり、11枚目のアルバム「Whenever We Wanted」をリリースした。このアルバムでは彼の原点であるロックンロールに立ち返ることをテーマにしていたそうだ。

上の動画はこのアルバムの最初の曲「Love and Happiness」のプロモーション・ビデオで、バックバンドのギタリストがダンエレクトロのショートホーンらしきギターを弾いているのが見える。このギタリストが誰かといえば、長年メレンキャンプのバンドで活動していた Mike Wanchic だろう。この映像ではヘッドの部分がはっきり見えないので判断が難しいが、1991年頃であれば、ダンエレクトロではなく、ジェリー・ジョーンズかもしれない。



実際 Mike Wanchic はジェリー・ジョーンズのUシェイプの12弦ギターを弾いている画像もあることから、その可能性は高いと思われる。

Mike Wanchic で検索してみると、楽器のオンラインマーケットプレイスである Reverb でショップを立ち上げ、彼がレコーディングで使用した機材を販売しているとのことだったが、現在そこには何も出品されていなかった。

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動画で楽しむDano(419)

2024-01-17 19:02:23 | Dano Movies(洋)
The Move | I Can Hear the Grass Grow (Live, 1966)


ザ・ムーヴは1965年、バーミンガムで結成された。中心となったメンバーは「目にした楽器はすべてマスターする」こととした男、ロイ・ウッドである。彼はマルチ・プレイヤーとして知られているが、彼以外のメンバーである、カール・ウェイン、トレヴァー・バートン、エース・ケフォード、ベヴ・ベヴァンらも、バーミンガムですでにバンド活動をしていて、全員がすぐれた演奏能力を持ち、リード・ボーカルを担うことができた。

ザ・ムーヴは結成当初はザ・フーのようなグループになることを目指していて、モータウンやロックンロールを演奏し、その後、バーズのようなアメリカ西海岸の音楽を演奏するようになっていった。そんな彼らは同じバーミンガム出身のバンドであるムーディー・ブルースのマネージャーをしているトニー・セクンダとマネジメント契約をし、ロンドンへ進出、ザ・フーの後釜としてマーキークラブで毎週演奏する仕事を得ることとなった。トニーはロイ・ウッドにもっとオリジナリティのある楽曲を書くよう要求し、その結果生まれたポップでキャッチーな楽曲の数々はイギリスのヒットチャートを賑わすこととなった。しかし、どういうわけかアメリカでは受け入れられず、アメリカでの、さらには全世界的な成功はザ・ムーヴ解散後の発展形としてのエレクトリック・ライト・オーケストラを待たねばならない。もっとも、そのときにはロイ・ウッドはバンドを去っていたのだが。

さて、上の動画は、「X」のタイムラインに流れてきたもので、私はザ・ムーヴがダンエレクトロを使用していたことなどまるで知らなかったので驚いてしまった。おそらくはトレヴァー・バートンらしき人物がダンエレクトロの3021を弾いている。トレヴァーさんはザ・ムーヴに加入する前はダニー・キング・アンド・メイフェア・セットというグループに在籍していたそう。このバンドはシングルを数枚リリースしたが、それらはバーミンガム以外で知られることはなかったという。

この動画で演奏されているのは「I Can Hear the Grass Grow」という楽曲で、これは彼らの2枚目のシングルである。このタイトルの由来が興味深いのだが、トニー・セクンダとも交流のあった写真家でフランク・ザッパやローリング・ストーンズ、デヴィッド・ボウイといったロックスターを撮影したこともあるロバート・デヴィッドソンが見知らぬ男から受け取った手紙に書いてあったというのである。「私がラジオでポップ・ミュージックを聴いているわけは、私の住んでいるところが草が伸びる音が聞こえてくるくらいひっそりと静かだからなんだ」

この曲はドラッグソングだと言われることが多く、本人はそれを否定していたそうだが、そう言われるのも無理はないと思うけどね。
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動画で楽しむDano(418)

2023-12-21 21:23:27 | Dano Movies(洋)
Sponge - "Molly (16 Candles)" - official video


オルタナティブ・ロックなどという呼称がいつごろから確立されたのかは不明にして知らないのだが、私の記憶が確かなら、あのニルヴァーナも出てきた当時は「メタルの新しい形、新種」として伊藤政則あたりが紹介していたような気がするので、そもそも日本では、そんな曖昧模糊とした状況だったかと思う。

そんなわけで、スポンジなのだが、このバンドのことは私は全く知らなかった。90年代はロックから遠ざかっている時期だったせいもあるが、このスポンジというバンド自体、日本ではほとんどプロモーションされていなかったようなので、私が知らなくても不思議はないといったところ。

スポンジは、ギターにマイク、ベースにティムのクロス兄弟とヴォーカルのヴィニー・ドンブロスキーによって1992年、デトロイトで結成された。彼らのサウンドについては「うわべは薄いメタルの、クラシックなハードロックとパンチの効いたオルタナティヴ・ポップの多彩なブレンド」と評されたことがあるらしいが、何が言いたいのかよくわからない。いわく言い難し。それがオルタナティヴだということか。このバンドについていろいろ調べていたら、オリジナルメンバーのマイク・クロスが2022年の3月に57歳で亡くなっていたことがわかった。彼もまた私と同世代だったというわけだ。

上の動画は彼らの3枚目のシングル曲「Molly」で、そこそこヒットもしたらしい。この動画では、おそらくジョーイ・マッツォーラの方だと思うが、ダンエレクトロのコンバーチブルを弾いている。あんまりじっくりと見ることができないが、ノブが交換されているのがわかる。
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動画で楽しむDano(417)

2023-11-22 18:48:33 | Dano Movies(洋)
Listen to the Flower People


1984年の映画「This Is Spinal Tap」はスパイナル・タップという架空のバンドのストーリーを、ドキュメンタリー的な手法でもっともらしくでっちあげつつ、当時のロックスターを取り巻く業界のあれやこれやを戯画化した作品である。監督・脚本はロブ・ライナーで、これが彼の監督デビュー作となる。

さて、スパイナル・タップといえば、「目盛りが11まであるアンプ」のエピソードがとりわけ有名であるが、このバンドは一応、デヴィッド・セントハビンズ(演じているのはマイケル・マッキーン)とナイジェル・タフネル(演じているのはクリストファー・ゲスト)という二人の出会いから始まり、1964年にはビート・バンド風、1965年にはサイケデリック・ロック風、そして1980年代にはハード・ロック風といった感じで、時代により音楽性を変化させていった歴史を持っている。

そこでこの動画であるが、これはそのサイケデリック・ロック期の楽曲で「Listen to the Flower People」が演奏されている。この映像も音楽もいかにもフラワーな雰囲気がいい感じなのだが、ここでナイジェル・タフネルが弾いているのがダンエレクトロのダブルネック、3923なのである。しかしながらここで聞こえてくるのはエレクトリック・シタールの音だったりするのである。
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動画で楽しむDano(416)

2023-11-19 19:45:17 | Dano Movies(洋)
Haim - The Steps (Guitar Tutorial with Danielle Haim)


この動画でギターの手ほどきをしているのは、ハイムのヴォーカル、ダニエル姐さんである。ハイムはLA出身のガールズグループで、三人のメンバーは姉妹なのである。音楽一家で小さい頃から楽器を演奏したり、歌ったりしていたそうだが、2012年にデビュー。イギリスのチャートで1位になったり、グラミー賞にノミネートされたり、テイラー・スウィフトのワールドツアーに同行したりと順調な活動を経て現在に至っている。

ベースを担当している長女のエスティはUCLAで民族音楽学の学位を取得したそうで、三女のアラナは映画「リコリス・ピザ」で主演するなど、女優としても活躍している。

ここでダニエル姐さんが弾いているのは自分たちの楽曲である「The Steps」のリフで、弾いているギターはシルバートーンの1300というコッパーフィニッシュの1ピックアップのモデルである。このギターは三女のアラナが弾いていることもあり、姉妹で仲良く1本のギターを分かち合っている様子がうかがえて何とも微笑ましい。
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動画で楽しむDano(415)

2023-11-08 18:59:35 | Dano Movies(洋)
Coldplay - God Put A Smile Upon Your Face (Official Video)


ちょっと前に来日公演を行ったばかりのコールドプレイは、UCL出身のメンバーによって1997年に結成され、1998年にデビューした。
現在まで9枚のアルバムをリリースしていて、そのすべてが全英1位となったり、また、グラミー賞など様々な賞を歴史上最も多く受賞したグループとも言われたりと、そうした意味でも彼らの音楽性は高く評価されているといったところだが、残念ながらこの私ときたら、彼らの音楽を今までほとんど聴いたことがなかったのである。縁がなかったといえばそれまでだが、ウェルメイドによくまとまった音楽がそれほど好きではないせいもある。

2002年にリリースされたアルバム「A Rush of Blood to the Head」に収録され、シングルにもなった「God Put A Smile Upon Your Face」のプロモーション・ビデオで、ギターのジョニー・バックランドがダンエレクトロの59DCを弾いている。
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動画で楽しむDano(414)

2023-08-05 19:35:54 | Dano Movies(洋)
What It Is - Nina Hagen & Snap Her live at Whisky a Go Go in 1995


この映像はニナ・ハーゲンが1995年にウイスキー・ア・ゴー・ゴーで行ったライブを収めたものである。それはそうであるのだが、何か意図があってのことなのか思ってしまうくらい、画質・音質がひどすぎて何が何だかよくわからない。この時期はスナップ・ハーというパンクバンドがバックバンドとして関わっていて、リズムギターのアンディ・ベルトラモ=シェイがシルバートーンの1301を弾いているのが見える。

ウイスキー・ア・ゴー・ゴーはアメリカ最初のディスコとして1964年に設立された。ディスコなので、もともとは録音されたものを流すはずだったのだが、バンド演奏とその周りをミニスカートとブーツの女の子が踊って盛り上げる、というスタイルを生み出したことで知られている。いわゆる「ゴーゴーダンス」というやつだ。60年代後半にはドアーズやバーズ、バッファロー・スプリングフィールドといったグループが専属的なバンドとして出演していたが、70年代後半になるとラモーンズやブロンディ、トーキング・ヘッズなどのパンク/ニュー・ウェーヴのグループが出演するようになった。80年代には衰退し、閉鎖されたりもしたが、86年に営業を再開、この時期はガンズ・アンド・ローゼズやメタリカなどのハードロックやヘヴィ・メタルのバンドを輩出した。90年代に入るとグランジのムーヴメントの中心となって、ニルヴァーナなどが出演した。ウイスキー・ア・ゴー・ゴーとはこのような歴史を持つ会場なのである。

スナップ・ハーは1993年にシュトゥットガルトで結成されたパンクバンドで、ラモーンズやバズコックスから影響を受けたという。すぐに活動の拠点をロサンゼルスに移し、2003年まで活動した。ニナ・ハーゲンのバックをやっていたのは1995年から1996年の間くらいのようだ。彼女たちのファッションからわかる通り、リーダー的存在であったアンディ・ベルトラモ=シェイはバンド活動の傍ら、SM小説を書いたりなどしていて、次第にバンドよりも書くことの方へ活動の重心が移ったことによって、バンドを解散することにしたそうだ。とはいえ、それから何年も経過し、今もバンド活動はしているようである。そこでもダンエレクトロのギターを愛用しているとのこと(シルバートーンの1301は手放してしまったそうだ)。Facebookへの投稿から彼女のこうした近況が垣間見える。

さて、ニナ・ハーゲンであるが、彼女については東ドイツが生んだアヴァンギャルド姐さんとしてあまりにも有名なので、敢えてここに書くこともないであろうと思う。
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動画で楽しむDano(413)

2023-03-25 20:34:52 | Dano Movies(洋)
Måneskin - ZITTI E BUONI (Official Video – Sanremo & EUROVISION 2021 Winners)


今から7年ほど前、この「動画で楽しむDano」において、ユーラシア大陸を周遊しながらダンエレクトロ・プレイヤーを探すという企画をやったことがあって、イタリアのミュージシャンたちもいくらかは紹介したのだったが、その頃はこのマネスキン、中学生くらいの子供たちがようやっとバンドを結成したかしないかといったところだったわけで、私が見つけられなかったのも当然のことだったわけだ。

さてこのマネスキン、モーネスキンと表記されることもあるが、どうやらマネスキンに統一しようという動きがあるそうなのでそれに従うが、イタリアのロックバンドである。2021年にサンレモ音楽祭やユーロビジョンで優勝してからイタリアのみならず全世界へ知られるようになり、昨年には初来日もして、日本でも話題になったが、メンバーはまだ20代前半の若いバンドなのである。彼らの音楽性はロックにラップやヒップホップ、レゲエやファンクなどいろいろな様式が混ぜ合わされたもの。

このバンドの女性メンバー、ヴィクトリア・デ・アンジェリカがダンエレクトロのロングホーンベースを複数本所有し愛用していることから、ダンエレクトロがそれまで楽器に興味のなかったような人にまで注目されるようになった様子は、 Twitter の書き込みなどからもうかがい知れたくらいだったので、本来ならもっと早くこのブログで取り上げるべきだったのだろうが、ここ数年は更新を怠けていたので仕方のないところなわけで。
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