Danecaster の謎が解ける

2024-08-01 17:39:22 | Dano Column
ジム・ウォッシュバーンという、ダンエレクトロについて大変詳しい人がいるのだが、彼の Facebook に面白い記事があったので紹介することにしたい。

その記事というのは、以下の画像でジェフ・ベックとロッド・スチュワートが持っているギターに関するものである。



二人が持っているギターだが、一見、フェンダーのテレキャスターかと思いきや、ネックがおかしなものになっていることに気がつくだろう。このおかしなネック、実はダンエレクトロのベルズーキという12弦ギターのものなのだが、なぜこんなことになってしまったのかは、ギターマニアの間でもときどき話題になることがある。フェンダーとダンエレクトロではスケールが違うから、ネックを取り換えてオクターブチューニングが合うのかといったことが議論されることもあるが、ネックを取り換えた理由については、フェンダーのラジアスのきつい指板よりはダンエレクトロのフラットな指板のほうが弾きやすいからだろうという見解でほぼほぼ一致している。

ジムさんの記事に戻ると、実はこのギターはロン・ウッドが持っていたものだったということが明かされている。さらに驚くべきことに、このギターはロン・ウッドが The Birds というバンドに在籍していた頃に、ロンドンのイーリングにあったジム・マーシャルの店でセッティングしたものだったということも記されているのである。そしてこのギターは当時のイギリスではあまりにユニークだということで、当時の音楽雑誌「Beat Instrumental」に記事が掲載されるほどであった。「BIRD HAS A “DANECASTER” 」と見出しのついた記事を以下の画像で確認できるが、この記事では、誰が命名したのか、ロン・ウッド所有のギターのことを Danecaster と呼んでいる。



さて、ここで横道にそれるが、「Beat Instrumental」という雑誌について触れておきたい。これは1963年5月に「Beat Monthly」として創刊された雑誌で、誌名は18号から「Beat Instrumental Monthly」、37号から「Beat Instrumental」に変更となった。ギターやアンプ、エフェクターといった楽器や機材のレビュー、ミュージシャンへのインタビュー、レコード評、音楽に関する最新ニュースなどで構成される、今の日本で言えば「ギターマガジン」のような雑誌である。1960年代だと表紙は以下の画像のような感じである(「Dano研」的にロングホーンを弾くグラハム・ナッシュとショートホーンを弾くピート・タウンゼントが表紙になっているものを敢えて選んでおいた)。



ロン・ウッド所有の Danecaster とジム・マーシャルとの関係など、ジムさんの記事によって新たな発見があったが、そうなるともう一つの Danecaster のことが気になってくるというもの。以下の画像でピート・タウンゼントがアンプのキャビネットに突き刺しているギターのことである。



テレキャスターのボディにコークボトルヘッドのダンエレクトロのネックを取りつけたこのギターも、おそらくはジム・マーシャルの店でセッティングされたものではないだろうか。ピートとマーシャルとの関係や今回のジムさんの記事からすると、その可能性は非常に高くなったと言えるだろう。
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動画で楽しむDano(427)

2024-07-27 20:17:36 | Dano Movies(洋)
Buzzcocks - Promises (Official Video)


バズコックスのメンバーがどんなギターを使っていたかなんて気にしたこともなかったので当然知らなかったのだが、ベースのスティーヴ・ガーベイがロングホーン・ベースを弾いている古いプロモーション映像(曲は彼らの7枚目のシングル「Promises」)を見つけてびっくりした。

バズコックスはイギリスのパンク・ロック・バンドであるが、その結成は、ボルトン工科大学の学生だったハワード・デヴォートがヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「シスター・レイ」を演奏するためにメンバーを募集し、同じ大学に通うピート・シェリーがそれに応じたことから始まる。

彼らは1976年2月にNME誌に掲載されたセックス・ピストルズの記事を読み、わざわざロンドンまで見に行き、大いに触発され、ピストルズをマンチェスターに呼ぼうと思いつく。セックス・ピストルズのマンチェスターでの最初のライブは40人ほどしか集客できなかったそうだが、観客の中にはバーナード・サムナーやモリッシーがいて、その後マンチェスターがイギリスの音楽シーンの中心地となっていく下地をつくったとされている。

バズコックスは1976年8月にマルコム・マクラーレンが主催した100クラブ・パンク・フェスティバルに出演し、UKツアーも行うなど、イギリスのパンク・シーンの中で次第に存在感を高めていくことになる。そんな中で自身で立ち上げたレーベルから4曲入りのEP「スパイラル・スクラッチ」をリリースし、独立レーベルを起こした最初のパンクバンドとなったものの、バズコックス結成を呼びかけたハワードがうるさい音楽に疲れ、大学に復学するためにバンドを脱退してしまったため(ハワードはその後、マガジンを結成することとなる)、ピート・シェリーを中心に活動を続けていくこととなった。

彼らはその後、ピート・シェリーを中心に、スティーヴ・ディグル、スティーヴ・ガーベイ、ジョン・マーの4人で1981年にいったん解散するまでに3枚のアルバムをリリースした。再結成は1989年、2018年には中心メンバーのピート・シェリーが亡くなってしまうが、メンバーチェンジをしながらも現在に至るまで活動している。
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動画で楽しむDano(426)

2024-06-02 18:55:23 | Dano Movies(洋)
DOGS - Little Johnny Jet (TV 1983)


フランスのパンク、といっても別にダフト・パンクのことを書きたいわけではなく、フランスで発生したパンクロック・ムーヴメントのことをあれこれと書いていこうと思っているのだが、まずはそもそもパンクロックとは何かといったことから始めなければならないだろう。

いわゆるパンクロックといえば、50年代のロックンロールと60年代のガレージロックの影響を受け、シンプルだがハードで攻撃的なサウンドと社会的不満をぶちまけるような歌詞、若者たちの体制への反抗を示すような過激なパフォーマンスを特徴としたもの、ということになるだろうが、パンクロックという呼称自体は60年代からガレージ系のロックバンドに対してすでに使用されており、その先駆的な存在としてはMC5やストゥージズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズなどが挙げられる。70年代の半ばから、これらのバンドに影響を受け、ニューヨークのライブハウスであったCBGBを拠点として活動するようになっていたテレヴィジョンやパティ・スミス、ラモーンズなどをニューヨーク・パンクと呼び、スタイルとしてのパンクはここから始まるとされる。

このニューヨーク・パンクの影響がイギリスに波及し、セックス・ピストルズやザ・クラッシュが登場し、ロンドン・パンクとして大きな文化現象になっていくのは誰もが周知のことであるが、実はこの前に、一見するところパンクとはあまり縁のなさそうなフランスにおいてもパンク・ムーヴメントはすでに始まっていたというのである。

フランスにおけるパンク・ムーヴメントは1970年の初頭にはルー・リードのファンたちによって動き始めていた。マーク・ツェルマティとミシェル・エステバンの二人はレコードレーベルやショップを運営し、ロック雑誌を発行したり、イベントを企画したりするようになっていた。ヨーロッパで最初のパンクロック・フェスティバルはフランスのモン・ド・マルサンで1976年に開催されたという。フランスにおけるパンク・バンドとしてはメタル・アーベインやスティンキー・トイズなどがその最初期に登場した。

マーク・ツェルマティはこう語っている。
「本当のパンク・ムーヴメントはニューヨークで始まり、その影響がイギリスよりも先にパリにやってきたのは、僕らがニューヨークと本当につながっていたからなんだ」

マーク・ツェルマティは、マルコム・マクラーレンに「パンク」という用語を敢えて使うように説得したのだという。マルコム自身は実は「パンク」ではなく「ニュー・ウェーヴ」のほうを好んでいて、こちらを使いたがっていたらしい。

フランスがパンク・ムーヴメントに与えた影響としてはもう一つあって、それはマルコム・マクラーレンがまだ大学生だった頃にさかのぼる。1968年のこと、パリで起こった5月革命である。マルコムはパリにいる友人からその知らせを受けたが、自らはパリに行きたくても行けず、ただ、自分が通っていた大学を占拠した。マルコムはこの頃、5月革命を起こしたパリの学生たちに影響を与えたギィ・ドゥボールの著書「スペクタクルの社会」から影響を受けており、シチュアシオニスト・インターナショナルのイギリス支部とイギリスの左翼活動家が合流してできた、反芸術的な芸術運動を展開する「キング・モブ」のメンバーであった(「オックスフォード・ストリートの亡霊たち」にその影響がうかがえる)。

ギィ・ドゥボールの主張は例えば次のようなものである。
「近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの厖大な蓄積として現れる。かつて直接的に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった」

そこで彼らが行うのが、「転用」あるいは「剽窃」とされる detournement という技法である。これはメディアによる既成のイメージをそれを批判する目的のために逆に利用することである。あるいはディック・ヘブディジのように「ブリコラージュ的戦術」といったほうがわかりやすいかもしれない。こうした技法がマルコムを通じてパンク・ムーヴメントにおけるファッションやグラフィック・デザインに顕著に現れた。より具体的に言えば、安全ピンやチェーンをアクセサリーとして身につけるというのもそうしたありかたの一つであるし、もともとは精神病患者を拘束するための「拘束衣」をファッション化するというのもそうであり、反体制のイメージで商業的な成功を収めるというのもそのねじれたありかたの一つであろう。

そんなわけで、フランスの5月革命から10年ほど経過したイギリスで、その思想がマルコム・マクラーレンによってパンク・ムーヴメントに流入したのである。

さて、ここからようやく動画の説明になるのだが、この動画はドッグスというバンドが1983年にTV出演したときの映像である。彼らは1973年にフランスのルーアンで、ボーカル&ギターのドミニク・ラブベを中心に結成された。ヴルヴェット・アンダーグラウンドやフレイミン・グルーヴィーズの影響を受けたガレージ系、パブ・ロック系、パンク・ニュー・ウェーヴ系のバンドである。2002年にドミニク・ラブベが45歳の若さで亡くなるまで、メンバーチェンジを繰り返しながら10枚のアルバムをリリースした。

この動画では彼らが1983年にリリースしたアルバム「Legendary Lovers」に収録された「Little Jhonny Jet」が演奏されており、当時のメンバー、アントワーヌ・マッシー・ペリエがダンエレクトロのギターリンを弾いている。
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音楽やバンドを題材にしたマンガとその後の展開

2024-05-11 20:48:21 | Music Life
音楽やバンドをテーマにしたマンガの人気が楽器業界にも波及した例としては、ハロルド作石の「BECK」、かきふらいの「けいおん!」、最近では、はまじあきの「ぼっち・ざ・ろっく!」などが思い浮かぶ。実際、これらのマンガの人気が上昇するとともに、物語に共感し、主人公たちと同じようにギターを弾き、バンドを組みたいと思う少年少女たちが増え、登場人物が使用した楽器(主にギター)と同じタイプのものが売れるようになったり、こうした動きに合わせ、初心者を対象にしたリーズナブルなシグネチャーモデルがつくられたりもして、楽器業界は大いに盛り上がることになった。「ぼっち・ざ・ろっく!」に至ってはギターマガジン2023年8月号の表紙を飾り、特集記事も組まれたが、ギターマガジン史上、マンガやアニメの架空のキャラクターが表紙になったのはそのときが初めてなのだそうだ。

ハロルド作石の「BECK」は1999年から2008年まで月刊少年マガジンに連載された。平凡な中学生だったが、天性の歌声を持つコユキ(田中幸雄)と7つの弾痕があるレスポールですさまじいサウンドを紡ぎ出す南竜介を中心に、様々な挫折を経ながらも成長していくバンドの物語が描かれている。

かきふらいの「けいおん!」は2007年から2012年までまんがタイムきららに連載された。女子高の軽音楽部の物語であるが、音楽的なことよりも日常生活が中心に描かれたことによって、バンド活動を身近なものにし、バンド人口の裾野を広げた。主人公の平沢唯も平凡な中学生だったが、高校で何かやろうと思い立って軽音楽部に入り、実は音感に優れているなど、隠れた能力を発揮していく。

はまじあきの「ぼっち・ざ・ろっく!」は2018年からまんがタイムきららMAXで連載中である。いわゆる陰キャ、コミュ障である主人公後藤ひとりが、父親から借りたギターにのめりこみ、動画投稿サイトでは評判になるほどの演奏技術を獲得したものの、人前での演奏となるとその性格のゆえうまくできないというところからバンド活動を通じて成長していく物語が描かれている。

これらの作品に共通しているのは、特に何の取柄もない平凡な少年少女がバンド活動を通じて隠れた才能を開花させ、やがて奇跡を起こしていくといった物語であり、ギターを弾ければカッコイイ、バンド活動は楽しく、気心の知れた仲間でバンドを組めば小さな奇跡を起こせるかも、と誰しもを夢見させる。しかし、ギターを始めてみればすぐに気がつくが、マンガの主人公たちのようにすぐに弾けるようにはならないのである。そこで、弾けない原因はギターにあるのではないかと考えだすと、チューニングが気になり、弦高が気になり、ネックの反りが気になり、しかし何をどうすればいいのかがわからないとなると、弾いていてもだんだん楽しくなくなってきてしまい、楽しくなくなればそのうち弾かなくなってしまうというわけだ。弾かなくなれば弾けないままギターのことなどそのうち忘れてしまうだろう。ギター初心者が直面するこうした問題に、今までの音楽マンガは応えることはできなかったと思う。

そんな中、それまでとはちょっと変わった音楽マンガが現れた。2018年からビッグコミックで連載中の髙橋ツトム「ギターショップロージー」がそれである。この店名はAC/DCの楽曲「ホール・ロッタ・ロージー」から取られたものであり、店を切り盛りする兄弟の名前もアンガスとマルコムというくらい、AC/DC愛に溢れているのだが、このショップを舞台に、ギターの修理を頼みに来る客とギター自体の物語が展開していくのである。こうしたリペアショップを題材にすることによって、ギターを弾くというだけではなく、ギターの構造、修理やモディファイのノウハウ、ひいてはギターの歴史やギターが担ってきた音楽の歴史など幅広い内容を盛り込むことが可能となる。



「ギターショップロージー」は現在3巻まで単行本化されており、第3巻の第14話にダンエレクトロの59DCが登場する。オリジナルの3021とは違うのだが、例えばヘッドに角度がついている部分などはきちんと描かれていたりする。物語は、ギターは低い位置で構えるのがやはりカッコイイというところで、ジミー・ペイジやポール・シムノンの話をしているところにジミー・ペイジのそっくりさんが店に現れるというところから始まる。そっくりさんはダンエレクトロを持ってきて、ネック側のピックアップが断線して音が出なくなったのをすぐに直したいと言ってくる。ブリッジ側のピックアップだけで乗り切るのはどうかと言えば、「そんなのはダメに決まっている」と言っているのに、結局ブリッジ側のピックアップをネック側に移して、ネック側のピックアップだけで通すことにするというのはどういうことなのか、今一つよくわからないところではあるが、いずれにせよ、このそっくりさんは新潟県出身であることも含めてジミー桜井氏をモデルにしていることは言うまでもないだろう。名前を赤船平次というのだが、赤はレッドを鉛のLEDではなく赤のREDに読み換え、船は当然のことながらツェッペリン伯爵が開発した硬式飛行船から取られているわけで、このキャラクターは今後も登場するだろうし、その伏線も張られている。

ギターというものは安いものでなくても、弾いているうちにどこかしら調子が悪くなってくるもので、ジャックの接触が悪くなるだの、トーンやボリュームのノブにガリが出てくるだの、ボディをぶつけて傷つけてしまうだの、ネックが反るだの、ピックアップが断線して音が出なくなってしまうだの、色々ある。なのでギターを弾くようになったら、本来なら自らハンダゴテを手にして電装系のパーツを交換するくらいはできるようになっておくべきなのだが、それがかなわないのなら、近所にギターのことを相談できる店があるとよい。「BECK」、「けいおん!」、「ぼっち・ざ・ろっく!」をきっかけにギターを手にしたら、その次には「ギターショップロージー」を読んで、リペアショップとのつきあい方を学ぶのもよいかもしれない。
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動画で楽しむDano(425)

2024-03-20 18:31:32 | Dano Movies(邦)
【公式】ザ・ハイロウズ「サンダーロード」【25thシングル(2005/5/18)】THE HIGH-LOWS / Thunder Road


ザ・ブルーハーツを解散した甲本ヒロトと真島昌利が1995年に結成したのがザ・ハイロウズである。このバンドも2005年に活動を休止し、その後二人が結成したのがザ・クロマニヨンズで、このバンドは現在も活動中である。

ブルーハーツ結成以前の彼らはといえば、甲本ヒロトはザ・コーツ、真島昌利はザ・ブレイカーズとして東京モッズシーンの渦中にいた。ブルーハーツを結成する際、ベーシストとしてザ・コレクターズの加藤ひさしが誘われていたことは今ではよく知られているが、これは例えればジョン・レノンとキース・リチャーズにレイ・デイヴィスも加わったバンドみたいなものであり、このようなバンドがどうなっていったかは非常に興味深いところではあるが、実際は革ジャンを着たり、破れたジーンズをはいたりするのはイヤだということで加藤ひさしが加入を断ったことで実現はしなかった。仮に実現したとしてもおそらく長くは続かなかっただろうと思われる。

ブルーハーツは1987年にメジャーデビューして、「リンダリンダ」がヒットし、日本を代表するロックバンドとなっていったが、その当時、私は日本のロックにはほとんど関心がなかったので、彼らの動向を追いかけることはなかった。むしろザ・コレクターズのデビュー時に「ついに日本にもこうしたバンドが出てきたか」と喜びと嫉妬がないまぜになった感情を抱いたことを覚えている。

この動画はハイロウズ最後のシングル曲となった「サンダーロード」のPVであるが、ここで真島昌利は彼のトレードマークであるレスポール・ジュニアではなく、ダンエレクトロの59DCを弾いている。
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動画で楽しむDano(424)

2024-02-22 18:49:09 | Dano Movies(邦)
特にスピッツのファンというわけではないが、ここのところ草野マサムネがパーソナリティーをつとめているFM東京の「ロック大陸漫遊記」をよく聞いている。先日、というのは2月18日だが、この日は「シタールで漫遊記」ということで、シタール(エレクトリック・シタールも含む)が使われた楽曲の特集がなされたのである。エレクトリック・シタールといえば、ヴィニー・ベルがダンエレクトロと共同開発してコーラルブランドで製造・販売した楽器なので、このブログでもエレクトリック・シタールが使われた楽曲をとりあげてきたし、今回の漫遊記で流れた曲も全部ではないがもちろん紹介している。この番組では、草野マサムネがダンエレクトロと口にしたり、エレクトリック・シタールをカレーうどんに例えたりと、なかなかに面白いものだった。

今まで知らなかったのだが、スピッツにもエレクトリック・シタールを使用した楽曲があり、それは7枚目のシングル「君が思い出になる前に」で、プロモーションビデオではギターの三輪テツヤがジェリー・ジョーンズのエレクトリック・シタールを弾いている。

スピッツ / 君が思い出になる前に


この他にスピッツとダンエレクトロとの関りというところで何かないかと動画を色々漁っていると、14枚目のシングル「渚」のプロモーションビデオで草野マサムネがダンエレクトロではないものの、ジェリー・ジョーンズのロングホーンを弾いているのを発見した。この「渚」という楽曲だが、「渚は陸海空のどれでもなく、しかしその全てが関係しているエリア」という話を聞いて書いた楽曲とのこと。

スピッツ / 渚
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動画で楽しむDano(423)

2024-02-17 18:53:47 | Dano Movies(洋)
Johnnie Carwash - I'm A Mess


Johnnie Carwash は2018年にフランスのリヨンで結成されたガレージ・ポップ・トリオである。ギター&ボーカルがマノン、ベースがバスティアン、ドラムがマキシムで、彼らはジャムセッションを通じて知り合い、バンドを結成した。ファーストアルバムをレコーディングするためにアルコールを違法に売りさばいて、費用を捻出したそうだ。

Johnnie Carwash という、ちょっと変わったバンド名のためか、その由来については幾度となくインタビューでも質問されているようだが、ジョニーという響きがクールに思えたということ、そこからジョニー・アリディ(Johnny Halliday)を連想、フランキー・コスモス(Frankie Cosmos)が好きだったこと、女性らしくしたかったということで、ジョニーの綴りが Johnnie となったようだ。そして、いつもリハーサルをしていた場所が洗車場の隣だったことから Carwash となったそうだ。

影響を受けたミュージシャン、バンドとしてはフランキー・コスモスのほかにフィドラーやニルヴァーナ、あとはよくわからないが、ジョニー・マフィア、サテライト・ジョッキー、ケヴィン・モービーといった名前が挙がっている。サウンドはローテクでガレージであり、何曲かはシューゲイザー風もあるといった感じ。

上の動画は「I'm a Mess」のプロモーションビデオで、マノンがダンエレクトロのDC3、ベースのバスティアンがロングホーンベースを弾いている。彼らがダンエレクトロを使うのはやはりフランキー・コスモスがダンエレクトロのU1をメインに使っているからだろうと思う。

マノンのダンエレ女子ぶりを示す画像がある。彼女がダンエレクトロのDC3、67HEAVEN、DEAD ON 67の3本をリック・ニールセンばりに肩から下げている。



DC3は2000年頃に発売されたモデルで、ショートホーンボディに3つのリップスティックピックアップが搭載され、その組み合わせを Select-O-Matic で選ぶことができるのが特徴である。

67HEAVEN は2013年に発売されたモデルで、オリジナルで言えば Hawk とか Dane A と呼ばれるモデルのリイシューである。フレット数が21まであるのと、サドルが各弦毎に調整できるタイプになっているのが特徴である。

DEAD ON 67 は2009年に発売されたホーネットシェイプのギターで、一見するとコーラルのホーネットに忠実に見えるが、細かいところを見ると、ボディエンドにくぼみがあったり、コントロール・ノブが4つだったり、ピックアップ切替のトグルスイッチの位置だったりがシルバートーンの1452の仕様になっている。
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動画で楽しむDano(422)

2024-02-09 18:56:27 | Dano Movies(洋)
John Mellencamp Love and Happiness


ジョン・メレンキャンプといえば、私の世代では、彼がまだジョン・クーガーを名乗り、「ジャック&ダイアン」で全米№1ヒットを獲得し、大ブレイクした頃を思い出すだろう。1982年のことだ。後になって、この曲のアレンジをミック・ロンソンが手伝っていたこと、レコーディングにもギタリストとして参加していたことを知り、あのギターはなるほどミック・ロンソンか、と思った次第。

ギターをかき鳴らし、シンプルでストレートに激しくロールする、彼のようなスタイルが「ハートランド・ロック」としてカテゴライズされていたことを私は後になって知るのだが、これは、労働者にフォーカスした、シンプルにしてルーツ・ミュージックに根ざしたロックであり、失業や町の衰退、困難な人生における幻滅や郷愁を歌い、単なる娯楽を超え、音楽には社会的、共同体的な目的があると考えるロックなのだそうだ。そのカテゴリーにはボブ・シーガーやブルース・スプリングスティーン、トム・ペティといったミュージシャンたちが含まれていて、なるほどメレンキャンプはウィリー・ネルソンやニール・ヤングとともに「ファーム・エイド」を企画し、現在も支援活動を続けているわけだから「ハートランド・ロック」の理念に忠実と言えるだろう。「ファーム・エイド」とは、ボブ・ディランの発言「アメリカにいる農家の人たちに対しても(ライブエイドと)同じことができたら素晴らしいと思わないか?」を一つのきっかけとして、経済的に危機的な状況にあるアメリカの農民たちを支援するチャリティー・コンサートで、1985年から現在まで続いている。

そんなメレンキャンプであるが、彼は1951年に生まれ、14歳の頃には最初のバンドを結成した。1972年にビンセンズ大学に入学するも、薬物とアルコールに溺れる日々を過ごしたという。大学を卒業する前に薬物とアルコールを断ち、ミュージシャンを目指しニューヨークへ向かう。1976年にジョニー・クーガー名義でアルバムをリリースしたが、商業的には失敗。以後、紆余曲折ありながら1980年頃から少しずつ楽曲が売れるようになり、1982年5枚目のアルバム「American Fool」で大ブレイクした。その後、1983年からはジョン・クーガー・メレンキャンプとして活動するようになり、オルタナティブ・カントリーの始まりと言われる8枚目のアルバム「Scarecrow」をリリースした。1991年からは本名のジョン・メレンキャンプとなり、11枚目のアルバム「Whenever We Wanted」をリリースした。このアルバムでは彼の原点であるロックンロールに立ち返ることをテーマにしていたそうだ。

上の動画はこのアルバムの最初の曲「Love and Happiness」のプロモーション・ビデオで、バックバンドのギタリストがダンエレクトロのショートホーンらしきギターを弾いているのが見える。このギタリストが誰かといえば、長年メレンキャンプのバンドで活動していた Mike Wanchic だろう。この映像ではヘッドの部分がはっきり見えないので判断が難しいが、1991年頃であれば、ダンエレクトロではなく、ジェリー・ジョーンズかもしれない。



実際 Mike Wanchic はジェリー・ジョーンズのUシェイプの12弦ギターを弾いている画像もあることから、その可能性は高いと思われる。

Mike Wanchic で検索してみると、楽器のオンラインマーケットプレイスである Reverb でショップを立ち上げ、彼がレコーディングで使用した機材を販売しているとのことだったが、現在そこには何も出品されていなかった。

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動画で楽しむDano(421)

2024-01-31 19:31:14 | Dano Movies(邦)
山口冨士夫 ATMOSPHERE promotional film


山口冨士夫がダイナマイツのギタリストとして「トンネル天国」でデビューしたのが1967年のこと。その頃日本ではグループサウンズが一大ブームになりつつあり、以降、100を超える数多のバンドがそれこそ雨後の筍のごとくデビューすることとなっていくのである。とはいえ、ビートルズのように自分たちで作った楽曲を自由に演奏することが許されるわけもなく、レコード会社の意向に従い、職業作家による楽曲を演奏しなければならないケースがほとんどだったという。日本人で初めてギターの弦をベンド(チョーキング)したと言われている山口冨士夫を擁したダイナマイツでさえ、デビュー曲の「トンネル天国」は作詞が橋本淳、作曲は鈴木邦彦という、グループサウンズに多くの楽曲を提供した作家たちによるものであった。ロック的な要素と青春歌謡がないまぜになってしまうこの曲は日本のロックがまだ確立される前の過渡期のサウンドとして、今となってみれば面白いものではあるが、当時のバンドでは、例えばゴールデン・カップスのように、いやいやながらもお仕事でレコーディングしたシングル曲はライブでは演奏しないことにして、このジレンマを乗り越えていたのであった。

グループサウンズも末期になると一方ではどんどん歌謡曲化が進み、パープル・シャドウズに代表されるように、後年ロス・インディオス&シルヴィアにカバーされるような(「別れても好きな人」)、ほとんどムード歌謡になってしまったグループもあれば、他方には日本のロックの確立に大きな功績を残したグループやミュージシャンがいた。スパイダースのかまやつひろし、ルイズルイス加部らのゴールデン・カップス、鈴木ヒロミツや星勝らのモップス、そしてこの山口冨士夫などである。

山口冨士夫は1970年代に入ると京都において柴田和志らと村八分を結成、このバンドは1973年までの短い活動期間ながら、日本のロックの確立に大きく寄与した。ローリング・ストーンズに影響を受けた山口冨士夫のギターサウンドは当時の日本において際立っていたと言えるだろう。

村八分解散後は1974年にソロアルバム「ひまつぶし」をリリースするも、それ以降の活動は断続的なものになっていく、1980年代中頃からタンブリングス、1987年からティアドロップス、1991年にティアドロップスの活動を停止したあと、1992年にソロアルバムの「ATOMOSPHERE-I」、「ATOMOSPHERE-II」をリリース。上の動画はそのプロモーションとしてインタビューに応じたときのものである。鎌倉の材木座海岸で撮影されたようだ。

インタビューの合間に気ままに爪弾かれているギターはダンエレクトロのコンバーチブルである。このモデルは1959年から1969年まで、1966年頃にヘッドシェイプが変更されながらも生産が続けられた。アコースティックギターのように真中にサウンドホールが開いており、アンプにつながなくてもそこそこの生音が出る。ブリッジとテールピースの構造上の問題により、弦の振動がボディに十分に伝わらず、コードを弾けばガシャガシャ、単音を弾けばサスティン不足でペンペンとした音となる。これを味ととらえるか、単にショボい音ととらえるかは好みの分かれるところだろうが、ブルースなどを弾き語るのにはいい感じのいなたさがあろうかと思われるし、この動画で山口冨士夫が弾き語る「錆びた扉」も悪くないと思う。インタビューの合間に聞こえてくるちょっとしたフレーズにも彼の年季が入っている感じ。

2013年、福生駅で知人の女性が男にからまれていると勘違いしたアメリカ人男性がその男に殴りかかっていったところに止めに入って突き飛ばされ、後頭部を打ったことにより、山口冨士夫は死去、64歳だった。
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2024年のダンエレクトロ

2024-01-28 15:21:15 | Dano Info
毎年恒例のNAMMショー、今年は1月25日から28日に開催された。ダンエレクトロも出展し、2024年のニューモデルがお披露目となった。



今回はギターとペダルの両方に新作があった。ギターは FIFTY-NINERS というモデル名である。昨年登場した DIVINE の外観に2ピックアップ、片方にだけfホールがあるというもので、ヘッドのロゴが復活した。カラー展開はレッド、ゴールド、グリーンの3色。ショートホーンシェイプなので、FIFTY-NINERS なのかと思ったが、画像を見るとロングホーンシェイプのものもある。

ペダルは Nichols 1966 と名付けられたが、これは、現ダンエレクトロの社長であるスティーヴ・ライディンガーがまだティーンエイジャーの頃に、自宅ガレージで手作りしたものを再現したペダルなのだそう。独自の3トランジスタ回路により、ファズとディストーションの中間的なサウンド、あるいは「ガラスを砕く」ようなサウンドになるとのこと。ギター側のボリュームとの追従性も高いそうで、ストック/ミッドカットスイッチも搭載され、多彩な音作りが可能だとされている。

両方ともすでに試奏動画がアップされているので、それを見てみよう。

DANELECTRO™: FIFTY NINER™


Danelectro Nichols 1966 Fuzz Drive | NEW for 2024 #NAMM
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