動画で楽しむDano(136)

2015-06-17 21:27:43 | Dano Movies(洋)
Corinne Bailey Rae performs Are you Here


つい最近デビューしたばかりだと思っていたコリーヌ・ベイリー・レイもそろそろベテランの域に達した観がある。この映像ではダンエレクトロのU2を弾いているが、最近はあまり使っていないようだ。
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私の10曲(後編)

2015-06-03 21:27:46 | Music Life
5曲目  Arnold Schoenberg「Dank」
大学に入ると、私の関心の対象はおおげさにいえば「人間の文化的営みの歴史」になっていったので、音楽は変わらず聴いていたが、ミュージシャンになりたいとか、演奏したいとかではなく、関心は音楽史な方向に変わっていって、古代から現代までの音楽を網羅的にとらえてみたいと考えるようになった。もちろんロックばかりではなく、クラシックやジャズ、民俗音楽など、聴くことができるものは何でも聴くようになった。ちょうど古楽ブームがあって、バッハ以前の音楽にもアプローチしやすくなっていたし、ジャンル横断型の音楽研究もいろいろ出てきたしで、誰でもその気になりさえすれば、いろんな音楽に触れることができる環境は整いつつあったのだ。
私の場合、クラシックを聴くきっかけがマーラーなどの後期ロマン派だったこともあり、19世紀末の退廃だとか、狂気だとかエロスだとかに親しんでいたわけだが、それらが行き着くところまで行って、発表された当時にスキャンダルを巻き起こしたシェーンベルクの最初の歌曲をとりわけ偏愛するものである。

6曲目  Charles Trenet「La Mer」
フランス文学やヌーヴェル・ヴァーグが好きであるにも関わらず、第二外国語はドイツ語を選択してしまうというのが私の性格的な問題の一つではあるのだが、それはともかく、フランス語の勉強もしてみたいというわけで、まずは耳をフランス語に馴染ませるためにシャンソンを聴くことにした。有名曲を集めたコンピレーションのほか、エディット・ピアフやジュリエット・グレコのベストなどを廉価盤で手に入れて聴いているうちにシャンソンがだんだんと好きになってきて、自分が好きになった曲のいくつかがシャルル・トレネによるものだということを知った。「ラ・メール」はシャンソンを代表する曲だが、私はそこにマラルメやランボー、カミュやル・クレジオ、あるいはゴダールの、それぞれの「海」のイメージをみんな投影してしまって、私の中で勝手にふくらんでしまっている。それで結局フランス語はものにはならなかった。

7曲目  フリッパーズ・ギター「ドルフィン・ソング」
この曲を聴いたのが、まさに大学最後の夏休みだった。大学にいる間は誰よりも本を読み、音楽を聴き、映画も見、ものを考えてきたつもりだったが、私はそこから何も生み出すことができなかったし何も始めることができなかった。この曲の「ほんとのこと知りたいだけなのに、夏休みはもう終わり」という一節は忘れられない。

8曲目  ザ・コレクターズ「夢見る君と僕」
「嫌なことや嫌いなこと 大人たちを踏みつぶしてしまえ」という歌詞に示されるように、この曲は表向きはラブソングのようでありながら、その裏で思春期の少年に典型的な攻撃性を描くというダブルミーニングな構造を持っている。初めて聴いた頃は「こんな風に考えていた時期が私にもありました」的な感じで受け止めていたのが、社会人になってから改めて聴いてみると、かえってリアルに響いたということがあった。少年の頃に見かけた「大人たち」というのは親や教師くらいで、あとはもっと漠然としたものでしかなかったわけで、しかし会社みたいな組織に入ると、自分の親よりも年上の人間たちがたくさんいて、理不尽に周囲をひっかきまわしていたりするのを目の当たりにするわけで、しかもそれに対抗する術をこちらは持っていなかったりするわけで。

9曲目  b-flower「日曜日のミツバチ」
「別にとりたててすることもない」。

10曲目  J.S.バッハ「ゴールドベルク変奏曲」
人生の最後に聴きたいのはこの曲。もちろんグレン・グールドの演奏で。
大学生の頃は新プラトン主義な感じで自分の身体というものを持て余していた。プロティノスの言葉を借りれば「肉体のうちにあることを恥としていた」というわけだ。その頃の私は半分本気で「自分は音楽になりたい」と考えていた。今となってはもう、そんなことを考えているわけではないが、自分の肉体が滅びるときには魂は美しい音楽とともに空中に溶けていければいいと思う。
コメント (4)
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私の10曲(前編)

2015-06-02 22:36:40 | Music Life
以前NHKで放映されていた「ミュージック・ポートレイト」という番組が好きでよく見ていた。これは対談形式の番組で、俳優や作家、あるいは芸術家として現在活躍している人たちが登場し、挫折から栄光へ、波乱万丈の半生を振り返りながら、その様々な局面で流れていた音楽や自分を励まし支えてくれた音楽を10曲ほど紹介するというものだった。人と音楽との関わりはとても興味深く、面白いものなので、私も「自分の10曲」を選んでみようと思ったのだが、5曲ほど選んだところで先に進めなくなってしまった。それというのも、私の人生には挫折はあっても栄光がなく、ドラマ的な要素がまるでないからだ。そんな私が選んだ10曲をここに。

1曲目  西城秀樹「ちぎれた愛」
小学校に入ったばかりの頃、どういうわけか西城秀樹に夢中になった。子供ながらにその激しいアクションとエモーショナルな歌唱に心を奪われたということなのだろうが、このまま歌い続けたらこの人は死んでしまうのではないかと、動悸が激しく高まるのを感じながらテレビを見ていたことを覚えている。今にして思えば「死にまで至る生の昂揚」というバタイユ的なエロティシズムを感じていたのかもしれない。
「ちぎれた愛」は西城秀樹が初めてヒットチャートの1位を獲得した曲であり、私が初めて買った歌謡曲のレコードでもある。

ちょうど同じ頃、「あこがれ共同隊」というドラマがあり、桜田淳子(中3トリオ)と郷ひろみ(新御三家)の共演ということでちょっとした話題になったのだが、これには西城秀樹も途中まで出演していた。私の記憶が確かならば、彼が演じたのは不治の病でありながら、だからこそ自分が生きていた証を残したいと長距離走のトレーニングを無理して続けた結果、心臓発作を起こして絶命してしまう青年だった。死んでしまうとわかっていながらも走り続けたこの青年の死は、このまま歌い続けたら死んでしまうかもしれない西城秀樹本人の姿と重なり、胸がしめつけられるような思いがした。

2曲目  イエロー・マジック・オーケストラ「TECHNOPOLIS」
西城秀樹に夢中になったといっても、その後はプラモデルや機械いじりの好きな、音楽とはむしろ無縁の子どもだった。そこに突如として現れたのがシンセサイザーだった。当時のシンセサイザーは子供が買えるようなものではなかったが、縦横に張り巡らされたケーブルやツマミなど、楽器というよりは音を合成する機械とでもいうべきその姿は、機械いじりの好きな子供を再び音楽に向かわせるには十分な魅力を備えていた。やがて江口寿史の「すすめ!!パイレーツ」に描かれていた「黄色魔術楽団」が実在するグループだと知り驚くことになる。
彼らの存在は音楽以外の様々な文化への入り口にもなってくれた。しかし、それだけではない。田舎者の少年が多少色気づいたとき、周囲に参照できるものがヤンキーの先輩しかいなかったところに、そうではない別の方向を示してくれたのだ。実のところ、それが一番大きいことだったかもしれない。

3曲目  Simon&Garfunkel「I am a Rock」
中学では部活動をやっていなかったので、自然と一人でいる時間が長くなった。その長い時間を、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすようになったのだが、そのせいか、だんだん周囲との違和感が増していくように感じられた。要するに思春期というわけで、「孤独が僕を、僕の親友にした」というわけである。
そんなときに私はこの歌と出会ったのだったが、つまらない連中と無駄に時間を過ごすくらいなら一人でいる方がはるかにマシだと思うようになっていった私に、この歌はまるで自分のことを歌っているように感じられた。誰とも関わらずに本を読むか音楽を聴くか、映画を見るだけの生活。大学に入学するくらいまでの間、「I am a Rock」はいわば私のテーマソングだった。

4曲目  The Beatles「Lucy in the Sky with Diamonds」
高校時代、同級生の友人たちとバンドを組んだ。音楽の趣味がバラバラな人間の集まりだったので、どんな曲を演奏するかさえ決めることができずに迷走し、初めて人前で演奏する機会を得たのは3年生のときの文化祭だった。ところがその年は、いつもより出場を希望するバンドが多かったため、うまいバンドは視聴覚室、へたなバンドは教室にそれぞれ振り分けるという、ちょっとしたオーディションをすることになったのだ。その日はヴォーカルの都合が悪く出られなかったので、代わりに私が歌うことにしたのだが、オーディション会場にいるのは実行委員が4、5人くらいだろうと思っていたのに、行ってみたらギャラリーが5、60人くらいは見に来ている感じで、その驚きと緊張ですっかり縮み上がった私は満足に声も出せない状態になり、そのまま挽回することもできず、不本意な演奏のまま終わってしまったのだった。このときに演奏したのがこの曲。あまりの情けなさに「自分は音楽を裏切ってしまった」という思いにしばらくの間苦しむこととなった。
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